第18回 音楽知識と感覚を結びつけるアナリーゼとは(1)
前回ソルフェージュの記事では、音楽を構成している諸要素を、実際の音楽を用いて学ぶというレッスンをご紹介しました。ではそうして得た知識を、いかに演奏に反映させ、独自の解釈に結びつければよいのでしょうか。今回はパリ国立高等音楽院(CNSM)アナリーゼ科のクロード・ルドー教授(Claude Ledoux)にお話を伺いました。2回に分けてお届けします。 |
◆ 演奏家のためのアナリーゼクラスとは
パリ音楽院には、楽器奏者のためのアナリーゼクラスと、アナリーゼのためのクラス(指揮者、作曲家、音楽学者など)と、二つのコースがあります。前者で5年間、後者で3年間教えました。二つとも違う考え方に基づいています。演奏者のためのアナリーゼクラスは、より良い演奏に繋がるための要素をいかに提案できるか、という考えです。学ぶべき概念や知識がとても多くて、2年では十分とはいえません。もっとも自分も含めて、一生勉強・・ですけれどもね。
クラスは最大15人ですね。生徒たちと密にコンタクトを取るためです。20人以上相手ではただ説明するだけになり、ディスカッションできませんから。このアナリーゼ科を作ったオリヴィエ・メシアンは、全員一人ひとりとコンタクトを取れるようにしていました。
演奏科の学生には、まずアナリーゼの必要性を理解してもらうように努めています。感じたままに弾く生徒もいますが、良い演奏になることもあるし、それほどでもない、あるいは全く感心しない演奏もありますね。個人的に様々な演奏家を知っていますが、例えば「20歳のときは沢山弾けたし想像力もあった。でも50歳になった今、ベートーヴェンのソナタを100回弾いたがそれ以上何をしていいかわからない。」というピアニストもいます。
もしアナリーゼ的な視点を持っていれば、曲の見方を変えることもできるし、より発展させることもできるのです。
例えばアルフレード・ブレンデルは素晴らしいピアニストで、彼は譜面を大変よく見ています。本人の話によると、ベートーヴェン協奏曲を録音するとき、毎回のように演奏を変えているそうです。「全ての楽譜に目を通したり、曲をアナリーゼしたり、今まで知らなかった室内楽曲を知ることによって、新しい視点が得られたから」と。つまり考え方が変わったから、演奏も変化するのです。
アナリーゼはつまらないテクニックなどではなく、音楽そのものに影響を及ぼすことなんですね。
◆ トニック、ドミナント・・・というのは「感覚」
例えば生徒に「今はブラームスを練習しているんだね、じゃあアナリーゼしてみよう」と言います。まず演奏させて、この音楽に何が起こっているのかをアナリーゼしてもらいます。初めに基本的な知識(作曲家について、ハーモニーの構造等)を問いますが、ただ、「ここがI度、V度」というのは面白くないですね。「なぜなのか?」を問いかけるのです。「なぜV度なのか、ドミナントとはあなたにとって何なのか?」
ドミナントというのは感覚であり、ハっという緊張です。トニックとは人間、そして人の安定感を意味します。例えばトニック(安定)―ドミナント(緊張)―トニックに戻る。この場合、ハ長調からト長調への転調はどんな感覚をもたらすか。ブラームスやモーツァルト、ベートーヴェンにとって、この転調は何を意味しているのか。
メタファーに置き換えてみましょう。調性とは、空間の集合を表すとします。ハ長調からト長調への転調は、一つの空間から別の空間へ移動することです。つまり別の空間や別の国に移動することで感覚や感情はより強くなると、個人的な体験から言えます。すると、その作品をどう演奏すればよいか分かりますね。
音楽には、その作曲家が受けた感覚が反映されています。例えばC.P.E.バッハの音楽では、旋律や調性はドラマの一部です。演奏する時、旋律に気を配ること、それは内面のドラマが表現されているからです。また、「今、何調なのか」という調性に配慮することで、今音楽がどこに位置しているのかを知ることができます。そうして音楽を動かしていくことができるのです。
◆ 「楽譜に何が起きているか」を気づかせるための要素を教える
色々な演奏を聴いていると、そのとき演奏家がどのように音楽的要素を感じているかは分かるのですが、どうやってその感情を動かせばいいのか、見えない場合が多いですね。音楽の端々に強いものを感じるが、なにかうまく機能していない。それは曲の始めに感情を入れすぎるため、テンションが次々重なり、どこがテンションの頂点か分からなくなってしまうからです。
