連載記事 第3回

ウェブ連載 第3回 (全4回) 文:オヤマダアツシ
執筆する際の「よりどころ」を見つける

前回は「読み手(=客層)によって多少、文章の難易度を微調整しましょう」ということをテーマに、音楽用語という名の専門用語の扱いについて、少しだけ配慮することをご提案しました。今回は文章を書く際の「よりどころ」についてのお話しです。

通常ですとプログラムノートを執筆する際には、信用できる音楽事典や楽譜に付されている曲目解説、CDのライナーノート、さまざまな書籍などを参照します。つまり、それらが「よりどころ」というわけですが、最近ではインターネット(ネット上の百科事典と言われるWikipediaなど)がこれに加わるでしょうし、もちろん「ピティナ・ピアノ曲事典」が参考になるのは言うまでもありません。

上記のような「よりどころ」は、極めて客観的な情報だと言えます。作曲年や曲の構造、作曲の意図や背景など、情報の多くは「データ」であり、そこに執筆者個人の嗜好や解釈が入る余地はほとんどありません。データを集約して文章を書けば、それだけでいっぱしのプログラムノートとして成立してしまうのです。前回、ご紹介したモーツァルトのピアノ・ソナタ第11番より第1楽章の解説文は、まさにそうした一例だと言えるでしょう。

しかしそれでは、誰か書いてもほとんど同じような文章ができあがることでしょう。
執筆をピアノ演奏に置き換えてみてください。同じ楽譜を使って弾きながらも演奏者によって個性が生まれるように、文章もまたそうであるべきです。そうでなければ音楽事典などをほとんど写すだけで済んでしまいますし、そこに音楽への愛情が存在するとは思えません。

音楽への愛情が感じられ、読み手が「この人が書く紹介文はとても魅力があるので、きっと演奏も素敵に違いない」と思うようなプログラムノートが書けないものでしょうか。
そのためにあなた自身が演奏を組み立てる際の考え方も「よりどころ」に加え、他の人にはできない、あなただけのプログラムノートを書こうというのが今回のご提案です。

あなた自身の演奏解釈も文章に反映

同じモーツァルトの曲を弾くのでも、テンポやフレージング、微妙なダイナミクスの違いなどはあって当然でしょう。皆さんはそのために、ただピアノに向かって何時間も練習を繰り返すだけでしょうか。モーツァルトの伝記や研究書などを読み、作曲時には何があったのか、モーツァルトはどういった生活状況だったのか、旅には出ていただろうか、恋愛や友情など対人関係は曲に影響を与えていないだろうか......など、いろいろなヒントを探し出して、それを演奏に反映させようとはしませんでしょうか。そういった自分なりの解釈や発見などは、演奏だけではなくプログラムノートにも反映させるべきです。

今回もまた、ピアノ・ソナタ第11番の第1楽章をサンプルにしてみましょう。

この曲はザルツブルクを離れてウィーンでの生活がスタートした翌々年、つまり1783年に作曲されています。人気は決して順風満帆ではない時期ですし、焦りがあったかもしれません。その一方で次々に充実したピアノ協奏曲を作曲するなど、作曲家としてはますます熟していた時代でもあります。
さて、あなたは演奏するとき、モーツァルトのどの部分を表出したいと思いますか。彼が住んでいたウィーンの上品さや典雅な味わいでしょうか、「グラツィオーソ」という指定を意識したやさしさでしょうか、それとも当時の生活や焦りを反映させた「笑顔の裏にある絶望」でしょうか。

もし「上品さ、典雅さ」などを演奏に込めるのであれば、文章でもそれを伝えてみましょう。前回の文章をアレンジしてみます。

変奏曲形式の第1楽章は、やさしいシルクのようなタッチの主題で幕を開ける。シチリアーナ(舟歌)のリズムによる主題は、モーツァルトが当時住んだウィーンの、優雅な雰囲気にあふれている。続く第1変奏は、その主題に優雅な飾り付けをしたような音楽であり、左手が軽快なパッセージを奏でる第2変奏は舞踏会でのダンスを思わせる。

これで、少なくともあなたが音楽をどう捉え、演奏しているのかが確実に伝わります。「音楽なのだからすべては演奏で伝えるべし」という考え方も間違いではありませんが、聴き手がみんな繊細な表現を一度でキャッチできるほど敏感なアンテナをもっているわけではありません(むしろ、そういう人は少ないでしょう)。自分の演奏をしっかりと伝えるためのサポート役としても、プログラムノートを有効活用してください。

ネット上のデータは「取り扱い注意」を忘れずに

近年は特に「よりどころ」として、インターネット上の情報を使う方も多いのですが、若干の注意が必要です。たとえば誰もが転載できる百科事典として便利な「Wikipedia」ですけれど、ときどき記述ミスや匿名執筆者の個人的な見解が強く出ている文章に出会うことがあります。年号などが間違っていることもあり、まだまだデータとしての信頼度が問われています(実は筆者も、鵜呑みにしてミスをしたことがあります)。
便利であることは間違いありませんが、どうか「そのまま転写(コピペ)」をするのではなく、自分なりに手を加えたり、音楽事典など別の媒体での再確認などを心掛けてください。

プログラムノートも演奏と同様、あなたの気配りや誠意が文章に反映されますので。

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