5月21日(土)、いわきステーション代表の細渕裕子先生(福島県いわき市在住)が避難所でのコンサートを企画し、伊賀あゆみさん・山口雅敏さんご夫妻が出演しました。「復興を祈るコンサート」及び被災地のリポートをお届けします。(主催:ピティナ、協力:ピティナいわきステーション、協賛:心の復興音楽基金)
山と海に囲まれた緑豊かな東北の地を、未曽有の大地震が襲ってから2か月。地震に続く津波と原発事故は、美しい景色を変え、人々の運命を変えた。自然の猛威の前に人間は無力なのか・・そう誰もが心に問いかけただろう。しかし同時に、心の底に眠っている力を呼び覚まされた方も少なくない。
細渕先生ご自宅前にて。この高台から遠く海の方まで見渡せる。
学生時代からピティナの活動をされていた細渕裕子先生は、20年前に神戸からいわき市へ引っ越しされた。緑に囲まれた高台の角地に建てられたご自宅は、遥か海の方まで見通せる出窓つきのレッスン室がある。3月11日も、ここでレッスンを行っていた。「地震の瞬間、スリッパのまま生徒と一緒に外に出て、30分間しゃがみこんでいました。目の前で2筋の地割れが起こり、向かいの山から土煙が一面に上がりました。遠くの方でドーンという鈍い響きが聞こえましたが、後になって、あれが津波の音だったことに気づいたのです。あんな恐怖は人生で初めてでした」。30分後に家の中に戻ると、物は散乱し、内壁には亀裂が何本も走っていた。そしてグランドピアノは飛び跳ね、15センチも動いていた。
高台の眼下にある中学校では体育館の天井が一部落ちたそうだが、ちょうど卒業式が終了した直後で生徒がいなかったのは幸いだった。その日からこの中学校と少し先にある小学校が、福島第一原発付近に住む方や津波被害に遭った方々の避難所となった。
以前この避難所にいた子供たちが折った千羽鶴。
長崎県の子供たちが贈ってくれた応援のメッセージ。
ポスターを避難所のスタッフが手作りして下さった。
会場の方と連弾
桜の季節が過ぎ5月に入ってからは、震災直後の物資不足も落ち着き、人々が街中に戻り始めた。しかし避難所生活を送っている方や、自分で生活を始めるも日々の生活や仕事に困窮している方々もまだ多い。だからこそささやかな「日常」の有難さを噛みしめる。ある生徒さんご一家は避難所からいわき市内アパートに自力で移り、細渕先生から借りた電子ピアノでラフマニノフなどの練習に励んでいるそうだ。避難所では校内にピアノがあっても音を鳴らすことが憚られ、今やっとの思いで得た「日常」を何より愛おしんでいる。
そんな中、細渕先生は「音楽で何かお役にたてることはないだろうか」と日々考え、避難所内でのコンサート実現させるために市内の小中学校に何度も掛け合ったそうだ。何校か断られた末、「ぜひやりましょう!」と承諾を得たのが中央台南小学校だった。
一方、かねてから被災地での演奏を熱望していたのは、現在丸の内ピアニストとしても活躍する伊賀あゆみさん。東京のご自宅で、やはり人生初の大地震を経験した。「音楽は無力かもしれない、でもピアニストとして何か自分でもできることがあれば・・・」と、今回ご夫妻でいわき市まで足を運んだ。
会場となった中央台南小学校は、震災直後1千名程の被災者を受け入れていたが、現在はご高齢者を中心に80余名となっている。スタッフは楢葉町職員の他、長崎県職員や神戸市からのボランティア、保健師など10名前後で、週末にはボランティア弁護士も訪問する。これまで何組かの芸人やミュージシャンも慰問コンサートのため訪れたそうだ。体育館入り口には、以前避難していた小学生数人が追った千羽鶴が飾られていた。1枚1枚に未来への祈りが込められている。
ピアノは、四方の扉が開け放たれた広い体育館の片隅に置かれていた。久々に蓋が開けられ、澄んだピアノの音が鳴り始めると、銘々の場所で身体を前に向け、音楽にじっと耳を澄ませてくれた。この日のプログラムはロマン派が中心で、ショパン『子犬のワルツ』のブギウギ編、シューマン『トロイメライ』やシューマン=リスト『献呈』、シュトラウス『美しき青きドナウ』の連弾など。会場の方にご協力頂き、1音だけ弾いてもらいながら伊賀さんと連弾するという試みもあった。
一番前で聴いていた女性は、携帯で動画を撮りながら熱心に耳を傾けていた。「自宅にはピアノがあったんですよ・・」と訥々と語ってくれた。避難区域にある家に残してきたネコ数匹も気掛かりだという。「音楽と数学が好き」という齋藤真衣さん(中3)は、「子犬のワルツが良かったです」。一度音楽を聴いたらメロディをすぐピアノで弾けるそうで、音楽が心の友となっている。原発付近の楢葉町に住み、2・3か所の避難所を経てここにやってきたそうだ。兄の嵩寛さん(高1)は、現避難所から自転車で40分かけて高校へ通学する毎日で、真新しい社会の教科書を開いて勉強していた。武家の末裔だそうで、将来は「警察官になりたいです」と笑顔を向けてくれた。
皆それぞれの思いを抱え、この場所に集まっている。しかしどこにいようと郷土の原風景はいつも心の中にある、そんな思いを代弁してくれたのは最後の連弾『ふるさと』だった。シンプルな懐かしいメロディが、心にそっと囁きかけてきた。
海岸付近の建物は軒並み被害に遭い、沿道の店は現在も手つかず状態である。
コンサートの後、細渕先生が車で小名浜の海岸まで連れて下さった。この地区は津波で壊滅し、死者200名、行方不明者が600名程出たそうである。震災直後はゴミや瓦礫が散乱し、船が数百メートル離れたトンネル手前まで流されてきたそうだ。港に停泊している船はどれも激しく損傷し、沿道の木々は塩害で茶褐色になり、津波の直撃を受けた家や店は、壁の一部と柱数本を残してかろうじて立っている状態である。しかしすでに車道は綺麗に掃除され、元通りに修復されていた。どの地域だったか忘れたが、道路修復工事の速さは世界的にも報道されている。また2か月前はゴーストタウンのようだったといういわき駅前も、10日ほど前に駅前ビルが再開し、お店は大勢の人で賑わっていた。
細渕先生は「この街で6年前にステーションを立ち上げ、ステップなどに力を注いできました。震災直後は大変でしたが、今は街に人が戻り、県内外の各地からも人が集まってきています。今回伊賀さんご夫妻にお越し頂いて嬉しかったです。これからもいわきから音楽を発信していきたい」と、いわきへの愛と音楽への思いを語って下さった。
大震災から2か月経ち、「果たして音楽は役に立つのだろうか?」と誰もが自問自答した時期から、今は「音楽でも何かができる、何かお役に立ちたい」という信念と行動に変化してきている。国内外でも多数の慈善演奏会や義援コンサートが開かれ、楽譜やピアノを贈るという音楽家ネットワークも生まれている。近くでも遠くでも、支援したいという気持ちは尊いものである。
そして改めて、音楽は無力ではないと感じる。作曲家が音楽に込めたのは、心の吐露であり、郷土の愛であり、未来の希求であった。それは今を精一杯生きる方々の心に、そっと寄り添うと信じたい。
取材・執筆:菅野恵理子