第016回 リストとショパン
2004/05/28
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2、ピアノショパンは繊細な表現のできる軽いタッチの柔らかい音のする「プレイエル社のピアノ」を好み愛用し、リストは派手で大音量の出る「エラール社のピアノ」を好んでいた。
3、孤高のショパンリストなどパリの音楽家仲間達と親しくつきあっていたショパンだが、本当に心の底から親しく付き合うことができたのは同郷のポーランド人だけであったようだ。
そして、ショパンはロマン主義の音楽家仲間の「音楽と文学、絵画との融合」という考え方とは一線を引いていた。自分の作品が文学的あるいは絵画的に解釈、表現されることを嫌い、標題的なタイトルをつけられることを嫌がった。
リストは「ショパンは我々の中では常に異邦人であり続けた」と言っている。
こうして、リスト、メンデルスゾーンなどパリにいた音楽家仲間達は時とともにパリを離れていき、生涯最後までパリに残ったのはショパン一人であった。
4、リストから見たショパンリストはショパンの死後もショパンの作品を愛し、演奏会プログラムに積極的にショパンの作品を加えていた。こうして、ヨーロッパ各地をショパンの曲で演奏してまわったリストのおかげで、ショパンの曲は人々に知られ、広まっていったという。また弟子たちにもショパンの曲を教え、音楽に関する評論や著書にもショパンに対し最高の評価をし、賛辞を惜しまなかった。
そんなリストのショパンのことを回想した手紙が残されている。「ショパンは魔術的な天才でした。誰とて彼に比肩するものはない」と。
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1、リストとショパンについてリストはショー的なアクロバット奏法で聴衆を惹きつけていたらしく、シューマンは「リストは聴くだけでなく、まず見なくてはいけない」と言った。そして「リストに匹敵するピアニストはショパンである」と評した。またハイネも「リストに較べるとどんなピアニストも見劣りするが、ショパンだけは例外である」と言い、バルザックは「ハンガリー人のほうが悪魔なら、このポーランド人は天使である」と評している。
ショパンの鋭敏、繊細さはリストに一歩も譲らなかったという。このようにショパンはリストに唯一対抗できる存在として見られていた。