ショパン物語

第008回 パリへの道中

2004/01/23
ショパン物語 第8回

1、旅券ワルシャワ蜂起があったといえど、まだロシア支配下にあるポーランド人はロシア大使館で旅券の手続きをしなければならなかったらしい。ロシア側は、革命家が集まっているパリにポーランド人を行かせたがらなかったので、ショパンは「パリ経由ロンドン行き」のヴィザを申請したのだった。
ただ、結局旅券はとれたものの、ロンドンでなくミュンヘン行きに変更されてしまったという。パリへ行くにもロシア側の監視が厳しく、いろいろと面倒な手続きがあったようだ。

2、ミュンヘンでの演奏会ショパンは、ホ短調の協奏曲と「ポーランドの歌による幻想曲」を演奏したという。
定期刊行物「フローラ」に次のような評論が残っている。
「高度なテクニックと繊細な魅力にあふれた演奏」「モチーフの独特な処理が特に注目された」「全体としては見事な出来」「満場の拍手を浴びた」などなど。

※参考文献
小沼ますみ「ショパン若き日の肖像」
音楽之友社 1989年

林 倫恵子(はやしりえこ)

漫画家・ピアノ指導

ホームページ:http://www.rock.sannet.ne.jp/kiga2hon-dayo/
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