<ピティナ50周年を振り返る>子供の教育編~1980年代

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2016/05/31
ピティナ50年を振り返る
子供の教育編~1980年代
◆ 子供の教育編
①出発点が大事!末長い視点で考える音楽教育
81号表紙画像部分

音楽教育は出発点である幼児期が大事!折に触れて様々な先生が言及しているが、三善晃先生も『未来に生きる音楽教育』 と題して寄稿している(81号p2~5)。特に"音楽を勉強することと、情操を高めることとは、直接関係はない"という一文は、真の情操教育につながる音楽教育とは何かを再考するため、今でも折に触れて考えたい。なお1980年代の子どもたちは「シラケ世代」と言われたようだ。クラシック音楽が生きながらえるためには、そんな子供の教育から立て直しが必要だという問題提起もある(90号p10-11)。アプローチは変わっているが、いつの時代も、子供時代が大変重要であるという認識には変わりはない。

②コンクールの盛り上がりと、「良い演奏」とは何かの問いかけ
81号p14右下写真

「良い演奏」とよく言われるが、実際はどのような演奏を指すのか?コンクールが始まったこともあり、「良い演奏」が何を意味するのか、迷いも大きかった頃だろう。(84号 p30)。コンクールとはいえ、音楽を学ぶ本質からそれないように、との願いも込められている。写真は中田喜直先生とヤングピアニストたち。

③演奏を楽しむということ
73号表紙画像部分

コンクールで良い成績を挙げ、その後も長く第一線で活躍されている方は、皆さん、コンクールのステージを楽しんでいる! 若林顕さん 「楽しい!」(当時中1、73号p7)、 有森博さん「ピアノを弾くのが一番好き!」(当時中1、81号p10) 、永野秀樹さん「音楽が大好きです。歌うのも(合唱団に入っています)、音楽を聴くのも、もちろんピアノを弾くのも、また他の楽器を弾くのも好きです」(当時小6、86号p7)

④結果だけを求めず、日常生活にも目を向けること

コンクールが始まった当初は、コンクールに向けてどのように学び、その結果をどう受けとめればいいのか、多くの試行錯誤があったはず。またコンクールに集中するあまり、他の勉強や楽しみや日常生活が疎かになってしまったり。海外招聘審査員マーティン・キャーニン先生は決勝講評でこう述べている。「このようにコンテストを 受けることは大変有意義なことですが、それと同時に、皆さんが日常生活で体験されることは、もっと大切であるということを、付け加えさせていただきましょう。...これからもますますピアノのお勉強を続けられ、特に芸術としての音楽を追求することによって、"世界が必要としているもの"に答えてほしいと思います」(92号p4)。スポンサーも思いは同じ。「音楽を人生の中で、本当に大事にしておられる方を選んで頂くよう、審査員の先生方にもお願いしている次第です」(日本テレビ賞授与、92号p4)。

⑤上級を育てるためにどうしたらよいのか、探る日々
104号p15画像

上級者をどう教えたらよいのか。というより、子どもから大人まで一貫してどう本質的な学び方ができるか。これは時代を問わず重要な論点である。田村宏先生の講評より。「小さなお子さんは皆上手い。しかし上級になるほど期待した程は面白くなくなってきました。小さいお子さんは自然に表情をつけて伸び伸び弾いているのに、上の方になると段々作為的になってくるのです。...フレーズや全体の流れを考え、もちろん細部までさらうことは当然ですが、最終的には作品全体を離れて眺め、大きくまとめるようにすることが必要ではないかというご意見がございました」。そんな中、特級に出場した福田直樹氏は惜しくも入賞は逃したものの、音楽的かつ個性豊かな演奏であったとして海外審査員ヨゼフ・バノウェッツ氏私費より500ドルを授与された。福田氏手記から、その音楽の見方が伝わってくる(104号p14-15)。

⑥子どもによるページ
98号p13イラスト部分

子どもによるページには、ヤングピアニストによる日記やお便りが生き生きと綴られている。「ピアノ日記」(88号 p18-19)や 「ヤングピアニストのページ~綾の日記」(98号p12-13)は、毎日の練習の様子や楽曲と向き合う姿がリアルに伝わってくる。 「ピティナヤングピアニストからの便り」(92号p12-14)は、会報を通して全国の子どもたちが知り合うきっかけに。

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