17 音楽学校の誕生―ライプツィヒ音楽院の誕生の意味 その1
17 ライプツィヒ音楽院と総合的音楽教育の理想 その1
19世紀の音楽院におけるピアノ教育 19世紀はピアノの時代でした。上級市民とされた階級を中心にピアノ教育が良家の子女の重要な教養とみなされ、またピアノを所有することが高いステイタスを象徴するものとされたことから、ピアノ教育は特別な意味をもつようになります。それはフランスにおいてもドイツにおいても、イギリスにおいても同様でした。その意味において、ピアノは19世紀近代社会の縮図と言っても過言ではありません。
女子教育において音楽は数少ない教養の一つでしたが、それでも歌唱とピアノに限られ、しかも高度な教育は求められていません。それに対して男子生徒では楽典やソルフェージュなどの教育が行われており、楽器の練習時間も格段に求められています。しかし、このような総合的な教育はなかなか実施が困難で、現実には専攻楽器だけの指導に必要な楽典などの知識を与えるのが現状でした。 《その2》へ続く
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山形県生まれ。東京藝術大学大学院博士課程満期退学。現在、桐朋学園大学音楽学部教授。18,19世紀を主対象に音楽社会史や音楽思想史を専攻。「音楽家の社会史」、「聖なるイメージの音楽」(以上、音楽之友社)、「ピアノの誕生」(講談社)、「楽聖ベートーヴェンの誕生」(平凡社)、「クラシック 名曲を生んだ恋物語」(講談社)、「音楽史ほんとうの話」、「ブラームス」(音楽の友社)などの著書のほかに、共著・共編で「ベートーヴェン事典」(東京書籍)、翻訳で「魔笛とウィーン」(平凡社)、監訳・共訳で「ルル」、「金色のソナタ」(以上、音楽の友社)「オペラ事典」、「ベートーヴェン事典」(以上、平凡社)などがある。