第6回出演者 本多昌子先生よりメッセージ

昨年5月から始まった「二人の作曲家シリーズ」、次回が最終回となりました。

そもそもこの企画を思いついたのは、ある男の子の言葉。夏休みの宿題に出されたシューベルトについて調べる、図書館で借りてきた本を読んでいた彼は、

「シューベルトってベートーヴェンに会っていたんだね。ベートーヴェンの事を尊敬していたけどなかなか会えなくて、ベートーヴェンが死ぬ間際に会えたんだね」

私達がよく耳にする作曲家たち、実際に交流のあったものもあれば、心の中で慕い、憧れだけで終わっている関係もある、だけどその存在が彼の作品のどこかに漂っているのでは?

点でしかなかった作曲家、その点と点とを結んでみよう。6回、ほんの一握りの組み合わせでしたが、これがきっかけで私自身も色々なつながりを探ってみたいと思っています。

さて、シューマンとブラームス、あまりにも有名な二人です。
シューマンの妻クララは、名ピアニストであり、よき妻であり、沢山の子供達の優しい母親でもあり、、いつの時代でも女性だったら誰もが憧れるでしょう。
ブラームスとシューマン夫妻との出会いは、ブラームスが17才のとき、ハンブルクでの二人の演奏会でした。心が大きく動かされたブラームスは、20才の時にデュッセルドルフにすむシューマンの元に弟子入りします。そのころのシューマンは精神的に病んでおり、ブラームスが訪れた翌年1854年にはライン川に投身、精神病院に収容され、1856年帰らぬ人となってしまうのです。


精神的に不安定だったシューマンを支えたのはクララであり、シューマンの死で悲しみのどん底にいたクララを支えたのは、ブラームスでした。その支えには、沢山の愛情があり、それぞれの音楽に滲み出ていると思います。

そして、晩年のブラームスにはもう一つの出会いがありました。
1891年、マイニンゲンを訪れたブラームスは、宮廷管弦楽団のクラリネット奏者ミュールフェルトに出逢います。彼の演奏に感激したブラームスは、早速クララに「ミュールフェルト以上に美しくクラリネットを吹く人間はいません」と報告しています。そのころのブラームスは、作曲の仕事が進まない日々、、ミュールフェルトとの出会いで、クラリネット三重奏曲、五重奏曲、2曲のソナタと名曲が生まれたのです。

