名曲喫茶モンポウ

第01回 ギロックを味わう

2008/06/23
第1回ギロックを味わう
 いらっしゃいませ。カフェ・モンポウにようこそ。もうすぐ梅雨の季節ですね。湿気のせいでピアノの反応も悪くなってきてうっとうしく思われている方も多いと思います。こういう陰鬱な時期だからこそ、ひとつ、雨がパッと美しく見えてくるような珠玉の小品をご紹介しましょう。
雨の日のふんすい 【♪ 試聴する  】

 どうですか?これは、アメリカの作曲家、ウィリアム・ギロック(1917-93)が子どものための教材として書いた小品のなかの1曲なのですが、彼の音楽は実に親しみやすくセンスのよい佳曲ばかりなので、教材としてのみならず、コンサートピースとしてもっと広く取り上げられて然るべきだと思います。稀代のメロディーメーカーで、「音楽教育界のシューベルト」といわれたほどだそうです。
 和声語法というのは発展を続けてきましたから、現代の作曲家が古いスタイルで音楽を書くと、そこにモダンでキャッチーなコード進行がひょっこり顔を出し、それがスパイスになって新鮮な響きをもたらすことがあります。ギロックはジャズスタイルの音楽なども書いていますが、このようなクラシックスタイルの作品でも、シンプルな音づかいのなかに、ジャズやポップス的なコード進行やハーモニーを随所に取り入れていて、それが、音楽をより新鮮でかつ親しみやすいものにしていると思います。彼の音楽の人懐っこい魅力でしょう。
 ギロックの曲は、標題音楽的な、具体的な情景を描写したものが多く、それを美しいメロディーとハーモニーでわかりやすく音楽化しているので、聴いていてとても楽しいです。大人のピアニストのみなさん、コンサートのレパートリーにギロックを加えてくださいませんか(笑)? また、先生方はぜひ小さい生徒さんたちのレッスンに取り入れてみてください。

 さて、続いて、もう2曲、ギロックの小品をお聴かせしようと思います。

叙情小曲集より
   「秋のスケッチ」
 【♪ 試聴する  】/「飛翔」 【♪ 試聴する  】

 これらは、「叙情小曲集」の中の小品ですが、原題はLyric Preludes in Romantic Styleなので、直訳は、「ロマン派様式による叙情的前奏曲集」となります。ショパンの前奏曲などと同様、24の調性で書かれた24曲から成っていますが、どれもすてきな小品ばかりです。きょうはほんの"さわり"だけご紹介させていただきましたが、ぜひ弾いてみてくださいね。音符が少なくシンプルなので、初見の練習にも良いのではないでしょうか。

《 研究 》

 ギロックの小品には具体的な標題がつけられていますが、どれもその情景が生き生きと浮かび上がってくるような、音のメルヘンの世界です。ところで、音楽を聴いて、音楽とは無関係の情景が眼前に迫ってくるのはなぜでしょうか?

 作曲家は、何かを描写するために、音楽のなかにさまざまな仕掛けを施します。たとえば、空間における事物の運動を音符の運動に置き換えたり、対象の形状を特定の音型に置き換えたりといった具合です。これは音楽によるメタファー表現で、あたかも音で絵を描いているようなので音画的手法などと呼ばれますが、ギロックの音楽にはこの手法がふんだんに使われています。

 「雨の日のふんすい」では、右手で終始繰り返される16分音符の上昇音型が、噴き上がる水のようすを連想させ、左手の4分音符によるポルタートの旋律がぽたぽたと落ちて噴水とたわむれる雨滴を連想させます。きわめて音画的な作品と言えるでしょう。
 このような音画的な作品では、具体的な情景を思い浮かべて弾くと、イメージが音楽表現を導いてくれる面があって効果的です。演奏にあたっては、右手は、噴水の水をイメージして、同じ音型の反復のなかで水の流動感を表出するように心がけるとよいと思います。左手は、そこにぽたぽたと降ってきて噴水に同化する雨滴をイメージして、個々の4分音符の音の粒には透明感をもたせながらも全体の響きとしては溶け合うように意識します。描写された対象の質感もふくめて、演奏で再現できれば素敵ですよね。途中、"隠し味"として小節の頭に現れる、チャーミングな前打音やアルペジオも、イメージを広げさせてくれます。
 ハーモニーは、冒頭の付加6のコードや、冒頭4小節のドミナント・ペダル(属音Cの保続)の扱いからしてジャズ的と言えると思います。モダンで美しい響きのなかに、洒脱な"味"が出せれば素敵です。
なお、私見ですが、この曲はつくりや発想が、同じ雨を題材にしたドビュッシー「雨の庭」(「版画」第3曲)と良く似ており、ギロックが着想のヒントにしたのはほぼ間違いないのではと考えています。

