ドビュッシー探求

「版画」より第1曲「塔」

2008/08/01

今回の曲目
音源アイコン 「版画」より第1曲「塔」 5m50s/YouTube

 「塔」、「グラナダの夕べ」、「雨の庭」の3曲からなるこの曲集は1903年、 ドビュッシーが41歳のときに作曲されました。この作品は、ただの標題音楽ではあ りません。音によって、視覚的なイメージだけではなく、絵画、詩、大自然、異国情 緒などがすべて表現されています。この世界は、その後、映像1、2集、子供の領分 などを経て、不滅の傑作、前奏曲集第1巻、第2巻へと発展していくのです。

 また、この頃のドビュッシーの作品は、仮面、喜びの島など、ピアニスティックな ものが多いのですが、この曲集も例外ではありません。

第1曲「塔」 ドビュッシーは1889年にパリで行われた万国博覧会でさまざまな影響を得たのですが、その中でもジャワのガムラン音楽に衝撃を受けました。東洋の異国情緒に惹かれた結果、ドビュッシーはほぼ15年ほどの歳月をかけて、このような東洋の音楽や風景などを、物まねではなく、独自の表現で表すことに成功しました。バッハはフーガ形式で対位法をつきつめました。バッハに代表される、いわゆるフーガは、主題が繰り返し現れ、複雑にからみあってきます。ドビュッシーは、主題を組み合わせるだけでなく、リズムや和音を組み合わせることで対位法の新しい概念を生み出しました。この作品を演奏するために、実際のガムラン音楽を映像付きで楽しむことはとても重要だと思います。東洋風の5音階、鐘の音、いろいろな打楽器の音色などが複雑に絡み合った作品です。発表された当時からとても高い評価と人気を誇った作品です。

演奏上の問題について
 様々なモチーフが出てきますが、それらの音質、音色を決定して、同じモチーフは常に同じ音質、音色で表現するようにすると良いと思います。例えば、3小節からソプラノで出てくるモチーフの性格、7小節からテノールで出てくるモチーフの性格、11小節から中段で出てくるモチーフの性格、15小節から上段で出てくるモチーフ の性格、これらを決定し、更にリズムを刻む和音などと組み合わせることで拡張された対位法が表現できると思います。

 曲はH-durで始まります。1~10小節ではバスにI和音(3音省略)のオルゲルプンクトが鳴り響き続けます。1、2小節はI和音(3音省略、6音付加)が柔らかい シンコペーションを伴って提示されます。これに第3音、第2音を付け加えることで東洋風の5音階が出来上がり、それが3、4小節になっています。ソプラノに現れる主題は「繊細に、ほとんどニュアンスなしに」と指示があります。細い音質で表現するべきですが、3小節のソプラノは全体として音型が上昇して下降する形になっていますから、ごく自然に、ほんの少しだけフレーズ感をつけると良いでしょう。4小節 のrit. は、ごく軽くしないと2小節ごとに音楽が停滞してしまうと思います。4拍目の3連符にテヌートをかけるようなイメージで良いと思います。5、6小節はIV度上のV7和音ですから、より柔らかい響きに変化させるべきでしょう。7小節から10小節の2拍目まではIV和音(6、7音付加)で、10小節3、4拍目はgis-mollのV和音とVI和音が混ざった響きですが、11小節でgis-mollのI和音に向かうようにした いところです。ここまで偶数小節でついていたrit. が10小節にないのはこれが理由だと思います。この部分までを見ると、ソプラノは2小節ごとに同じモチーフが繰り返され、バスはh, fisのオルゲルプンクトになっていますから、変化している部分は、結局、今述べてきた和声だけです。従って、10小節までを音楽的に表現するには、ソプラノのモチーフとオルゲルプンクトを一定に表現し、和声のニュアンスの変化をしっかりと表現する、そういった対比の感覚が必要になるでしょう。

 11~14小節では、ソプラノは3小節のソプラノで出てきた主題の拡大形で、 アーティキュレーションが変奏されています。しかし、性格は3小節からの部分と同様に、あまりロマン的に歌わない方が良いでしょう。バスはI和音の根音gisのオルゲルプンクトで変化はありません。従って、表情豊かにするのは中声部に新たに出てくる主題でしょう。ソプラノのモチーフと音質、音色を変えて表現するべきでしょう。 ここでは、ダンパーペダル、ソフトペダルを両方使うようにという指示があります。 しかし、音量は、それまでのpp からp に変化しています。1~10小節はソフトペダルを使わないという解釈も成り立つのでしょうが、むしろ、1~10小節は、3小節目にある指示を考えても、ソフトペダルを使うのは当たり前で、11~14小節ではまだ引き続きソフトペダルを使い、盛り上げすぎないようにという指示であると解釈することができます。15小節からは経過的な部分です。バスにはdisとcのトリル音型 が22小節までオルゲルプンクトで響き続けます。これはgis-mollのV7和音のオルゲ ルプンクトと考えても良いでしょう。ソプラノに新たな主題が出てきますが、指示通りの強弱を守るべきです。ここからは動きが出てきますから、ソフトペダルを使わない方が良いでしょう。この上段の部分は、ソプラノ以外の和音の揺れを表現するべきです。特に、ソプラノとそれ以外の部分がほぼ反行形になっているので、収縮する感 じを表現すると良いでしょう。18小節の4拍目から19小節にかけては、IV和音か らI和音への進行を意識したいところです。この部分の上段のgisの有無や#の有無については諸説あるようですが、どちらともいえない部分だと思います。

