黒田亜樹先生が主催した「ミラノ国際ジュニピアノコンクール派遣オーディション」にて選抜され、去る6月にイタリアのジュニア向け国際ピアノコンクール「Piano Talents」で、見事カテゴリー最高位に輝いた下岡萌々子(したおか・ももこ)さんと高尾奏音(たかお・かのん)さん。
指導者、保護者のお二方から現地の参加レポートをいただきましたので掲載させていただきます。ピティナCrossGivingご支援くださった皆様に、改めて御礼申し上げます。
下岡萌々子さん
高尾奏音さん
6月12日から16日に行われた「ミラノ国際ジュニアピアノコンクール(Piano Talents in Milano)」に下岡萌々子が参加させて頂くことになり、6泊8日の行程でイタリアに行ってまいりました。
このコンクールの派遣者を決定する、3月3日に行われました「ミラノ国際ジュニアピアノコンクール派遣オーディション」で、萌々子さんが幸運にも派遣者(渡航費・コンクール参加費支援)として選出され、それからの3カ月、この日を迎えることをとても楽しみに、準備を進めてきました。
12日広島空港から出発、成田、チューリッヒを経由して、ミラノに到着しました。海外は今回が初めての萌々子さん、飛行機も3歳の時乗って以来・・・広島空港で飛行機を見て「わ!大きい!」と歓声を上げる姿を見て、「大丈夫かな~」と少し心配になったのですが、全くその心配は無用で、元気いっぱいに今回滞在するホテルに到着いたしました。
ホテルでは今回、派遣オーディションから今回の全てのことを企画、お世話下さる、イタリア在住の黒田亜樹先生、黒田先生の生徒さん親子、そして今回のもう一人の参加者、高尾奏音さん親子が笑顔で出迎えて下さいました。
今回、黒田先生が参加者、関係者の宿泊先として手配して下さっていたホテル「カ・ビアンカ」は、広い敷地内にゆったりと建てられ、同じ敷地内に大きな音楽ホールもあり、そこのピアノはほぼ24時間練習が可能、他にもホテル内には2台のグランドピアノがあり、練習には全く不自由せず、大変快適に過ごすことができました。
広島に住む私たちは、東京での全国大会となりますと、いつも練習室探しに苦労し、慣れない電車に乗って右往左往・・・それだけで疲れ果ててしまうのですが、今回はそんな心配は無用!萌々子さんは毎朝5時には練習を開始、合間には広い中庭を鳥のさえずりを聞きながら散策・・・という夢のような毎日を送りました。
彼女の参加するCカテゴリー(11~13歳の部)本番は到着の翌々日と言うことで、翌日は練習のあとドゥオモやアーケード街を観光、そのあと一つ上のDカテゴリーを見学に、会場に足を運んだりもしました。
Cカテゴリー本番当日、午前中の練習を終え、タクシーで会場に向かいました。会場となっているカーサヴェルディ(ヴェルディの家)は、イタリアの作曲家、ジュゼッペ・ヴェルディが晩年、音楽家たちが安心して老後を送れるようにと私財を投げ出して作った、音楽家のための保養施設です。ここにはホロヴィッツ氏が寄贈したベヒシュタインが置かれ、今回のコンクールもこのピアノを使用して行われました。
まず我々は、建物内のヴェルディのお墓にお参りし、それから会場に向かいました。このコンクールの今回の参加国は23カ国・・・Cカテゴリーは24名のエントリーで、イタリアの他、ロシア、スペイン、ブルガリア、チュニジアなど様々な国からの参加者がありました。本番前のリハーサルの時の指導者の振る舞いにもお国柄を感じ、私はそのあたりも興味深く見学させて頂きました。
