Vol.04-5 「私のちいさなピアニスト」映画評論 寺脇 研さん
現在の韓国は、日本と同じく民主主義政治と自由主義経済の制度下にある。平和志向、文化尊重、人権重視といった基本的価値観も同じだ。ただ、韓国社会における貧富の差は相当に大きい。それと比べると、「格差社会」だなどと騒いでいるわが国は、そうはいってもまだまだ皆が豊かだと思う。
この映画のヒロインは、幼い頃からピアニストになる夢を追ってきた。だが、彼女の家庭はおよそ裕福とはいえない。それでも家族は、生活を犠牲にしてまでもピアノに打ち込める環境を作ってくれた。今は亡き父親、年老いた母親、優しい兄、皆に感謝はしている。だが、念願のヨーロッパ留学は諦めなければならなかった。留学帰りの新進ピアニストとして脚光を浴びる音大時代の同窓生を見るにつけ、自分だって豊かな家庭に生まれていたら... と悔やまれてならない。
結局、演奏家生活を断念し、子ども向けピアノ教室で生計を立てる途を選ばざるを得なくなった。それも、ソウルとはいえ高級住宅街とは程遠い場末のあたりだ。ピザ屋の二階にある古ぼけた教室に住み込み、新しい暮らしを始めた。副題がFor Horowitzとあるように、壁に掛けた敬愛するホロヴィッツの肖像だけが、音楽ごころの支えになっている。意に染まぬ失意の日々...。
そんな彼女を変えていくのが、ピアノに興味を示す近所の悪ガキである。いたずら放題の貧しい少年が、意外にも絶対音感の持ち主で、豊かな才能を発揮し始める。彼にレッスンしていくことが、ヒロインをピアノ教師業の喜びに目覚めさせた。コンクールを目指し二人三脚の歩みが始まる。さあ、秘蔵っ子である「私のちいさなピアニスト」を、どう育て上げていけるだろうか。
ピアノを通して、師と弟子の間の深い愛情が語られていく。全編を貫くのは、人が人を思う温かさだ。ヒロインが少年を思う心の機微、少年がヒロインを慕う心の一途さが、観る者の胸をうつ。感情と音楽の両方が盛り上がるラストシーンはみごとだ。こうした情の濃さが、韓国映画の魅力なのである。その人間臭い味わいにハマってしまった方、あるいはハマってしまいそうな方は、拙著「韓国映画ベスト100『JSA』から『グエムル』まで」(朝日新書)をお読みいただけるとうれしい。この映画にも表れている韓国社会のあれこれを、映画を通して理解する手助けができると思っている。
寺脇研著
「韓国映画ベスト100『JSA』から『グエムル』まで」(朝日新書)⇒Amazon |
Vol.4 INDEX
2007年6月30日発行 |
<天才>を育てた母親の4つの理念 一緒に練習することが楽しくなるように、子どもに話をしてあげる 五嶋 節さん |
教育の未来を考える(2) 専門家との出会いが子どもたちの夢や進路を拡げる 小正 和彦先生 |
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ピアノの誌上レクチャー(1) ピアノはどこで音が鳴っている? 武内 順一さん |
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音楽の仕事風景(1) 東京音楽大学(事務助手)加藤 千晶さん フィリアホール(企画制作)保科 隆之さん |
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「私のちいさなピアニスト」映画評論 寺脇 研さん |
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ピアノ教養クイズ(2) 「名画と同時代の音楽様式」編 |