今月、この曲
3・11からもうすぐ1年。未曾有の大災害と事故を体験し、ピアノが何の役にたつのだろうか、そもそも音楽は必要なのか、皆さんがそう思ったでしょう。打ちのめされ、苦しみ、そしてためらいながら楽器に戻った方、そして戻ろうとしている方に、ぜひ手に取っていただきたい楽譜があります。
J.S.バッハ=ケンプ、コラール前奏曲「イエスよ、私は主の名を呼ぶ」BWV639。コラール前奏曲は教会でコラールを歌う前にオルガンが演奏する曲です。オルガンはもちろん足鍵盤つき。原曲はタルコフスキーの映画『惑星ソラリス』のテーマ曲としても知られています。ウィルヘルム・ケンプ(1895~1991)がピアノ用に編曲しました。ブゾーニの編曲もあるのですが、比べてみるとブゾーニは和音が厚く、コーダも4小節長い。ケンプの方がオルガンの原曲に忠実です。ケンプは宗教音楽家の家系に生まれ、オルガニストとして聖歌隊と演奏活動をし、作曲も学びました。作品には交響曲もあります。ピアニストでオルガニストで作曲家。なんて19世紀的なのでしょう。原曲をなぞるような編曲は、作曲家が鍵盤を探りながら弾く仕草を思わせます。
中声部で執拗に続く16分音符はイネガルを少し意識して4つのかたまりを感じつつ。1オクターブ内にとどまる上声の旋律は美しく悲痛......。オクターブのバスがとぎれないように薄いペダルで頻繁に踏みかえてみてはいかが。全体の響きを趣味よくするためにペダルを効果的に使いましょう。教会に響く壮麗なオルガンに比べれば、このピアノ曲はひかえめでシックです。
教会や寺院での祈りの言葉に抑揚がついたのが音楽の始まりのひとつと言います。祈りが旋律となり、さらに声部やリズムが複雑になり......。何かに役立つものではなく、祈りの音楽。人を越えたもの、自然、宇宙、地球、海、大地、それとも神か仏。何か大きな存在にひざまずき、頭をたれて祈りましょう。祈りとして、弾いてみてください。