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会場:各校音楽室・体育館
参加人数:合計221名
後援:対馬市教育委員会、対馬の子供たちに一流音楽を広める会
出演:菊地 裕介(ピアノ)
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「本当に、こんな古いピアノをピアニストの前に差し出し、このピアノでお願いしますと、言ってよいものでしょうか?」
開催前日。開催校から、1本の電話がかかってきた。
「音楽室のピアノ、調律したばかりですが、開催日が近づくにつれて、だんだん不安になってきて......」との内容に「ご安心下さい。どんなピアノであっても、魂を吹き込み、そのピアノが持つ最高の音色を奏でることが出来るピアニストですから!」私は迷うことなく、そして自信を持って答えた。
「人の気持ちを理解するのは難しい」と話す菊地裕介先生だが、ピアノの気持ち、ピアノの性格は瞬時に分かり、そのピアノの持ち味・良さを、最大限いや、それ以上に引き出す力を持っていると私は確信しているからだった。
気温1度。今年一番の寒さとともにピアニスト菊地裕介先生が国境の島対馬に降り立つ。昨年夏の「 サマーフェスティバル2018 」に続き、ゲストとしてお迎えする事が出来た。この日から2日間、対馬市内の小中学校、計4校で学校クラスコンサートが開催される。しかも今回の学校クラスコンサートは、「島内の子ども達のために」と、温かいご支援を賜り実現できた特別な企画だ。
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「東京から来てくださいました!」と紹介されるだけで、「とーきょーー!!!!」と、大声で連呼するほど、大自然の中で生まれ育った対馬の子ども達には、東京という地名さえもキラキラと輝いていた。
「聞いたことある!」さっきまで下をむいていた少年は、ふっと顔をあげて、叫んだ。モーツァルト作曲「トルコ行進曲」。...あれ?と思ったのは、私だった。いつもの演奏とは格段に違う、今までに味わったことのない菊地先生の演奏。でも、いい。こっちのピアノもまた、いい。普段は調律の整ったピカピカのピアノを美しいホールで演奏する菊地先生が、随分とお年をとり長い眠りについていた寝起きの悪いグランドピアノと、正面から向き合っている。
「ピアニスト菊地裕介」の極上のテクニックが一音一音、みんなの心に生きて届く。「伝える」という事を大切にしながら。椅子に座っている子ども達は、少しでも菊地先生の指の動きを見ようと、だんだんと前のめりになる。それを見かねた菊地先生は、「みんな、近くにおいでよ」と、優しい言葉をかけてくれた。素直な対馬の子ども達は、「おいでよ」を真に受けて、ピアノのすぐそばまでかけよった。誰に言われるでもなく、前の子どもは座り、後ろの子どもは立つ。菊地先生の演奏、この忘れられない大切な時間をシェアしようとする子ども達の前向きな気持ちがそこにはあった。
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楽しい楽しいコンサートはあっという間で、渾身の「革命」に釘づけとなった子ども達からの鳴り止まない大きな拍手に、菊地先生は包まれていた。終演後、先生の周りにはハイタッチや握手・サインを求める子ども達が殺到。その一人一人全てに、満面の笑みで対応する姿に今まで見る事のなかった菊地氏の新境地を垣間見た気がした。
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2日目は対馬の南の方の小学校での学校コンサート。過疎化が進み、人口流出・少子高齢化だけではなく、野生のイノシシやシカが民家まで降りてきて農作物に被害を与え、さらには生態系への影響や、下層植生の減少によって土砂崩れが発生するなど、島民の生活に様々な悪影響を及ぼしている。道路の周りや家の周りは全て、イノシシやシカよけの柵だらけ。空き家が目立ち、廃車になった車さえも放置されている。
この日最初に訪問したのはそんな地域にある、校区が直径約7キロと広範囲の学校だ。
静かな町とは対照的に、本日の開催校は存在感を発揮して、凛々しく立っていた。
「ここは学びの場だ」と、言わんばかりに。
