「敬老の日」が不要な老人

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2006/09/18

今日は、妻の両親と敬老の日を祝いました。

約10年前、妻の両親は、孫の面倒をみるために巣鴨に引っ越してくれました。今も子供は、2つの家を行き来しながら、情緒豊かに育っており、妻の両親のお陰と感謝しています。

「敬老の日」は、多年にわたり社会に尽くしてきた老人を敬愛することを趣旨としています。老人になると社会への貢献度が低くなるので、過去の功績までトータルに見渡して感謝しようとしているのだと思います。

我が家では、今まさにお世話になっている最中なので特別に「敬老の日」を設けて意識する必要はないのかもしれません。私自身も、生きている限り人の役に立ち、敬老の日が不要な老人になりたいと思っています。

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