人との出会い、大きな感動、そして生まれてきた名曲、その音楽は、何百年も時代を超えて今なお私達に語りかけてくる!
その感動を、杉並公会堂で共有出来たら嬉しいです。

本多昌子

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第5回出演者 権 龍模さん(vn.)、干野 宜大さん(pf.)インタビュー
◆ 今回のテーマであるリストとパガニーニの生きた時代について、また共通点は?
〔干野さん〕
楽器の飛躍的な発展に伴って、作曲家や音楽家が技巧的な限界への挑戦が活発になされていたという、非常に意欲的な時代だと思います。もちろんパガニーニの存在は、様々な作曲家に衝撃を与えましたし、リストの存在もまた後の作曲家に多大な影響を与えています。リストは自分より以前の音楽も取り入れましたし、またそれまで構想されたことがないような未来の音楽も柔軟に取り入れていった作曲家だと思います。
〔権さん〕
パガニーニはリストよりも一世代上のヴァイオリニストでしたが、ストラディヴァリウスやアマティといった楽器製作者たちの楽器の性能の完成とともに、ヴァイオリンのテクニックを確立した人物だと思います。そして、今現在でもその当時からヴァイオリンの性能というのはほとんど変わっていません。
〔干野さん〕
ピアノに於いても、リストが作った基本的なテクニックの土台というのは現在にもほとんど変わらず受け継がれていますので、この点が二人の共通点と言えますね。
◆ 「悪魔的」というイメージが強い二人の作曲家ですが・・・
〔干野さん〕
僕はリストの作品は非常に高尚で神秘的だと思います。晩年は僧侶になったことからも非常に信仰深い人だったと思いますし、それが作品からも読み取ることができます。また、リストは編曲作品(トランスクリプション)を多く残していることもよく知られています。当時はほとんど演奏されることのなかったシューベルトの作品や、ロッシーニやベッリーニ、ヴェルディなどのイタリア歌曲を手掛けていますが、その数は圧倒的にシューベルトの作品が多いですね。当時シューベルトのBdurの最後のソナタを知る人はいなかったのですが、誰も知らないその長大な作品を自らのリサイタルできちんと取り上げた人物こそが、リストだったのです。そういったことからも、彼にとってシューベルトの存在はかなり大きいものだったのではないかなと感じています。
〔権さん〕
パガニーニは、長い手先と鷲鼻が特徴的で、風貌も人格も悪魔的といいますか、非常に変わり者であったと伝えられています。実はパガニーニの作品は、彼の生前は全て彼自身が管理をしており、一切楽譜の出版をしていませんでした。自分のテクニックや作品を人に知られたくなかった、という意向から、その全容は彼自身の中に留められていたそうです。それでも彼は自分自身をプロモーションし、売り出す能力には優れていましたね。
〔干野さん〕
リストも同様にそういうところがあったと思います。彼を見て失神するようなご婦人方がいたように、自分の魅力を何倍にもして表現し、虜にさせてしまうような見せ方がうまかったのでしょうね。
◆ ご一緒にコンサートやCD制作も行っている名コンビのお二人ですが、初めての共演はいつですか?
〔干野さん〕
実は僕たちは15~6のときから一緒に演奏しているんです。それからはお互い留学したりということもあったのでずっと会っていないこともありましたが、今回ヴィルトゥオーゾの作品を取り上げるという企画でお話をいただいて、ヴィルトゥオーゾ的な視点から曲を伝えてくれるのは、作曲もされる権さんしかいない!と僕は真っ先に思ったんです(笑)。
〔権さん〕
いやいや、そんなことはないですけど・・・(照)。作曲も大学を卒業してからするようになりましたが、実は最近は楽器の研究もしていて、もうすぐ自ら設計を手掛けたヴァイオリンも完成する予定なんです。ストラディヴァリウスのヴァイオリンや、トルテの弓の研究を重ねた自信作です!!1月7日にはなんとか間に合わせて完成させる予定ですので、コンサートではその楽器を使用するつもりです。う~ん、間に合うかなぁ・・・。
〔干野さん〕
ぜひ間に合わせてくださいよ!!
◆ 今回演奏していただくリストの「ハンガリー狂詩曲第13番」は、干野さんご自身が編曲されていますが、聴きどころは?
〔権さん〕
干野さんは、楽譜を深く追求し、音楽の解釈を単に伝統だけでなく、アカデミックに表現しています。曲に迫力もありますし、しっかりとした分析に基づいた内容になっていますので、幅広い方に楽しんでいただけると思います。
〔干野さん〕
この曲集に対しては、同じハンガリーの作曲家であるバルトークが当初は酷評していたんですね。バルトークはハンガリーの民謡を長い時間をかけて収集し研究した人で知られていますが、一方リストはハンガリーにはほとんど住んでいなかったし、ハンガリー語も話しませんでしたので、恐らくバルトークは真のマジャール音楽を知らない人が付け焼刃的にノリで作った作品を認めたくなかったのでしょうね。しかし後になってその言葉を撤回して、「まぁまぁの作品ではないか。」と訂正しています。確かに雰囲気はよく掴んでいるのですが、バルトークが不満だった部分というのは、いわゆるマジャール的ではないということ、ハンガリー語の発音が表現される部品が足りないことや、マジャール音楽では欠かせないツィンバロン(弦をバチで叩く楽器)やテケルーなどの楽器の要素が足りない点が大きいのではないでしょうか。そういった部分をよりふんだんに織り交ぜてアレンジを加えてみたかった・・・というのが、僕がこの曲を選んだポイントですね。とはいっても、感覚で演奏したいと思っていますから、皆さんも難しいことは考えずに感覚で聴いていただけたらと思います。
◆ 最後に、メッセージをお願いします!
〔干野さん〕
来年はショパンの1年遅れで、リスト生誕200周年を迎えます。2011年はリストの作品を聴くことが多くあると思いますが、実は僕も2011年11月26日(土)にリスト作品を集めたリサイタルを行うことになっているのですが、偶然にもその第1弾として1月7日(金)にリストとパガニーニを取り上げます。技巧的な部分を難しく考えずに楽しんでいただけたらと思っていますので、権さんの新作ヴァイオリンの音色とともにご堪能ください!