素晴らしい演奏家は、楽譜を手にとり、その深い知識を彼らの感覚と結びつけます。例えばモーツァルトの協奏曲を聴いて、ただ「美しい」と感じるときと、20回以上も聞いているはずなのに「おお!」と感激することがあります。なぜか?その演奏家が、楽譜を見てそこに書かれている全ての要素を探して理解し、そこに反映されているものを批評的な視点で見た上で、彼ら自身の感情や体験とうまく結びつけているからです。そうすると完全に独自の演奏になります。このようにアナリーゼをした後、がらっと演奏が変わる生徒もいます。
アナリーゼにおいて一番大事なのは、「私はあなたに真実を教えているのではなく、あなたが『楽譜に何が起きているのか』を気づかせるための要素を教えている。それをあなたの感情と関連づけ、あなたの深いところと結びつけてほしい。それを使って、あなた独自の演奏をしてほしい」ということなんです。
◆ 「音と音の関係性」に、感覚や感情がある
私はベルギーで作曲も教えていますが、「音が重要なのではなく、音と音の関係性が重要」だと伝えています。音楽とは、あなたと世界、あなたと他人の関係性と同じです。
例えば、一つの性質ともう一つの性質が同時に機能しない、するとそこに葛藤が生まれます。この内面の葛藤がベートーヴェンの音楽ですね。この女性に恋している、しかし一方で、自分は貴族階級ではない。この二つの相容れない要素に対して、そこに「自分はどうすればいいのか?」という葛藤がある。これが「関係」ですね。
ええ、でも作曲家の人生で音楽を説明してはいけません。第一に、作曲家は音楽を書いたということ。第二に、自分の個人的体験をもとにその音楽をとらえること。だからアナリーゼが重要なのです。客観的要素を見つけ、そこに自分の主体性を投影していくこと、そしてその要素がもつ感覚をとらえることです。作曲家の人生より大事なのは、人生に存在する「葛藤」です。それはベートーヴェンの人生だけにあったものでなく、誰もが持っているもの。自分の内面にも多くの葛藤があり、それをベートーヴェンの音楽に投影させること、それが独自の演奏につながります。
まず、彼らが書いた音楽を見てください。そしてなぜ、彼はこのテクニックを使ったのかを考えること。例えば交響曲第5番の冒頭"タタタターン"、ここでは「運命がドアをたたいた」という物語が重要なのではなく、音の断片が重要です。ハーモニーがない、次にどこに行くのか分からない、今自分がどこにいるのか分からない、という孤立感。皆さんもそんな経験があるでしょう。その孤立感をとらえることが大事です。そして次のフレーズ"タタタタ タタタタ・・"が続く。こうしてフレーズを築いていくことは、自分の体験から得た感覚を織り込みながら、客観的に空間を築いていく、そして音楽を築いていくことなんです。
ストラヴィンスキーは、「音楽は何も表現していない、ただ音の要素と関係性があるだけだ」と言っていますが、確かにその通りですね。作曲家は音を並べただけ、あとは人がそれぞれの体験を音楽にのせるのだと思います。
それから、フランスにはこんな寓話があるんですよ。―「音楽は寓話ではなく、あなたの人生の一部であり、あなたと作曲家との関係性である。もしあなたが作曲家の人生を音楽に投影させるだけならば、あなたから真実のものが発せられることはない」―。
音楽ジャーナリストとして各国を巡り、国際コンクール・音楽祭・海外音楽教育などの取材・調査研究を手がける。『海外の音楽教育ライブリポート』を長期連載中(ピティナHP)。著書に『ハーバードは「音楽」で人を育てる~21世紀の教養を創るアメリカのリベラル・アーツ教育』(アルテスパブリッシング・2015年)、インタビュー集『生徒を伸ばす! ピアノ教材大研究』(ヤマハミュージックメディア・2013年)がある。上智大学外国語学部卒業。在学中に英ランカスター大学へ交換留学し、社会学を学ぶ。一般社団法人全日本ピアノ指導者協会勤務を経て現職。2007年に渡仏し「子どもの可能性を広げるアート教育・フランス編」を1年間連載。ピアノを幼少・学生時代にグレッグ・マーティン、根津栄子両氏に師事。全日本ピアノ指導者協会研究会員、マレーシア・ショパン協会アソシエイトメンバー。 ホームページ:http://www.erikosugano.com/