第034回 その後のショパンとシューマン
2005/02/10
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2、ショパンが書いたシューマンの名前の綴りについてショパンは「Schumann」を「Schuhmann」と「h」を余計につけて書いていた。
このことについて、ショパンが間違えたという説がある一方で、ドイツ語には当時「h」をつける旧正書法というものがあり、間違いとは言い切れない、という説もある。
ただ、シューマン自身は手紙などでは「Schumann」と書いており、生涯一貫して「h」は余計につけずに自分の名を綴っていたので、ショパンがちゃんとシューマンがサインしたものや手紙を注意深く見ていなかった、とも言える。
3、プレイエルカミーユ・プレイエルはピアノ製造業者でショパンと親友でもあった。
「プレイエル」はショパンお気に入りのピアノであった。
4、友人達への献呈プレイエルはプレリュード集Op28を、フォンタナ(ワルシャワ時代からの親友)は2つのポロネーズOp40を献呈された。
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1、失礼なショパンシューマンがショパンに「クライスレリアーナ」を献呈し、その返礼にショパンは「バラード2番」をシューマンに献呈したが・・・ショパンは、その頃ほかにも献呈する友人プレイエルがいたので、プレイエルに好きな曲を選ばせ、残った「バラード2番」をシューマンに献呈したという内容の手紙が残されている。