海外留学や視察旅行を通して、外国の教育や演奏の最前線を目の当たりにし、驚きとともに学んでいた1970~80年代。1990年代に入ると、以前よりも留学しやすくなった時代だからこそ、留学することの意義を深く問うたり、日本で準備できることを再確認したり、あらためて海外でどのように音楽を学ぶのかを問い直した人も多いのではないだろうか。「私の留学体験」(152号p4-7)。
様々な国際コンクールとの提携が進んできた。1995年には日本モーツァルト音楽コンクール優勝者がモーツァルト国際コンクール(ザルツブルグ)へ派遣され、同コンクール各部門第1位には日本招聘を実現するマダムフクダ賞が授与された。この他、エリザベート王妃国際コンクールやジーナ・バックアゥワー国際コンクール・ジュニア部門などの入賞者も、日本へ招聘することに。一方、ピティナ会員の海外での活動、海外アーティストとの共演など、海外交流はさらに深いレベルで進んでいく。(176号p54-56)。 1991年にはヨーロッパにおける姉妹団体であるEPTA国際大会で、ピティナヤングピアニストが演奏した(157号p4-9)。写真は同大会でのパネルディスカッション風景。
いつの時代も、国際コンクールは最先端のピアノ教育を知るきっかけになる(「リーズ国際コンクール見学記」中井鈴子先生、154号p16-19)。またこの頃から、海外の検定や入試が日本でも受けられるように。英国王立音楽検定(ABRSM)の理論検定グレード8 を受けた先生は、"音楽教育"の定義の広さに驚いている。「今回の問題はほとんど作曲系の問題で、ひとつオーケストラの総譜を示しての楽典的問題がありました。僕は経験上和声学対位法は勉強しましたし、仕事でオーケストラの総譜はよく見ますのでビックリはしませんでしたが、これが作曲家や指揮者のためのテストではなく、すべての音楽学習者に対する基礎理論のテストであると考えると、範囲の広さ、知識の深さに対する要求が高いのにはビックリさせられました」(小澤純先生、169号p54)
海外渡航も簡便化し、教室単位で諸外国と交流したり、海外研修旅行へ出かける先生方も(札幌コンセルヴァトワール、182号p66-67)。また行き先はヨーロッパに限らず、中国などアジア方面も増えてくる。(中国の音楽学生交流演奏会に参加して、迫田時雄先生178号p3)