萌々子さんの演奏順は18番目・・・12分以内の自由曲ということで彼女が選んだ曲はショパンの即興曲第3番と、プロコフィエフのピアノソナタ第6番「戦争ソナタ」第4楽章です。冒頭、やはりいつもとは違う空間での演奏に、やや硬さも感じましたが、すぐに自分の世界を作り上げ、実にのびやかに彼女らしさが溢れる演奏を聴かせてくれました。終了後、鳴りやまない拍手・・・ステージ袖では、他の参加者のお母さまが、抱きしめてキスして下さった・・・とあとで聞きました。その後の休憩の時も、彼女の周りにはたくさんの方が駆け寄って下さり、抱きしめて下さったり、「素晴らしかったよ」と声を下さったり・・・その様子には、本当に感激しました。
結果、彼女は98点と言うCカテゴリー最高点を頂き、ASSOLUTO(最高位)として特別表彰して頂きました。今回Aカテゴリーからは最高位が出ず、Bカテゴリー(8~11歳)の最高位が一緒に参加した高尾奏音さん、Dカテゴリー(14~16歳)最高位はAdam Balogh君、Eカテゴリー(17~19歳)最高位はAdrian Nicodim君となり、4人の最高位の中、2人が日本からの参加者という、素晴らしい結果となりました。
翌々日行われたファイナルでも萌々子さんは、意思のある、素晴らしい演奏を聴かせてくれました。直後「ブラボー!」と歓声、鳴りやまない拍手・・・感激で胸がいっぱいになりました。この日は、カーサヴェルディで暮らすたくさんの元音楽家の方々も、見学に訪れておられましたが、その方々からも終了後、たくさんのお褒めの言葉をかけて頂けたことは、忘れられない思い出となりました。
大賞はDカテゴリー、ハンガリーのAdam君(15歳)でしたが、聴衆票は彼と同数を得たと聞きました。彼女がいつも言っている「聴いて下さる方の心に響く演奏がしたい。」と言うことは、確実に実現できたと思います。
その夜、シャトー・モンフォルトという素晴らしいホテルに場所を移し、記念演奏会が開かれました。大人たちは疲れでフラフラになっている中、萌々子さんは全く疲れも感じさせない集中した演奏を披露してくれ、演奏後3度もカーテンコールを頂いておりました。
またこの記念演奏会で、初めて客席から大賞受賞のAdam君の演奏を聴いた萌々子さん(ファイナルの時は、出場者は舞台裏にいたので・・・)は、その素晴らしさに涙が出たと言っておりました。帰りのタクシーの中でも「どうしてあんな音が出せるんだろう・・・」と興奮気味に話しており・・・今回のコンクール出場で、今後やるべきこと、自分にまだ足りないもの、目指すもの・・・たくさんのものが見つかったのではと思っております。
私は幼少のころから彼女の類まれな才能に接し、できるだけ早い時期に、本場の空気、文化に触れさせてあげたい・・・とずっと思っておりました。今回このような機会を与えて下さった皆さま、CrossGivingでご支援を下さったピティナ会員の皆さま、ピティナ本部の皆さま、彼女を暖かくご指導下さり、今回の派遣オーディション参加の背中を押して下さった松本和将先生、そして、審査の合間、朝に昼に夜に我々の宿泊するホテルに駆けつけて下さり、演奏のこと、生活面のこと、全てに渡りサポート下さった黒田亜樹先生、そして黒田先生のご家族、ご友人の皆さまにこの場を借りて、深く深く感謝申し上げます。ありがとうございました。
この派遣オーディションは隔年で実施されると聞きました。このように素晴らしいことを1人でも多くの方が体験できるよう、このオーディションがずっと続くことを心から願っています。また、ささやかではありますが、今後は一支援者として、応援していきたいと思っています。
