第19回 音楽知識と感覚を結びつけるアナリーゼとは(2)
アナリーゼは単なる楽曲分析ではなく、音楽の中にある要素から作曲家の感情を読み取り、自らの感覚や知識に結びつけるプロセスであり、また「自らの真実を語る」という姿勢を持つことが大切と、前回お話頂きました。 |
実はこのコンクールが始まる前、彼から真っ先に質問を受けたんです。「あなたの作品をより深く理解して弾きたいのですが、実は練習しているときに不思議な感覚を覚えました。どこかアジア風の印象を受けたのですが、自分が台湾で経験した音楽体験、たとえば台湾の伝統音楽や精神性を演奏に反映させてもいいでしょうか?」と。
私はアジアを旅行したことがありますので、「ええ、確かにアジアの要素が入っていますよ。どうぞあなたの感覚で弾いて下さい」と答えました。そして彼は自分が思う通りに解釈し、その演奏からはアジアの香りや、独特の音の広がりを感じることができました。
ええ、能の音楽のようでもありますね。フレーズが始まる前に音がうわーんと立ち現れる感じがします、あるいは旋律の間から音が出てくる感じ、これはアジア特有ですね。驚いたことにチェンさん始め、アジア出身の参加者はほぼ全員それを感じていたようです。逆に、欧米の参加者は、旋律をつなげていく音楽作りでした。どちらも美しいですね。
個人的にはラトビア出身のファイナリスト、ヴィネタ・サレイカさん(Vineta Sareika)が、楽譜に一番近い解釈をしていたと思います。音楽の流れを重視し、全体の構造を上手にデザインしていました。
ヴァイオリン&ピアノデュオ曲
Ray Chen
"V..." を聴く (c)Queen Elisabeth Competition 試聴する (9m01s) |
Vineta Sareika
(c)Queen Elisabeth Competition 試聴する (8m59s) |
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私の曲が、様々な視点や考え方をもたらすことができたのを嬉しく思います。作曲する時は、いつもそのことを考えていますね。つまり音楽に様々な意味を持たせることで、演奏者がそれぞれの音楽的体験・人間的経験知を踏まえて、独自の道筋や表現を見出してほしいと思っています。
だから、チェンさんとサレイカさんの演奏に大きな違いがあるのです。
チェンさんの演奏は、音が生まれてそれが多彩に変容していく、その一方で(楽曲の)バリエーションの変化にともなって旋律が発展していく―その論法がとても興味深く感じられました。彼は自分が体験したアジア文化を踏まえ、霊的世界と人間的感覚でとらえた現実的意識の間を、微妙に揺れ動くような解釈を聴かせてくれました。
一方サレイカさんは、西洋的思考から生まれた伝統的なリリシズムに深く根を下ろしていました。曲の冒頭から美とエネルギーがほとばしり、最後までその力強い推進力が途切れることはありませんでした。曲の隅々にまで繊細な感情が織り込まれ、その多彩な感情表現がダイナミックな演奏につながっていました。
二人ともこの曲への取り組み方は全く異なりますが、二人とも素晴らしいヴァイオリニストでどちらの演奏にも魅了されました。また、自分の音楽がどこまで多様な解釈が可能なのか。多様性(diversity)とはこの世界の豊かさの象徴でもあり、一音楽家としてそれとどう向き合うか、といったことを考える良いレッスンになりましたね。
◆ アナリーゼにおいて、「真実」は一つではない
実は私のアナリーゼクラスで重要なポイントは、「真実はない」ということなんです。私は学期初めの授業で必ず言うのが、「私が考えるアナリーゼには、『唯一の真実』はなく、『様々な真実』がある」ということなのですが、生徒にはいつも驚かれます。
つまり色々な考え方がある。大切なのは、私がいうことが真実ではないというならば、あなたはそれを証明、あるいは議論しなければならない。「それは真実ではない。なぜなら・・・」というようにね。そしてあなたが言うこと、信じることが真実だと説得されれば、その意見を受け入れ、その体験を共有することができます。
