第013回 浪費家ショパン
2004/04/09
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2、友人ドミニクへの手紙1833年の初め頃のその手紙にショパンは「僕は第一級の社会に入るのを許された。いかなる奇跡でこうなったのか分からない。」とも書いている。ロッシーニの地位でさえ、音楽家は、サロンの裏口からしか出入りを許されなかったが、ショパンは自家用馬車を乗りつけ、玄関から出入りをしていた。
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2、友人ドミニクへの手紙1833年の初め頃のその手紙にショパンは「僕は第一級の社会に入るのを許された。いかなる奇跡でこうなったのか分からない。」とも書いている。ロッシーニの地位でさえ、音楽家は、サロンの裏口からしか出入りを許されなかったが、ショパンは自家用馬車を乗りつけ、玄関から出入りをしていた。
1、浪費召使を雇い(これは当時の音楽家たちにとっては前代未聞のことであったらしい)、自家用馬車をもった。友人ドミニクへの手紙にも「君は僕が相当お金を貯めていると思っているんだろうが、馬車と白い手袋代が収入以上にかかるんだ。でも、こういうものがないと上品ではないのだ」と書いている。
社交界では、いかに品良く見せるかが重要なので、こういったものにお金がとんでいったようだ。 さらに、身に付けるものはもちろん、他にも時計、香水、カフスボタン、櫛などの小物は全て一流品で、家具の調度品にもこだわったという。部屋には花が飾られ(ショパンは花が大好きである)この花代もバカにならなかったらしい。
これらはショパンの美意識がなせるワザだったかもしれない。
その上、オペラと観劇が好きで、これらにかかるチケット代も半端ではなかった・・・というわけで、当然、貯金などできるはずもなかった。