<ピティナ50周年を振り返る>1970年代〜組織発展への一歩

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2016/04/18
ピティナ50年を振り返る
組織編
◆ 組織編
ピアノ指導者の全国ネットワーク化へ
第1号表紙

ピティナ50年の最大の取り組みは、やはりピアノ指導者の全国ネットワーク化である。30余名で始まった組織(創設当時は東京音楽研究会)が、2016年現在は15000名。50年間で約500倍に拡大した。(会報第1号全頁

東音ゼミナールの開催
第4号表紙

最先端で本質的な音楽教育を探究すべく、中山靖子先生、田村宏先生、市田儀一郎先生など、多くの先生方のセミナーが開催され、会報でもその詳細がリポートされていた(4号p4--7 中山靖子先生ブルグミュラー&子供のためのソナチネレッスン誌上紹介)。 また「現代音楽を子供の音楽教育に生かすために」(26号 三宅榛名先生)など、作曲家によるセミナーも多く、教育者と作曲家の接点を見ることができる。なお木下保先生による「やまとことばを美しく」は、協会の原点である。(5号p2--3

全国のピアノ指導者へ呼びかけ
第2号表紙

各県の音楽事情のリポートが毎号会報に掲載されたり、「あなたの意見をお寄せください」などの呼びかけや、「私はこのように指導しています」という会員からの投稿を紹介することも。現場のアイディアを取り入れるべく、「わたくしの指導メソード」「教師のための教養講座」などの連載や、「おさらい会」の報告などが紹介されている。(2号 大分の音楽事情リポート11号 会員からの質問・意見など掲載

各地で研究グループ結成へ

会報でも度々「地方でも研究グループを作ってください」と呼びかけており、少しずつその声が各地の指導者に届いている。「いろおんぷの協和会」「創作指導研究グループ発足」「リトミック研究」などが発足。そして1977年にはバスティン先生来日ツアーが行われて好評を博し、全国各地でも「バスティン研究会」が結成されていき、今に至る。 (65号p12 創作指導研究グループ68号p1、2 バスティン先生来日

5年、10年・・継続して活躍する会員も
53号表紙写真部分

会員番号1番は、現在も活躍する杉谷昭子先生である。1970年代には、現ピティナ理事の播本枝未子先生がハンブルグより帰国の折に研究部第1期講師を務めたり、バスティン研究でおなじみの藤原亜津子先生によるあつみ会報告など、新しいエネルギーも組織の活性化に。 1970年代半ばになると、10年会員も出てくる。(53号表紙 松崎伶子先生(現ピティナ理事)宅でエドワード・アゥワー先生を囲む会66号武田宏子先生「10年会員プロフィール」)

支部の設立も着々と

支部も全国各地に着々と設立されていった。那覇市支部よりピアノ通信第1号発刊の知らせが会報に寄せられたり(63号p10p15)、岡山支部発足にさいして会員の声が寄せられている(67号p12) 。

会員組織の存在意義とは

「 この研究団体の運営が、会員相互の力によって支えられている時、本当の意味で存在価値があるのではないかと思います。人は自分にとって価値ありと思うものに惜しみなくお金を支払うものだということをようやく知りえたように思います。 ですからこれから経済的に一本立ちできるか否かは、参加する人たちにとって価値あるものであるかないかのバロメーターになるのではないか と思います。すなわち、<東音>の本当の出発はこれからだと言えるでしょう。」(44号 福田靖子先生「創設の頃~ 東音5周年にちなんで」 50号 福田靖子先生「和音調子」スタート!)

音楽業界全体の活性化を目指して
第6号表紙

楽器店やピアノ工場訪問などを通して、音楽関連企業・団体とのコミュニケーションを深めている。第1回目はカワイピアノ梅田ショールーム(会報5号)、日本楽器銀座店訪問記(6号)、カワイのピアノ工場見学(6号)などが続く。また新聞記事や月刊誌、楽譜・レコード発売情報、コンサート情報など、音楽業界全体の動きを捉えている。(63号p11-13

ピアノの成長記録のために、子供のコンクール創設へ
第69号表紙

ピティナ・ピアノコンペティションは1977年に創設された(初年度はピティナヤングピアニストオーディション)。その数年前からグレード別の子供のコンクールが企画されていた。会員によるグレード試験案も紹介されている。(64号p4

INDEX
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