6月12日、娘の奏音(かのん/10歳)にとって、はじめての国際コンクール参加のため、成田空港でイタリア・ミラノ行きのアリタリア航空に搭乗した。私も海外への渡航はいつも主人や息子(奏之介)と一緒なこともあって、娘と2人での海外渡航には言葉の不安もあり、心配を伴うものだった。でも、今振り返れば全てが私の杞憂。いつしか心配は一気にどこかへ飛んで行った。まず、成田空港ではアリタリア航空の方からこんなお出迎えを頂いた。「高尾様ですね、この度はイタリア・ミラノでの国際コンクールへのご出発、おめでとうございます!頑張っていらして下さいね!」との激励のメッセージ。このことで急に緊張の糸が切れたようにリラックスして飛行機に乗れる。空港を発ってからも機内には日本人添乗員が2人、言葉で困ることはない。「イタリア行きは、アリタリア航空を使った方がいいよ!」これは、今回のピティナ・ミラノ国際ジュニアピアノコンクール派遣オーディションで出逢うこととなったミラノ在住ピアニストの黒田亜樹先生の言葉だ(以後、亜樹先生)。亜樹先生は、ミラノ在住で1年に何回も日本とイタリアを往復されていることもあって、その辺りの勘所がおわかりの方。その意味もおのずと理解できた。今回のミラノ行きは直行便での手配を希望していたものの、日程と飛行機の都合でローマ経由となったが、全てをアリタリア航空で手配していたので、途中、ローマでの乗り換えに心配していた私に、亜樹先生から、「大丈夫よ、もし乗り継ぎで問題が発生してもオール・アリタリアだから、すぐに次の便でくればいいから」との安心な言葉。こんな風にピティナの派遣オーディション以降、娘も私も亜樹先生からは沢山の事を教えていただき、飛行機・ホテルの手配では旅行業者のご紹介までしていただいた。「何から何まで御世話になるとはこのことか」と思う程にお世話になってしまった。この場をお借りして、黒田亜樹先生に心より感謝の意を表したい思いです。本当にありがとうございました。 さて、ローマ経由の乗り継ぎも何とか無事に出来て、飛行機はミラノへ。ミラノでは、亜樹先生のお知り合いの方が「TAKAO」の札を持って待って頂いている!もちろん、事前にこのあたりも打ち合わせの上だが、こんなことまでしていただいて、到着時間17時50分のミラノの空はまだ青くて、綺麗で晴れやかなスタートとなる(なんて明るい未来を感じる空!ミラノは夜の21:00まで空が明るい)。そこから、お待ち頂いた方と一緒にタクシーで「ホテル・カビアンカ」へ。カビアンカ・ホテルは、ミラノ市街からタクシーで約15分、コンクール会場もすぐの場所に位置し、心が落ち着くような美しい庭園の中にバラが綺麗に咲いている。カントリー風なお洒落で可愛いお部屋、とても温かくフレンドリーなホテルの方、そんな素晴らしい環境の中にピアノが3台ある。おそらく他のコンクール出場者は、ピアノの練習をするのにも一苦労であったのではないか、と思うところ、私達が泊まったこのホテルでは、今回ご一緒した下岡萌々子さんと共にこの3台のピアノを上手く練習に使える環境がしっかりと整っていた(この手配もすべて亜樹先生のアドバイスに従ったもの)。こんな嬉しい環境が全て揃った万全の体制で私たちはコンクールに臨むことができた。亜樹先生はこのコンクールの審査員の一人として12日から審査に臨まれている。そんなお忙しい中、私達が環境に早く慣れるようなご配慮、食事会の設定までしていただいた。美味しいイタリアのお肉料理のお店で、娘の奏音もコンクールに向けた緊張を忘れるひととき...みんなで熟成された生肉や美味しいパスタに舌鼓を打つ。
いよいよコンクール当日、会場はカーザ・ヴェルディ。交差する道路から中に入ると19世紀を代表するイタリアのロマン派音楽作曲家(代表作「椿姫」「アイーダ」等のオペラ)ジュゼッペ・ヴェルディ(Giuseppe Fortunino Francesco Verdi)の大きな銅像が見える。コンクールに使われるホールは300人位入れる規模でヨーロッパらしい時代を感じる趣がある。ホールの中には1886年にジョヴァンニ・ボルディーニにより描かれたヴェルディの肖像画がある。