関連リンク

・干野宜大さん  ホームページ | 動画集
・権龍模さん   ホームページ | 動画『天国からの手紙』


第4回公演終了しました
水谷稚佳子さん(ピアノ)、本城菊乃さん(ソプラノ)
水谷稚佳子さん(ピアノ)、本城菊乃さん(ソプラノ)

清々しい秋晴れの中、2010年度の杉並公会堂ミュージックブランチシリーズ後半が開催されました。日本を代表する作曲家、山田耕筰と中田喜直の日本歌曲ということもあり、プログラムの歌詞を見ながら思わず口ずさんでみたくなった方も多かったのではないでしょうか?

歌曲だけでなく、三宅榛名さん作曲によるピアノ独奏作品≪「赤とんぼ」の主題による5つの変奏曲≫や、この公演の為に高嶋圭子さんによって編曲された連弾作品≪小さい秋みつけた≫も、耳馴染みのメロディーが心地よく沁み渡り、聴衆の拍手を誘いました。

アンコールには、誰もが懐かしさを感じる「赤とんぼ」を全員で歌い、会場は日本歌曲の温かさに包まれ、短い時間を惜しまれながら幕を閉じました。

次回のミュージックブランチは、2011年1月7日(金)10:30開演、権龍模さん(ヴァイオリン)と干野宜大さん(ピアノ)による「超絶技巧の世界~リストとパガニーニ~」です。華麗なテクニックによる煌びやかな演奏をお楽しみに!


第4回演奏者よりメッセージ

今回は日本歌曲の中から同じ歌詞に何人かの作曲家が曲を付けている事に着目してみました。外国曲でもよくありますが、同じ詩なのに全く違った感じの曲が付いている事が多いのは興味深いです。 詩自体、詩人が作った時に、詩として完成された物であるはずですが、曲が付くことによってまた違った印象になったりより心に深く残ったりします。作曲家それぞれの感性が伝わって来る気がしますね。

日本人の作曲家として初めて外国にその名が知れた山田耕筰は、後世に残るような素晴らしい歌曲を沢山残しています。その中に、同年代に活躍した中山晋平が作曲した、いわば流行歌に新しく曲を付けているのが面白いです。山田耕筰らしい、重厚なノーブルな曲にしてあり、「どうだっ」と言う感じです。

中山晋平と山田耕筰を比較してみると、中山は村長を代々出すような家系で、 自身も教師であり、実直な人物であったようです。 そして山田はというと、海外留学をして、数々の芸術的な楽曲を生み出していますが、色恋沙汰で職を失ったり、本名「耕作」を「耕筰」にしたのも、山田が指揮をしている姿を見た人物が、後ろから見ると禿げているのが目立つので。カツラをかぶれと言われたのに対し、自身は丸坊主にして名前に「竹カンムリ(ケケ)」を付けた・・等のエピソードを持つ、情熱的かつユーモラスな人物であったのが伺えます。

