今月、この曲
ピアノ連弾曲集 「音の栞Ⅲ」 (カワイ出版)
せつなさを歌い上げたイディッシュの曲
表紙の美学。堂々と座する表題名。
"おとのしおりⅢ"と読みます。えっ、しおりと読むのか......。と思われたみなさん、ぜひ手に取って中をご覧下さい。日本を代表する作曲家・三善 晃にもっともアクセスしやすいスコアなのですから。世界のフォークロア(民族音楽)を、多彩なピアニズムを展開する連弾曲に仕上げています。
Ⅲに収録の全11曲の中から『ドナ・ドナ』を取り上げましょう。オリジナルは、売られる仔牛を見送るせつなさを歌った世界的大ヒット曲だと思っていましたが、どうやらルーツはさらに古く、"大切なものが手元を離れていく""辛い行き先が見えているのに見送らねばならない"......そのやるせない気持ちを込めた、中東欧ユダヤ文化(イディッシュ)の歌だったようです。ナチスに強制連行されるユダヤ人の様をも歌ったのかもしれません。
まず前奏。イ短調がこれほど侘びしさをもたらすとは......。メロディが入ると、和声でそれとなくあきらめの気持ちがほのめかされます。"Dona Dona Do-na- Do-na"――共に過ごした日々を想う追憶のリフレーン。心の淵をえぐるようにたたみかけ、多重にレイヤーされたラインと、刻一刻と変わる和声が心のゆらめきを聴かせます。この豊潤な響きはすでに芸術の域。土臭さや大衆性のエッセンスだけを残し、純度の高いピアニズムへと変貌させているのです。
暗い曲は性に合わないな、という方。『フニクラ・フニクラ』はいかが? これは高揚感溢れるかっこいい仕上がりです。ただ、連弾の低音パートの人は、高音パートの10倍くらい練習することになりますが......。前奏がトリッキーです。日本民謡? 『ずいずいずっころばし』だろう、と思わせておいて、いきなり威勢よく出てくるのがフニクラメロディ。虚を突かれて唖然としているうちに、曲はノリよく進んでいきます。
その他、ロシア趣味の人には『トロイカ』や『黒い瞳』、パリ好みの人には『枯葉』も収録しています。この連弾曲集、なかなか手ごわいものですが、しかし真の芸術に触れる喜びを私たちにプレゼントしてくれます。