そして何より、コンクールで使用するピアノは、かのホロヴィッツから寄贈されたもの。ピアノを弾く者としてはこれ以上ないような設定だ。世界23カ国から集まった95人のコンテスタントが各カテゴリーに分かれて、それぞれ決められた時間内での演奏を繰り広げる。審査員長はバルツァー二先生。イタリアのピアノ界重鎮である。その他、計9名の審査員による審査が終日続けられる(亜樹先生もそのお一人だが、私達の引率者ということで私達の審査からは外れられていた)。奏音はBカテゴリーに参加。当日朝、タクシーで会場に向かい、初めての国際コンクールということで、緊張するものと思っていたが、とても気持ちよく演奏することができたようだ。亜樹先生からのアドバイスもあり、日本でのお辞儀をヨーロッパスタイルに変えて(スカートの裾を手で持ってニッコリ笑うのみ)、弾き終わった後の表情も固くなく柔らかだった。日本と違い、審査員からのブラヴォーの声も上がり、順番がラストだったこともあって、審査員の沢山の先生から審査会議に向かい会場を出る途中で、奏音にハグ、Good Jobのサインなど頂いた。通訳の方から聞いた話では、聴衆の皆さんからも「涙が出た」、「鳥肌が立った」などのコメントが溢れていたそうだ。日本人で唯一、このカーザ・ヴェルディにお住まいの素敵な音楽家のおばさま(このカーザ・ヴェルディは芸術家しか住めないルールのようで、6月にこの方の特集がNHKで放送されたばかりなのだそうです)が駆け寄られて、「一緒にヨーロッパの演奏旅行企画がしたいわ、いい?」とのお話もいただく等、審査結果前から天にも登るようなひととき。そして審査結果発表の時間となり、それぞれの点数が壁に貼られての発表。95点以上が第1位(復数可)、最高位と思うコンテスタントに98点以上をつけるルールの中、審査員全員からの満場一致の99点を頂いたそうで、最高位(ASSOLUTO:1名のみ)を頂くことができた。今回のコンクール全体での最高点にもなるのだそうで、本当に幸せな経験となった。世界各国のジュニア・ピアニストとの交流の場もコンクール期間中にあり、とても大切な時間であった。異文化に驚き刺激を受けて、慣れない環境にすぐさま馴染み、精神を整えてゆったりした心で舞台に臨むこと、大舞台で3回もの演奏をすること、違う原語の人達とのコミュニケーションの取り方など、沢山のことが奏音にとっては大いに勉強になったものと思う。亜樹先生をはじめ、現地の方々、スタッフの方々、審査員の先生方にたくさん可愛がって頂き、ASSOLUTOも受賞でき、音楽を通じて分かり合えるという経験が出来たことは何より有難かった。さらに、バルツァー二審査員長からもとても気に入って頂き、亜樹先生のご配慮で帰国前にレッスンの機会まで頂戴できた。この機会を通して、娘は一回り強く、大きくなったような気がする。
奏音は今、見つけた課題に取り組み、沢山勉強をし、ピアノももっと頑張って、「またイタリアに行きたい」と胸を弾ませている。本当に素敵なミラノの思い出。この思い出は、思い出で終わること無く、未来に向かっての絆をしっかりと創りあげてくれた。今回のピティナ・オーディション合格、そして、Tokyo-Milanoチャオ・ステーション代表でいらっしゃる黒田亜樹先生との出逢いを契機に10歳の女の子の将来がミラノの空のように広く、青々と美しいものに変わりそうな予感さえ感じている。
今回、派遣オーディションに関係頂いた黒田亜樹先生、ピティナの皆様、この派遣オーディションにご寄付を頂戴した皆様、熱心にご指導頂いた松崎右多子先生、多くの関係する皆様のおかげでこのような素晴らしい経験をさせていただいたことに心より感謝申し上げます。そしてまた、同じような子供たちが増えていくことを心より願っております。
「本当にありがとうございました!」&「グラッチェ!」。