同じく、日本を代表する作曲家中田喜直の「さくら横丁」という曲も、同年代に活躍した作曲家、別宮貞雄が曲を付けています。 別宮貞雄は東大物理学部出身で、その後パリ コンセル ヴァトワールに学んだ秀才です。中田も有名な作曲家でありますが、非常なる嫌煙家であったり、自身の手が小さかった事もあり、小さいピアノの普及を提唱したりした人物でした。 山田も、中田も、芸術家としての高いプライドを持っていたのだな・・と感じます。

また、季節柄、「秋」をテーマにしたものを取り上げてみました。作曲家、作詞家、それぞれの秋を味わってみるのも良いのではないでしょうか。深まる秋を感じつつ、良い日の始まりにして頂ければ幸いです。

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第3回ミュージックブランチにご出演いただく、山田武彦さんにインタビュー

ピアニスト&作曲家としてご活躍の山田武彦さん。
今回のテーマであるバッハとドビュッシーという一見結びつきにくい二人の作曲家について語っていただきました。

Interview
山田武彦さん
◆2人の作曲家の共通点はどんな部分ですか?

フルートの作品をどちらも作っているということと、組曲やプレリュード(前奏曲)といった題名がついている作品を残している、という点ですね。これは表面的な部分ですが、その共通点から両者を比較検討してみたいと思います。
バッハの時代の前奏曲は、前奏曲のあとに本題の曲が控えているということが前提で作られていましたが、ドビュッシーの時代にはもうそういった概念は完全に無くなっていて、前奏曲がその曲の本体となっていました。そういったことは、実はドビュッシー以前のショパン等が既に行っていて、例えばショパンの24の前奏曲はフーガは無く、曲数からしてバッハのことを意識しているのがわかりますね。

◆バッハ、ドビュッシーそれぞれが生きた時代の背景や、両作曲家の生き方をお話いただけますか?
山田 武彦さん

ドビュッシーはフランス生まれの作曲家ですが、ドビュッシーが活躍する少し前、サン=サーンスやフランクらフランスの音楽家たちが、フランス音楽が他よりも劣っているのではないかという危機感を感じていたため、フランス音楽を盛り上げようと協会を作りました。それ以前は、フランスというのはいわゆる文化の中心地で、芸術やファッションなどをフランスから世界に発信していく中心でありたかったのでしょうね。しかしそういった中でシンフォニーとかソナタとか絶対音楽というものが、フランスからは生まれなかったんです。なぜかというと、それらは主にドイツで発展していたため、そんなものは受け付けられなかったという背景があり、フランスではすごくわかりやすいオペラやバレエといった華々しいものばかりが作られました。この反省点から過去が見直され、シンフォニーも作られるようになった訳です。
そのあとに生まれたのがドビュッシーですが、現在ドビュッシーは印象派の作曲家と呼ばれています。それはなぜかというと、彼はいかにも印象派の画家が好きそうな題名のついた標題音楽を書いたんですね。例えば、「花火」という題名のついている曲を聴くとき、聴く人は、これは花火だと思って聴きますよね。しかし実際にやっていることは、長調でも短調でもない、あるいはテーマがあるのかないのかわからない、とても前衛的な内容でした。ドビュッシーが目指したものは、古代ギリシャの象徴派のように、ただ表面的なものを表現しているのではなく、一つのシンボルから象徴されるものを表現したかったのではないかと思います。

