ピアノステージ

Vol.06-3 ピアノ教室からのMessage(1)石黒加須美先生

2008/03/31
石黒加須美
ピアノ教室からのMessage
 私の母は小学校の先生を36年間勤め、その間から講演や執筆活動をして現在にいたっています。そのいくつかの文の中に私の事を書いているものがあります。母は学校を退職してから私の次女が生まれ保育園に入るまでの約3年間、私がピアノの勉強が出来るようにと、週に2日ほど孫の面倒を見るために通ってきてくれていました。そのころを思い出して母が書いた、数年程前の小学校の教育誌に載せられた記事です。
石黒加須美(愛知県一宮市・かすみピアノスクール主宰)
「ひとり学び」の種をまく
我が子を「ひとり学び」のできる子に...。
子どもは誰でも「ひとり学び」の<芽>を持っています。ただ、その<芽>を出す時期は子ども一人ひとりによって違います。お子さんの<芽>を、上手に発芽させるには...。
「ひとり学び」の芽生え

 「ばあちゃん、大きい公園に行こうよ。」わたしは、三歳の孫に手を弾かれて、重い腰をあげる。娘の家の隣にも遊具のそろった小さい公園はある。しかし、孫が家から遠い方の大きい公園に行きたがるのはわけがある。公園へ行く途中の駅前に、ぎっしり並べられているバイクの後ろについているナンバープレートのなかに書かれた文字や数字に、この間から興味をもったからである。孫のおもちゃに書いてある「いしぐろゆみ」という名前と同じ字がバイクのナンバープレートに書いてあるというのだ。初めは、「ばあちゃん、赤いバイクにいしぐろの<い>が書いてあるよ。ほら!」というので、「みゆちゃんすごい。よく見つけたね。」と誉めた。すると、孫は、「あった、<し>と書いた青いバイクが...。」と叫んだ。見るとそこには間違いなく<し>の文字が書いてある。こうして自分の名前のナンバープレートを見つけて帰った孫は、娘にも誉められ、ほんとうにはればれとした得意顔であった。
 孫にとって駅前の公園への通り道は楽しみながら、文字や数字を学ぶかけがえのない学習の場所なのである。このときの孫には、自分で学んでいるという意識はないのであるけれど、まさにこれが「ひとり学び」であり、その芽生えであった。「ひとり学び」というものは、もともと強制されてするものではなく、子ども自身が学びたいという衝動にかられて、自主的に学ぶものである。


「これ、なあに!」を受け止める

 あるときベランダで、洗濯ものを干していたわたしは、「みゆちゃん、かわいい虫がいるよ。見てごらん。」と誘った。直ぐに「あ、これ、ゴマダラカミキリだよ。」というので、びっくりしていると、「じいちゃんにもらった図鑑についているよ。ほら、これ...。」と見せるので、二度びっくりした。わたしは、「ばあちゃんは、知らなかったのに、みゆちゃんすごい。」と手をたたいて誉めた。
 娘がいうのには、「あれ、なあに?」「これ、なあに?」とうるさいほど聞いてくるようになり、正直にいって、内心めんどうだなと思うこともあるけれど、ここが大切なチャンスなのだと心に念じて、仕事の手を止めて、いっしょに図鑑を見るようにしたとのこと。このごろは、道路に生えている雑草を見て「ママ、エノコログサ...。」と自分から教えてくれたり、ひとりで動物や魚のページを見ているようになったという。  幼児の知識欲は、目を見張るほどすばらしいものであり、親があたたかく、そっと手を差しのべてやれば、自然に芽ぶき育ってくるものであることを痛感した。


親は「ひとり遊び」の仕掛け人

 私の娘もピアノ教室という仕事を持っており、子育てだけに専心できる母親ではない。だからといって、テレビにお守りをさせるようなことは絶対にしたくないといろいろ心を砕いていた。
 孫が幼稚園になったあるとき、こんなことがあった。仕事がすんで外出しようとしたが子どもの姿がない。となりの公園にいるものと思い、家の戸締りをして探したが見当たらない。不審に思って引き返してもう一度家のなかを見ると、孫は自分の部屋の隅っこで置いてきぼりになるのも知らずに、真剣に本を読んでいるではないか。娘の呼び声で、ようやく気づいた孫は、「あんじゅとずし王は、かわいそうだね。」といいながら立ち上がってきた。娘がいうのには、「きのう、興味を持ちそうな絵本を三冊ばかり買って置いておいたの。読みなさいとは言わなかったけれどね。」とわが意を得たりという顔をしている。「なかなかかしこいママをやっているね。」とわたしは、娘の肩をポンとたたいた。
 親は、子どもがひとりで学ぶようになるのを、じっと待っていては駄目だ。自分の子供をよく観察していると、どの子にも必ずチャンスというものがある。そのときを逃さずに種をまくことが大切である。種をまいていない花壇には花は咲かないのだから...。そっと種をまいておいて、子ども自身が自分が自分で見つけてやったような錯覚を抱かせるようにすることである。親は子どもにとって、「ひとり学び」の上手な仕掛け人であることが望ましい。


成長の芽をあたたかくはぐくむ

 人間である親が子どもを育てるということは、子どもに人間としての情を育てることである。それは、こどもがひとり立ちするまでの一大事業であり、親の生きざまそのものだといっても過言ではない。ところが、多様な情報社会のなかで、毎日あくせく生きている親は、「早く、早く。」とか「こうしなさい。」というようなことばしか掛けてやれないことが多いと反省している人が多い。子どもの動作は鈍く、早いことはよいことだのようなせ生活のなかでは、見ていてイライラさせられることの多いのも現実である。しかし、ここで親は「早く、早く...。」や「いけません。」という督促や禁句のかわりに、「もうちょっとだね。」「がんばろうね。」というような子どもの自立を促すことばや励ましのことばをかけてやることのできる心の豊かさ、いとしいものへのあたたかさを持ちたいものである。
 子どもには、一人ひとり個性があり、その芽生えにも差があるものである。それを見つけ、育ててやれるのは、子どものことを一番よく知っている親のはずである。まだ小さいからと思っているとき、子どもは、母親の目を見たり、ことばを聞いたり、肌に触れて心が育ち、知識や判断の基準を身につけて成長していくものである。一つのことを習慣化するしつけのチャンスは、まさに幼児期であり、教育の原点もここにある。
 子どもが、テレビを見ているから、塾に行っているからと、親が安心し手を抜いてはいないだろうか。子どもたちがテレビを見る時間は毎日平均二時間余もあるというのに、親と子が楽しく話し合う時間は三十分もないというのが現実である。これで、どうして親子の心の交流が得られ、人間としての基本的なものの見方や考え方が育てられるのか疑問に思う。
 親は、自分の子どもの学びの芽ぶきを、そっと見守り、その芽を育てるのに必要な手間を絶対にはぶいてはならない。毎日の生活は、子どもにとっても、かけがえのない一瞬なのだから...。






Vol.6 INDEX


2008年3月31日発行
ピアノ教育の未来を考える(3)
自分の行動を自分でプランする
佐々木かをり(イー・ウーマン)
ピアノ学習Q&A(1)
ピアノを学ぶ意欲を高め、
維持させるには?
藤崎雄三(リンクアンド・モチベーション)
ピアノ教室からのMessage(1)
「ひとり学び」の種をまく
~親は「ひとり学び」の仕掛け人~
石黒加須美(かすみピアノスクール主宰)
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ピティナ編集部
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