第19回 日本人とピアノデュオ(上)
2台のピアノのためのソナタより III:練習曲
これまで、日本人音楽家でピアノデュオにたずさわられた方は数多くいらっしゃいます。このような同胞の先達というべき方々の残された業績、足跡を正確に把握し、積極的に学びとり受け継いでゆくことも、私たちにとって重要な活動の一つと位置づけています。日本国内でピアノ連弾、2台ピアノの作品を取り上げるコンサートは、第二次世界大戦以前から少なからず行われていたようですが、このジャンルでの演奏記録をまとめて紹介した記事・文献はほとんど存在しません。このため、私たちは折にふれて知りえた散在する演奏データを、一つずつ書き留めるような形で記録してきました。例えば、すでに第2回目の連載記事の中でご紹介した、ラザール・レヴィ告別演奏会第一夜の2台ピアノのコンサート(レヴィ、原智恵子、安川加寿子、野辺地勝久の共演)などは昭和20年代の代表的なピアノデュオコンサートというべきものですし、それ以前にも、ウィーンで学んだ名ピアニスト、井上 園子さんが、日本で活躍した有名な指揮者ヨーゼフ・ローゼンシュトックと組んで2台ピアノの演奏会を何度か開催しています。こうした記録はインターネット上に載っていないものも多く、日本近代音楽館(2010年3月に閉館)の保存資料の中から見つけたものもあります。また、1952年に、安川加寿子さんがジュヌヴィエーヴ・ジョワ(作曲家アンリ・デュティユー夫人)と組んで行ったピアノデュオリサイタル(東京文化会館)で、ミヨー「スカラムーシュ」が本邦初演され、日本中で一大センセーションを巻き起こしたことも、知る人ぞ知る歴史的事実でしょう。東京文化会館資料室に保管されている資料の中にも、原 智恵子さん、安川 加寿子さん、アンリエット・ピュイグ=ロジェさんのピアノデュオのリサイタルのプログラムが含まれており、選曲方法や、解説の言葉の使い方などに感銘を受けるところが多くありました。
それでは、日本人の作曲家はどうでしょうか。実は、著名な作曲家のほとんどが、ピアノ連弾や2台ピアノの楽曲を作曲しています。「鯉のぼり」「春よこい」「靴が鳴る」などの童謡で知られる作曲家、弘田 龍太郎の書いた「柳」(1922年)は、日本最古の2台ピアノ作品の一つに数えられる貴重な作品です。私たちは、2005年12月のコンサート「世界音楽紀行」の中で、著作権保持者のご許可のもと、「柳」と併せて同じ弘田作品「おうちの子猫」(2台ピアノ)を演奏しましたが、ともに聴きごたえのある名曲で、ご来場のお客様に喜んでいただきました。このときのライブ録音のCDを取り扱われた或る通信販売業者の方が「本格的なクラシック作品で驚いた」とのご感想をお寄せ下さったことも印象に残っています。また、黒澤映画に多くの音楽を提供したことでも知られる作曲家、早坂 文雄の2つの2台ピアノ作品(「武曲三彩」「序曲ニ調」)などは、私たちがこれから演奏したいと考えている作品の筆頭ですし、ほかにも、尾高 尚忠、小倉 朗、奥村 一、江 文也、高木 東六、松平 頼則、諸井 三郎、清瀬 保二、湯浅 譲二、中田 喜直、間宮 芳雄、三善 晃、一柳 慧、入野 義朗、深井 史郎、宅 孝二、外山 雄三、林 光、塚谷 晃弘、永冨 正之、大木 英子、吉田 隆子といった著名な作曲家の多くが2台ピアノ作品を作曲しています。戦後生まれの世代に目を向けても、近藤 譲、新美 徳英、西村 朗、吉松 隆、座光寺 公明、伊藤 康英などの作曲家が、それぞれに個性的な優れた2台ピアノ作品を書いています。特に、夭折された座光寺 公明さんの作曲・演奏両面における2台ピアノへの積極的な取り組みは注目すべきものがあります。