ピティナ創設から四半世紀を過ぎた1990年代。会員も着実に増え、コンペティションや指導セミナー、フェスティバルなどの事業も定着してきた頃。これまでの経過が「歩み」として数回にわたりまとめられている(会報150号参照)。コンサートやコンペティション参加料の会員割引など、会員特典も年々充実化。90年代後半には会報に付録CDがつき、10代の演奏家シリーズ、入賞者記念コンサート、指導セミナー紹介、音楽鑑賞講座などが収録された(211号p90)。1994年にピティナ会長職にあった羽田孜氏が内閣総理大臣に就任された(179号p49)。現在、ご子息の羽田雄一郎氏が副会長を務めている。
1997年、ピティナ・ピアノステップが創設された。すべてのピアノ学習者・愛好者が自分の進度やペースに合わせた選曲でステージに立てるとともに、ピアノ指導者自身がステーション運営をすることによって地域音楽活動の活性化にもなるという、画期的なシステムである。ぐんぐん人気が高まり、創設から20年近く経った現在はコンペを上回る参加者を得ている。こちらは当時の地方新聞記事より(203号p77)
全国各地に支部や連絡所が設立されてネットワークが緻密になったほか、LAや香港にも連絡所が設置された(213号p95)。また自発的かつ独自性ある支部単位の活動も増えていく。名古屋支部では「あしながおじさんコンサート」として、コンペ中部日本本選出場者、国際コンクール参加や留学予定者を対象に選考。また全国生涯学習フェスティバル「まなびピア」が毎年順繰りに各県を巡り、主催者である地方自治体とともにピティナ支部も深く関わった。1993年の宮城では250名が出演した「3歳から91歳までのまなびストによるコンサート」(169号p18-21)、1994年の愛知では「ピアノと電子楽器の響演」(176号p4-9)など、独自色を打ち出している。そんな支部を紹介する連載「わが町、わが支部」 (159号p30-33)、「支部を訪ねて」(178号p28-31)も好評を博す。
生涯学習の提唱とともに、増えてきたシニア世代のピアノ学習者。1990年にはコンペにシニア部門が創設され、42組(デュオ2組4名含む)が参加した。生涯を通じた音楽愛好者のためのコース、専門家に準ずる実力者の生涯学習のためのコース、資格は一切問わないデュオコースからなる。 また実年ピアノ教室が各地で募集され、中には定員の3倍から10倍以上の応募があるほどの大人気ぶり!「ピアノが弾けた!」という嬉しさを噛みしめる方(169号p24-27)、徴兵で中断したピアノを再開して発表の夢を叶えた方(173号p46)など、それぞれの想いは熱い。会報では「ピアノを弾き始める実年世代」として621名のアンケートを元にした特集も組まれた(184号p2-9)。 生涯学習は若い時から。東京六大学ピアノ連盟など、勉強と音楽を両立する学生も(204号p72-73)。
ピティナ会報では、会員や支部のニュースのみならず、音楽雑誌・書籍紹介や音楽業界全般のニュースも扱っている。「学校だより」コーナーでは音大の入試・合格者情報や、最新動向なども掲載された。1992年には、東京声楽音楽学校が昭和音大となり、新たに設置された生涯学習センターでリカレント学習講座が開催されたことが報告されている(166号p52)。
1990年代になると、音楽文化醸成を目指した法整備も進んでくる。1994年11月、音楽文化の振興のための学習環境の整備等に関する法律が成立。音楽振興を謳う初めての法律で、音楽環境整備や音楽イベントへの財政援助が期待されるとある。これを推し進めてきたのは、ピティナも理事を務める音楽教育国民会議であった(182号p95)。 また、学校、家庭、地域社会のあり方を見直し、これからの時代を生きる子供達に望ましい人間形成を図る観点から、1992年より第二土曜日が休業になった 。ピティナは「家庭の中から音楽を、家庭の中に音楽を」というテーマでホームコンサートを開催。こうした音楽文化の中から、音楽一家も生まれた(166号p57-60)。