ある物理学者の友人から、面白いことを聞きました。物理学における「真実」とは、「次の真実がやってくるまでの真実」なんですね。対象物を観察して理論や法則を発見するのが物理学ですが、例えばニュートンが万有引力を発見しても、誰かが「いやいや、その理論にはこんな問題がありますよ。私が証明しましょう、真実とはこうです」と証明すれば、その新しい真実が世界の見方を完全に覆すことになります。
例えば20世紀初頭、アインシュタインの物理的発見(一般相対性理論)によって「異なる世界の見方」が登場しましたが、それと同時期に音楽にも変化が現れました。
また顕微鏡を通して「ミクロの世界」が次々解明された頃、音楽や美術にも同じような変化が起こりました。例えばウィーンの画家グスタフ・クリムトは細胞の連続のような絵を描きましたし、ウェーベルンの音楽も同様です。
相対的な距離感が変化しましたね。20世紀初めは物理的距離間、今はヴァーチャルな距離間です。例えば日本にいる人と気軽にスカイプで話すことができます。距離、つまり時間や空間の概念が変わると世界の見方も変わります。全ては変化していく。インディアンのことわざに、「全てのものが変化するこの世界において、唯一変化しないもの。それは『変化すること』」というのがあるんですよ。
◆ 音楽に対して、「自分なりの視点」を持つこと
だからアーティストや作曲家は、常に新しい要素を見つけようとするんですね。過去の要素の中から新しいアイディアを生み出そうとする。けれど全く新しいものを創り出すのだ、というのは同感しません。例えばピエール・ブーレーズの作品にも、ベートーヴェンのような動きやギョーム・ド・マショーのホケトゥスが入っていたりします。一番大事なのは、「あなたが発見した音楽的要素を持って、何か新しいことをすること」。あなた自身の世界の見方、音楽知識やテクニックを用いることです。
時々、アナリーゼは難しいと感じます。我々は、ある法則や理論に則ってアナリーゼを行います。例えばバッハを伝統的和声に従って分析しようとしますが、それは真実ではない。なぜならバッハ自身は伝統的和声を意図したのでなく、多声(を操る)技術をもって「何か違うこと」をしたのですから。モンテヴェルディも然りです。彼は旋法を元に作り出したものが、全く新しい音楽書法の発明につながりました。でもそこには予め法則などなかった。直感だけです。
理論も大事ですが、常にいかなる状況にも当てはまるとは限りません。アナリーゼとはそもそも「音楽に対して、あなた自身の視点を見つけること」だと思います。そして、あなた自身の感覚や意義を見出すこと。例えばバッハが現代に生きていたらどうか。あるいは、その時代においてバッハはどうであったか、あなたはどういう関係を築くのか―。でなければ、あなた独自の理論を打ち立てることはできません。多くの理論に触れるより、自分の理論を打ち立てるほうが、より音楽に肉迫することができると思います。これは私にとっても大きなチャレンジですね!
音楽ジャーナリストとして各国を巡り、国際コンクール・音楽祭・海外音楽教育などの取材・調査研究を手がける。『海外の音楽教育ライブリポート』を長期連載中(ピティナHP)。著書に『ハーバードは「音楽」で人を育てる~21世紀の教養を創るアメリカのリベラル・アーツ教育』(アルテスパブリッシング・2015年)、インタビュー集『生徒を伸ばす! ピアノ教材大研究』(ヤマハミュージックメディア・2013年)がある。上智大学外国語学部卒業。在学中に英ランカスター大学へ交換留学し、社会学を学ぶ。一般社団法人全日本ピアノ指導者協会勤務を経て現職。2007年に渡仏し「子どもの可能性を広げるアート教育・フランス編」を1年間連載。ピアノを幼少・学生時代にグレッグ・マーティン、根津栄子両氏に師事。全日本ピアノ指導者協会研究会員、マレーシア・ショパン協会アソシエイトメンバー。 ホームページ:http://www.erikosugano.com/