 19~22小節のメロディーは、11~14小節の中声部のものと同じと考えるべきです。従って、20小節の上段のgisのオクターブは、4分音符のgisのオクターブが重なっていて、それが省略されていて、19小節の2拍目以降の中段のオクター ブ、つまりdis cis fisのオクターブにつながっていると考えるべきです。つまり、こ のオクターブの旋律を1本でつながっているように演奏する必要があります。20~22小節の上段のオクターブの線と下段のバスのオクターブの線の響きのバランスをとりながら、dis cisのトリル音型を滑らかにつなげ、なおかつ、今述べた旋律を11~14小節の旋律と同じように歌わなければいけないので、この部分は多声的な表現をする意味でとても難しいところです。19小節の左右の手の配分は楽譜通りでも良いですが、3番目の8分音符のdisのオクターブの下と、2拍目のhのオクターブの下、3拍目のgisのオクターブの下、4拍目のfisのオクターブの8分音符の下を左手でとって演奏した方が楽な場合はそうしても良いと思います。また、19~22小節 では、69~72小節の部分と異なり、ほとんどmp までの音量に落として演奏するべきです。23~26小節では、3、4小節の上段の主題が2声で線的対位法でからみあっています。性格は3、4小節の上段のものと同じである必要があります。なお、24、25小節の間には大きな跳躍があり、しかも、25小節でsubito pp にしなければいけないのですが、この部分の間をあけてしまうとロマン派的な表現になってしまうので避けるべきでしょう。同じ理由で22小節の終わりではrit. をしないように、また、19小節で少しテンポが速くなったまま23小節以降もそのテンポを持続する必要があります。この部分もテンポを保つのはなかなか難しいところです。

 27~30小節の下段の旋律は一息で、しかも、フレーズ感を出すと良いでしょう。これは33小節からの旋律の予出です。また、ここでsubito で冒頭のテンポにし、しかもsubito pp にしなければいけません。

 33小節からは上段に新たな主題が現れます。これも5音階です。結局、すべての主題が5音階であることがとても興味深いところです。5音階は特徴的なので、どうしてもメロディーのニュアンスが似てしまうのですが、すべての主題を5音階にして、単調にならないのは素晴らしいことです。37小節から現れる下段の主題は大き なうねりとなって41小節からのクライマックスで繰り返されます。同じような繰り返しが46小節から続き、53小節で3小節目からの部分が再現されます。この部分はH-durのI和音に戻るのですが、V和音、IV和音などでカデンツを形成しない特徴があります。特に53小節の3拍目裏で冒頭のテンポに戻る指示を正確に守るべきです。あとはほぼ忠実な再現になっています。73~77小節のcis disのトリル音型は、19小節からの部分と同様になめらかに表現されるべきで、そのために、左右の 手の配分を弾きやすいように変えても良いと思います。19小節からの部分に比べ、このトリル音型は音が厚くなっていますから、大きく弾きすぎるとバランスが悪くなります。響きとしては従属的であることに注意してバランス良く響きを作ると良いでしょう。

 80小節からのコーダは、バスがh a e d cis hと下降していき、中声部では、3~10小節の主題、そして37~39小節の主題が息長く歌われます。上声部では5音 階和音のアルペジオが伴奏になっています。響きのバランスとしてはバスとソプラノの響きをバランスよく配置し、そこに中声部のメロディーを浮かび上がらせると良いでしょう。決して、上声部のみが目立つようなバランスは避けるべきです。また、和 声の変化による色彩の変化もつけると良いでしょう。80、81小節はI和音、82、83小節はIV度上のV度和音、84、85小節はIV7和音、86、87小節はVI和音、88~94小節はV度上のV度系和音、95小節以降がI和音となっています。 94~95小節はフレーズを大きめにとって良いと思います。80小節以降の強弱の指示は、いま述べた和声の変化を表現するためについていると考えて良いでしょう。 上段のアルペジオですが、同時和音のポジション移動としてとらえるとうまく弾けると思います。例えば、80小節では、下降するときと上昇するとき、2の指はcisからdisにポジションがかわり、他は変わりません。それを認識すると良いでしょう。

 常にバスの全音符の音を聴きながら他の声部を演奏するように心がけると響きのバランスが良くなり、立体的な響きを作ることができると思います。


金子 一朗(かねこいちろう)

1962年東京都に生まれる。早稲田大学理工学部数学科卒。本職は中・高等学校の数学科教諭。ピティナピアノコンペティション全国決勝大会で、ソロ部門特級は2003?4年ともに入選、コンチェルト部門上級で2004年に奨励賞、グランミューズ部門A1カテゴリーで2004年に第1位受賞。2005年における同コンペティション ソロ部門特級でグランプリ(金賞)および聴衆賞、ミキモト賞、王子賞、日フィル賞、文部科学大臣賞、読売新聞社賞、審査員基金海外派遣費用補助を受賞。 第1回ザイラー国際コンクール・イン・ジャパン・フリー部門第2位。第1回北本ピアノコンクールH部門第1位、合わせて全部門での最優秀賞を受賞。2004年10月にリスト国際コンクールマスタークラスにてレスリー・ハワード氏の公開レッスンを受講、オランダ大使館にてリスト国際コンクール主催の演奏会に出演。2005年1月、円光寺雅彦指揮東京フィルハーモニー交響楽団と共演。2005年5月、テレビ朝日「題名のない音楽会21」に出演し、現田茂夫指揮東京交響楽団と共演。 これまでにピアノを角聖子、神野明、北川暁子、K.H.ケンマーリンク、森知英、田部京子の各氏に師事。また音楽理論を中村初穂氏に師事。
著書に『挑戦するピアニスト 独学の流儀』(春秋社刊 2009)

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