チャイムとともに先生からの紹介があり、菊地先生がピアノの前にスタンバイ。それを真っ直ぐな瞳で見つめる37名の純粋な子ども達。今回の先生の相棒は、とても古い古い、状態も良いとは言えない、アップライトピアノ。このピアノで、モーツァルト/トルコ行進曲、ショパン/英雄ポロネーズ、バラード第1番、革命、ドビュッシー/月の光を演奏予定。電話で、「大丈夫です!!」とは言ったものの、相棒は想定以上に重症で、私は不安な気持ちさえも出てきていた。
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しかしさすがは菊地先生、私の心配をよそに「ふんふん」と相棒と話を始めたかと思うと、間もなくして美しい音色が響き渡ってきた。そこにピアノがあれば、なんだってやりこなしてしまうのだ。
しかもどんなに速いパッセージの中でも、鍵盤が上がらないところは、鍵盤を自分の指で押し上げながら、何事もなかったかのように笑顔で弾きこなしている。「すごい...!」そんな菊地先生に、笑いしか出なかった。これは、魔術師だ!その人並外れたテクニックを間近で、しかも初めて見る子ども達には、あまりにも衝撃的で、一番前に座る一年生の小さい僕は目をまん丸にして、瞬きするのも忘れるほど。
最後に、教頭先生が「今日の感想を言える人、手をあげて!」と言うと、驚いた事にみんなが一斉に「はい!はい!」と、挙手をする。
一年生の小さい僕も、僕にあてて!と言わんばかりに手をブンブン振っている。「指が動くのがとっても早くて、カッコ良かったです」
三年生の女の子は、「お話をしてくれているときは、優しい人柄なんだなあと思っていたけど、ピアノに向かうとガラッと変わり、何かが乗り移っているようでした」
六年生の女の子は、「私は卒業式でピアノを弾きます。今までは間違えないようにとばかり思って練習していましたが、菊地先生のように思いをのせて、六年間楽しかった思い出や感謝の気持ちを込めて演奏できたらいいなと思いました。ありがとうございました」
「今日はこんなに感動する時間を過ごさせていただき、本当にありがとうございました。ここに住む子ども達は、芸術はもとより、人と触れ合う機会もとても少ない。知らない人と出会う機会、すれ違う機会さえも滅多になく、人慣れしていないんです。そんな子ども達が先生の演奏をこんなに間近で聞けたというのは一言では言えない程幸せな事で、ありがたいことです。次に来られる時は、対馬の曲を作って、是非また聞かせてください」そう話すご近所のおばあちゃんの目には大粒の涙が流れていた。
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最後の開催校は、去年の学校クラスコンサートが忘れられなくて、校長先生直々に懇願された、対馬一のマンモス校・鶏鳴小学校、6年生53名。
入室するだけで「わー!」と歓声が上がり、サマーフェスティバル2018以来5ヶ月ぶりの再会に喜ぶ子どもがたくさんいた。ソロの演奏を聴いた後、先生のピアニスト伴奏による校歌斉唱。「いつもの大声だけではなく、心なしか綺麗な声で歌っているように聞こえます」との校長先生のコメントに、子ども達は「えへへ」とはにかんでいた。
最高潮にテンションが上がったところで、子ども達から「シングシングシング」のサプライズプレゼントが!ダンスの振り付けまで入念に考えられていた子ども達のノリノリのアンサンブルに、菊地先生も連弾で飛び入り参加!指揮をする担任の先生は、我を忘れて踊っていた。
楽しすぎる時間はあっという間で、最後に、菊地先生はドビュッシーの月の光をプレゼントしてくれた。美しすぎるプログラムに、鳥肌が立ったのは私だけではなかったと思う。「はーーーー。終わってしまった。もっと聞きたい!!」私の素直な感想だった。
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昨年に引き続き、今年もこの島で学校クラスコンサートを開催する事が出来ました。本物の芸術に触れる機会が少ない島の子ども達にとって、大人になっても忘れる事が出来ないとても貴重な45分間だったに違いありません。ご尽力頂きました(一社)全日本ピアノ指導者協会様をはじめ関係者の皆様に心から感謝しています。ありがとうございました。
レポート◎熊本 由香(指導会員)