一方バッハの生きた時代は音楽史上ではバロック時代ということになっています。バロック時代は1600~1750年まで続きますが、その一番最後に生きたのがバッハです。ここでドビュッシーと似ていることは、ある時代の最後を生き、新しい音楽の橋渡しをした作曲家だということです。まぁそれはたまたまですけどね(笑)
バッハは新しいこともたくさんしましたが、それは古い様式や技法を全て身に付けた上でやっていました。その中の一つに、とても古いのですが『音画法』(=トーンペインティング)という音程で絵を描くという技法があります。例えば、スカルラッティに「ガンジス川から日は昇り」という曲がありますが、スカルラッティの自筆譜を見ると、『日は昇り』という部分の音型がひとつずつ昇っているんです。また、『神』という言葉が出てきたら音をクロスさせて十字架を表したり、といったように音型=言葉を表すということが流行していました。これはバッハもちゃんとやっていていましたが、この表現方法はバッハの時代で全て終わってしまいます。唯一残ったのは、半音降りる涙のモチーフですね。このモチーフは悲しく聞こえるので、ロマン派の時代になっても使用されていました。
またバッハは組曲の中でしばしばメロディと伴奏(例えば『G線上のアリア』のような)という形で作曲をしていましたが、それはもう新しい音楽だったわけです。そうそう、フルートの話もしなくてはなりませんね(笑)バッハもドビュッシーもフルートのために作品を書いていますが、残念ながら二人の生きた時代に使われていた楽器は違います。またフルートは重音が出ませんが、バッハの無伴奏は一人でバスとソプラノを奏で、一方ドビュッシーのシリンクスはメロディのみでできています。
バッハとドビュッシーを比較するという意味でお話しできるのは、時代によって様式や技法の意味合いが違っている、そういったことになりそうですね。
それからコンサート当日はチェンバロも使って演奏します。今のピアノは皆さん聴き慣れた平均律ですが、この日は特別に古典調律にして響きの違いを体感していただきたいと思います。譜面もお見せしながらお話できればと思っています。

◆ご自身も作曲家でいらっしゃいます山田さんが、影響を受けた作曲家はいますか?また、演奏者との出逢いがきっかけで作品が生まれることはありますか?
山田武彦さん

これは難しいですね。一言「ラフマニノフです!」と答えられれば楽なんですけどね(笑)
僕は作品を依頼されたら書く、というスタンスなので、そのときそのときの用途やテーマに沿って作曲することが多いからです。ですから部分的にバロック風にとか、未来の音楽を作ってみようという風に、その時々で考え方を変えていて、むしろその方が自然かなと思っています。
ドビュッシーはピアノを弾きましたし、バッハも即興演奏の大家でした。バッハの楽譜を見ると、音符が細部に渡りしっかり書かれているのが一目瞭然ですが、それは他の人が即興演奏をするのが気に入らず、自分が全て指示したかった為だと思います。
僕自身に置き換えてお話させていただくと、僕自身も演奏をするので、作品を作る時にはどうしても演奏者という立場からの視点から離れられなくて、一度書いた音符を絶対そのままにしておいてください!という発想はあまりないんです。今僕はアンサンブルピアニストとしての活動がメインなので、演奏者との出逢いはとても多いんです。ですから最終的に演奏者がどう演奏したいかを尊重し、どんどん書き換えて欲しいと思っています。そして演奏者との出逢いということはもちろんありますが、やはり常に自分の中で作曲家と演奏者という立場で対話をしていますね。 僕自身の経験から、ピアニストを目指す皆さんには是非アンサンブルをたくさん経験して欲しいですね。

大変興味深い内容をたくさんお話いただき、ありがとうございました。(取材日2010年8月9日)





企画・ナビゲーターをご担当いただいたピティナ杉並ステーション代表の本多昌子先生に、コメントをいただきました。

Comment
本田昌子先生

音楽史を紐解いていくと、作曲家同士が出会う場面があり、互いに触発されながら名曲が生まれる、このような光景を見ることがあります。
世に残された作品、時代を経て受け継がれてきた作品は、作曲家1人の力だけで生まれてきたのではない、そこには、多くのエッセンスが加わっていることを思います。

今年度の杉並公会堂ブランチコンサートのテーマは、「二人の作曲家」。
二人のもつ音楽の世界に、ステージで演奏家が加わり、どんな空間が生まれるでしょうか?
6回のコンサート、個性個性豊かな出演者と共に、楽しいひとときを過ごしていただけたらと思います。

本多昌子

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