第153回 最後の作曲
2009/11/27
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1、マズルカ・ヘ短調作曲
ジェーン・スターリングとフランコムの話によると、ショパンはシャイヨにいるときに、マズルカ・ヘ短調を作曲していたという。シャイヨには1849年5月頃(6月とも言われる)から9月22日までいたが、その間に作曲していたということになり、マズルカOp68-4が絶筆だということになっている。 しかし清書はされず、ショパンの下書きの自筆譜は判読が難しく、ショパンの死後にこの自筆譜をもっていた友人のフランコムが清書を行うが、中間部ヘ長調の部分を省いてしまったという。 そして1855年、フォンタナ監修のもとで、Op68-4として死後出版される。
その後、ショパン研究者らが、省かれた部分の復元を試みた楽譜が出版されたりしている。
ジェーン・スターリングとフランコムの話によると、ショパンはシャイヨにいるときに、マズルカ・ヘ短調を作曲していたという。シャイヨには1849年5月頃(6月とも言われる)から9月22日までいたが、その間に作曲していたということになり、マズルカOp68-4が絶筆だということになっている。 しかし清書はされず、ショパンの下書きの自筆譜は判読が難しく、ショパンの死後にこの自筆譜をもっていた友人のフランコムが清書を行うが、中間部ヘ長調の部分を省いてしまったという。 そして1855年、フォンタナ監修のもとで、Op68-4として死後出版される。
その後、ショパン研究者らが、省かれた部分の復元を試みた楽譜が出版されたりしている。
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