第16曲「幻想曲」
アルカンは極めて色とりどりの音楽を作った。その多彩さこそが特徴だ、などと言ったりもしましたが、しかし、やはり多彩な中にも一貫してしばしば見受けられる特徴も、いくつか思い浮かぶ。
そのひとつが、自由なリズムです。
西洋音楽には、「ヘミオラ」と呼ばれるリズムの取り方がある。これは3拍子の曲の中で2拍ずつの塊を作ることを指し、このことにより一時的に倍の長さの3拍子を作ることができます。もともとルネサンス時代の声楽曲で用いられたリズムなのだけれど、息の長いフレーズを作りたかったり、特別な表情をつけるポイントが欲しかったりする場合に最適なので、ロマン派の時代にも好んで用いられた。特にブラームスは、このヘミオラのリズムをしょっちゅう使ったことで知られています。
アルカンの楽譜にもヘミオラはたくさん登場する。たとえば、第3曲「レガーティッシモ」の楽譜を見ていただけるとわかるんですが、8分音符の連桁が4つずつ括られている部分が何箇所もあります。これは典型的なヘミオラで、その部分では大きな3拍子を感じて欲しいという気持ちの表れ。
しかし「ブラームス以前にもヘミオラ好きなロマン派作曲家がいたんですよ」程度の話で終わってしまうアルカンではない。彼の自由なリズムというのは、単純なヘミオラの範疇にはとてもとても収まりません。
たとえば第5曲「入信者」の楽譜を見てみると、実にさまざまな拍子の取り方をしているのがわかります。77小節目からのリズムはアルカンの真骨頂。曲全体はもともと3拍子の音楽ですが、ここからは5拍からなる音型が3度くりかえされた後、1小節はさんで今度は4拍の音型が4回くりかえされる。こういう譜面、近現代ならともかく、ロマン派の音楽ではなかなかお目にかかれません。
前々回の第14曲「小二重奏曲」にも複雑なリズムがありました。13小節目から、右手と左手それぞれ5拍ずつのフレーズが、互いにずれたままで重なり合う。59小節目からは4拍のフレーズが同じく、左と右が1拍ずれて重なっています。やりたい放題に遊んでますね。
こうして見てみると、アルカンが意図的にリズムを複雑に組み合わせて楽しんでいたのは明らか。ただ、それらは必要以上にわざとらしくはなっていない。現代音楽によくある複雑な拍子の絡み合いは、頭で考えて数学的に作り上げられる場合が多いけれど、それに対してアルカンの作るリズムは、彼の感性が自然に生み出したアイディアのように思える。
今回の「幻想曲」にも、そんなアルカンの感性が垣間見える。曲の最初を見てみましょう。2小節目までは表示どおり3拍子ですが、3小節目からは単純に3拍ずつではまとめられない。順番に、4拍、2拍、3拍、4拍、2拍、3拍......といった単位で拍感が移り変わっていくのがおわかりいただけると思います。でもこれ、実に自然にできていて、聞き流していると拍子がこんなに伸び縮みしているなんて気づかないくらいじゃありませんか?
この曲は基本的にパラパラ動くパッセージとスタッカートの伴奏からなる単純な音楽ですが、それが単調にならず、変化に富んだものとして聞こえるのは、ひとつにはこの自由に伸び縮みする拍節感のおかげなのです。
演奏の際にも、拍の伸び縮みによって音楽がどのような曲線を描くか、というのを意識して弾くと良いでしょう。ただし、それ以前にまず何よりこの曲は練習曲。16分音符を軽やかに弾きこなせるよう、十分な注意を払うことが大切です。23小節から16分音符が左手に移りますが、ここの指使いはかならず守ること。普通のアルペッジョのように親指をくぐらせる運指では実現不可能な軽快さと速度を出さねばなりません。この左手部分はもちろん、右手で弾くときも、4つの16分音符をひとまとめに和音としてつかまえる気持ちでできると良いでしょう。特にいちばん最後の小節、PPやPPPで弾くのには大変な注意力が必要ですよ。
次回は「3声の小さな前奏曲」です。