今年、ピティナは50周年を迎える。創設当時、ピアノ業界はどうであったのか、この50年で何が変わったのか?これから1年かけてゆっくりと振り返りたい(2017年2月、ピティナ創立50周年記念イベントが開催予定)。今回はまずそのお知らせを兼ねて、創設時についてまとめてみた。
1966年、ピティナは東京音楽研究会として会員数30余名から始まった。ピアノ教育の裾野を担うプライベートのピアノ指導者は全国にいたものの、活発な情報交換や人材交流はあまりなく、事実上ほぼ孤立していた状態だった。そこでピアノ学習の普及と音楽文化の振興を目指して、ピアノ指導者の全国組織化に取り組んだ。そして現在、会員約15000名の全国組織に成長した。
50年前はコンクールもステップもなく、海外の教育事情や才能の育て方も共有されておらず、発達心理や脳科学の研究もなく、ピアノ指導者一人一人の顔や活動状況も見えない時代。しかし当初から、音楽やピアノ教育に関する本質的な議論がすでになされていた。たとえばこちら。
- 「演奏家も独自の意見を持つべきです」(原博先生、会報2号『演奏家もお手を』より)
- 「ピアノは表現手段の一つ、表現するものである<音楽>をまず教えて」(三浦みどり先生 、会報3号『先ず音楽を愛する子供を』より)
- 「音楽の本当の姿はその内側にあるのであって、これを探り出すのが演奏家の創造性であり、喜びであるのです」(大島君子先生、会報9号『ピアノの道 』より)
音楽の本質が深く認識され、取り組むべき課題が真剣に議論されていることがわかる。「音楽には何が大事なのか?それをどう教育すればよいのか?」これは時代を問わず、大きなテーマである。このような問題意識が全国で共有・実践されるまで、何年もの努力と試行錯誤が重ねられた。その一例がコンクールやステップである。その過程で、新しい評価方法や学び方が研究されていった。
今、50年前に目指した世界はどのくらい実現しているのだろうか。実現されたもの、現在も取り組んでいるもの、また当時の予想を超えるほど発展したものもあるだろう。たとえば、小学生でもショパンを達者に弾くことは想像されていなかっただろうし、ピアノ指導者がそれぞれご自分の持ち味を発揮してステーションを立ち上げたり、ステージで弾いたり、全国的に交流を深めることも想定されていなかったかもしれない。生涯学習という概念も一般的ではなかっただろう。
50年で様々なサイクルを経験したからこそ、今あらためて何が必要なのか、これから何ができるのかが見えてくる。そこでまず50年前の取り組みについて、5つに分けて振り返りたい。
- 会報アーカイブは、ピティナ・アプリで一部ご覧いただけます。