第007回 孤独なウィーン生活
2004/01/09
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2、当初のワルシャワ蜂起軍最初は蜂起軍に有利に展開し、ワルシャワ市内のロシア軍を追い出したようである。そして革命政府が樹立し、ショパンには家族や友人達の無事は確認されていた。
3、この頃ショパンの作曲状態ウイーンでは出版できなかったが、マズルカ作品6、作品7、ワルツ作品34?2、管弦楽付ポロネーズ(作品22)を書き、スケルツオ1番とバラード1番に着手、ノクターン作品9、作品15にも取り組んでいたらしい。(これらは後に出版されることになる)
4、ショパンの手紙この頃、ショパンは孤独で不安の日々を過ごしていたようだ。
「街でティトゥスに似た人を追いかけてしまいます。昨日は後姿からてっきりティトゥスだと思ったのに、いまいましいプロシャ人でした」という手紙が残されている。
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1、当時のウイーン音楽事情ショパンの音楽活動がうまくいかなかった理由として、ポーランド人がオーストリア人に嫌われたほかに、シュトラウスの音楽が大人気で、商売第一の出版商はよく売れるワルツしか印刷したがらなかったという。