いっぽう、難解な現代音楽ばかりではありません。学習者向きであると同時に、素晴らしい芸術性をそなえた2台ピアノ作品も数多く存在しています。例えば、中根 裕子さんの「さくら貝の唄」「竜神のバラード」「笑う五百羅漢」「天狗のかくれみの」を初めとする多数の2台ピアノ作品などは、これからますます広く弾かれてほしいものです。中根さんご自身で書かれた楽譜の解説(レッスンの友社刊)は、レスナーの方への率直な指針に富むもので、中根さんがいかに2台ピアノに深い理解と愛着を持たれているかがよく伝わってきます。
益子徹(左)と西原昌樹(右) 北島明美さんとともに
2007年2月4日 2台のピアノの午後「赤い絨緞の思い出~ソ連時代の2台 ピアノ作品~」東京都中央区月島 ピアノアートサロンにて
ここでもう一人、2台ピアノにかかわった重要な作曲家として、菅原 明朗氏の名を是非とも挙げておかなくてはなりません。菅原 明朗(すがはら めいろう1897-1988)は、近代日本で指導的立場にあった楽壇の重鎮でした。氏は、作曲家としてあらゆるジャンルに楽曲を残したほか、教育者、啓蒙家、評論家、文筆家としても活躍しました。弟子には、小倉 朗、深井 史郎、古関 裕而、須賀田 礒太郎、服部 正、陶野 重雄など、錚々たる名前が並びます。永井 荷風の台本によるオペラ『葛飾情話』は菅原氏の代表作の一つで、最近当時の台本での復活再演がなされました。菅原作品に2台ピアノ曲「銀河」(1941年。4台ギター版もあり)があることを知って調査を始めた私たちは、幸いにも菅原氏のご令嬢の 北島 明美(はるみ)さんと直接ご連絡を取ることができました。北島さんはすぐに、菅原明朗評論集「マエストロの肖像」(国立音楽大学付属図書館刊)を私たちに贈って下さいました。名匠ならではの鋭い示唆に充ちた音楽評論はもとより、巻末に掲載された作品目録を眺めているだけでも勉強になるほどの浩瀚な一書です。北島さんとは手紙や電話でのやりとりを何度となくさせていただきましたが、2007年2月には、私たちのコンサート「赤い絨緞の思い出」に、菅原 明朗氏のご令孫にあたるお嬢さまとともに北島さんが京都から駆け付けてくださったことは忘れられません。ソ連時代の2台ピアノ作品(ショスタコーヴィチ「2台のピアノのための組曲」作品6、ボリス・チャイコフスキー「2台のピアノのためのソナタ」、シュニトケ「ゴーゴリ組曲(検察官)」)を取り上げた演目を興味深くお聴きいただいたように思います。北島さんからは今も時節のあいさつを折にふれいただいておりますが、いつも「あなたたちのライブラリーに父の作品がないのが残念です」とのお言葉をお書き添えくださるのです。というのも、残念ながら「銀河」は、4台ギター版・2台ピアノ版ともに北島さんのお手元にないばかりか、現在は楽譜の所在自体が不明という、幻の作品となってしまっているのです。北島さんのご助言もいただいて各方面のご関係の方々に問い合わせをさせていただきましたが、現在に至るまで吉報は得られていません。何かご存知の方がいらっしゃいましたら、ご一報いただければ幸いです。私たちはこれからも北島さんとのご交流を続けさせていただきたいと願っております。実は、ごく最近も、私たちが縁あって知己を得た新進気鋭のギタリスト、岡本 拓也さんを北島さんにご紹介したところ、菅原 明朗の貴重なギター作品の譜面をこころよくご提供され、十代の岡本さんの手に菅原作品を委ねるという光栄なお手伝いをさせていただいたところです。ところで、北島さんのご紹介から、私たちはピアノデュオにかかわる、もう一つの大切な出会いに導かれることとなりました。次回はそのお話を取り上げたいと思います。