♪ ドビュッシー「雨の庭」
ドビュッシー「雨の庭」

 「秋のスケッチ」は、終始下降音型のモチーフから成り、繰り返される下降音型が、落ちてゆく葉の描写を想わせます。
 演奏上の問題としては、前半、分散和音が旋律のあとから浮かび上がるので、旋律を弾く際に、背後のハーモニーを予感しながらバランスに充分留意する必要があります。旋律が突出して響きのなかに入らなくなってしまいやすいからです。後半の美しいゼクヴェンツ(反復進行)では、過ぎゆく秋をいとおしむように、美しいハーモニーを噛み締めるようなルバートをちょっとかけると素敵だと思います。順次進行で下降する旋律の経過的なパッセージは、突出すると響きがにごってしまいますから、ハーモニーをよく聴いてタッチのバランスに気をつけてください。

 「飛翔」は、上昇音型の3連符のモチーフから成り、高みに向かうエネルギーが感じられます。冒頭から12小節間も続くトニック・ペダル(バスの主音Esの保続)は響きに安定感をもたらし、大空の雄大な広がりをイメージさせてくれますよね。何かに向かってはばたく、その対象へのあこがれを感じながら弾くと良いと思います。そこに向かう希求のエネルギーによる勢いを停滞させないように。

「飛翔」

 こんなところでしょうか。
 どうも、私の気ままなおしゃべりに長々と耳を傾けてくださいましてありがとうございました。またのご来店、お待ちしております。
 皆さんもぜひ、ご自分でお弾きになって、ギロックの小品の夢のような世界を肌で感じてみてくださいね。

演奏・ご案内 ―― カフェ・マスター:内藤 晃
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内藤 晃(ないとうあきら)

 栄光学園高校、東京外国語大学卒業。桐朋学園大学指揮教室、ヤルヴィ・アカデミー(エストニア)にて指揮の研鑽を積む。チャリティー、施設慰問等の演奏活動に長年意欲的に取り組み、2006年度、(財)ソロプチミスト日本財団より社会ボランティア賞受賞。外語大在学中、CD「Primavera」(2008年3月)でピアニストとしてデビュー、「レコード芸術」5月号誌上にて特選盤に選出され、「作品の内面と一体化した純粋な表現は聴き手を惹きつけてやまない」(那須田務氏)などと高く評価される。

 現在、ピアノ、指揮、作曲、執筆の各方面で活躍。ピアニストとして、ソロ、アンサンブルの両面で幅広く活動するほか、監訳書にチャールズ・ローゼン著「ベートーヴェンを"読む"―32のピアノソナタ」(道出版)、校訂楽譜に「ヤナーチェク:ピアノ作品集1・2」「シューベルト=リスト:12の歌、水車屋の歌」(ヤマハミュージックメディア)がある。谷口未央監督による映画「仇討ち」(田原拓主演・ソーシャルシネマフェスティバル2012優秀賞受賞作品)、「矢田川のバッハ」(冨樫真主演・ショートストーリーなごや2012入賞作品)の作曲、音楽監督を務める。2013年、楽譜CDセット「マリンバ・フェイバリッツ」(野口道子編著・共同音楽出版社)のピアノ演奏を務め、伴奏譜の編曲にも参画する。横浜市栄区民文化センターリリス・レジデンス・アーティスト。(社)全日本ピアノ指導者協会(ピティナ)正会員。

 これまでにピアノを城田英子、広瀬宣行、川上昌裕、加藤一郎、デイヴィッド・コレヴァー、ヴィクトル・トイフルマイヤーの各氏に、指揮を紙谷一衛、レオニード・グリンの両氏に、音楽理論を秋山徹也氏に、古楽を渡邊順生氏に、ジャズコンポジションを熱田公紀氏に師事。

ホームページ http://www.akira-naito.com/

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