会員や入賞者が出演する「コンチェルト」公演をご紹介。学生オケからプロオケまで、名曲の数々をお楽しみ下さい。
指揮者&ピアニストの渡邊一正先生の特別インタビューも公開!
今年の特級ファイナルを指揮した渡邊一正先生にお話しを伺いました。東北ツアーでは弾き振りで出演予定。若きピアニストたちへ送るメッセージ!
≪市民オーケストラ≫ ラフマニノフ:ピアノ協奏曲第2番。「暮らしの中にクラシックを」をモットーに、佐野市ゆかりの音楽家と市民オーケストラによる共演で、今年で7回目となるコンサートシリーズ。
≪学生オーケストラ≫ チャイコフスキー:ピアノ協奏曲第1番。医科学生オーケストラに参加する医療系大学生により構成され2013年創立。アンサンブルに特化した「コンチェルトオーケストラ」というユニークなスタイル。
≪プロオーケストラ≫ プーランク:2台のピアノのための協奏曲。2014年に立ち上がったばかりの、若き名古屋の音楽家たちによる室内管弦楽団。
≪プロオーケストラ≫ ベートーヴェン:ピアノ協奏曲全曲。新進気鋭の5名の指揮者、5名のピアニスト等により ≪国連難民援助活動支援チャリティーコンサート≫ として開催。
≪プロオーケストラ≫ モーツァルト:ピアノ協奏曲第20番。恩師との約束・・・指揮者とピアニストを兼務する渡邊一正氏による弾き振りのモーツァルト。心の奥に秘めた曲への想いとは?特別インタビュー掲載!
≪プロオーケストラ≫ ラヴェル:ピアノ協奏曲ト長調。神奈川県ゆかりの期待の俊英をソリストに迎えて、爽やかな演奏をお届けするフレッシュ・コンサート。
この人の一生がかかっている、なんとか良いサポートが出来ればと、それだけを考えていましたね。オーケストラとの合わせは演奏者のセンスもありますから。縦の線だけあっても、まったく音楽としては・・。
コンクールは点数だけのものではなく、コンサートの側面もあるので、聴いている人に感動を与えなければならないと思います。
弾き振りはピアニストであり指揮者。「楽しい」からやっています。出来るだけ弾きたい、出来るだけオケと合わせたい、そう思います。指揮者とピアニストとして共演したのは子どもの頃までで、今は弾き振りしかしておりません。楽しいですね。バーンスタインの映像をご存知ですか、これもとても楽しそうですよ。
私自身が人見知りする性格なので、大勢の前で話すことが苦手(笑)。オケの前で話すなんてとんでもない・・ならば、できることはすべてやろうと、体全部使って伝えられればと、指揮を勉強しました。
モーツァルト、ベートーヴェンの3番と皇帝、ラヴェルやガーシュウィンまで弾き振りしています。ベートーヴェンは・・・やってみて初めてやっぱり無理だと思いました(笑)
難しいことですが、オケが協力してくれる、そういうことが多かったですね。
いま、私がこうしてピアノを続けているのは、恩師との約束があったからです。
恩師は私がピアニストになると信じていたのですが、私はずっと指揮者になりたかった。中学で初めて志望先を話したとき、先生は「わかった」と。「でも音楽家人生の節目で、私の大好きなモーツァルト20番を弾いてほしい。そうでないと、私があなたを教えた証がないから。」と。
僕は、先生の最後の弟子だったので・・・。
先生に教えていただけたこと、それに恥ずかしくないように。それだけです。
パフォーマンスを重視しないで、過剰な演出で人をあおるような演奏でなくて、昔の良いといわれたピアニスト、そういうものから学んでほしいですね。
『盗む』しかないと思います。
コンチェルトって、誰かが教えるものでもないし、自分で感じて、やっていける人だけが残る。呼吸、どういうタイミングでオケが出るのか?自分でとるしか、気が付くしかないんです。
素直にきく耳と謙虚な姿勢、そして自信のある部分と。そうすればオーケストラはついてきてくれますから。
あと、ラフマニノフを弾くならシンフォニーを聴くとか、チャイコフスキーならシンフォニー、バレエを聴く、ベートーヴェンやブラームスもそうですね、彼らの交響曲を聴く、ピアノをさらうだけでなくてね。
(2台ピアノのコンチェルトについて)
2台ピアノだと、パン!と合うけれど、オーケストラではそうはいかない。2台目のピアノがそう弾けるか、熟知していてオーケストラのように弾けるか、ということは大切だと思います。
ピアノパートをそのままを弾く人、オーケストラのある程度大事なメロディーを拾って分からせてくれる人、目立たないけれど隠れたメロディーを拾ってくれる人・・・。スコアまで読む人はなかなかいないですけどね。
管楽器や弦楽器のピアノ伴奏パートも、結局ピアノが弾きやすいように書かれているんですよ。自分でもスコアを読みながら、あ、これがない、とか、ティンパニがないとか。僕はそういう風に読んでいましたね。
スコアを読むのがおもしろくてたまらなくなったら、きっとうまくなると思いますよ。
本当に、オケとコンタクトがとれるだけで、全然、オケの音が変わりますから(!)
例えばチャイコフスキーでオケのソロ、そこでピアノからしっかり見られると、オケは、ほっ!?と思いますから。ラヴェルの2楽章でのアングレのソロとの掛け合いなんて、それを無視してピアノ弾くのか、聴いているオーラがあるのか。ちょっと意識すればオケも変わりますよ。
教えられるものというよりは、自分から欲して生のリハーサル、コンサートを見て、吸収、習得していくものだと思います。
かなり昔ですが、チェコのヨセフ・ハーラ(ピアノ)さん。70歳を過ぎていたと思うのですが、素晴らしいモーツァルトでした。よれよれなんですけれど、静かな2楽章の何気なく出す音・・・。無意識だと思うんですけど、本当に協奏というか・・。人としても素晴らしかった。あれだけはまだ忘れられない、得難い経験でした。
まあ、練習は心配しましたけれど。自分が弾けないとバーンと怒り出しちゃう、頭抱えちゃう(笑)。でも、ゲネプロ本番とどんどんよくなっていって、本番では、自分(指揮)がでるのをわすれそうになったくらい。聴きほれちゃっていました。もう出る番なのに(笑)
私は運が良かったと思います。母の実家が山梨で楽器店をやっていたので、コンサートのチケットが手に入りました。ウィーンフィル、レニングラードフィルなどを、子どもながらにいろいろと聴けました。
無意識に感じ取っていたのではないですかね。あと、家族から怒られたことがなかった。やりなさい、とかいわれない。本当に褒めるんですよ、もっと聞きたいな、とか。そして子どもだった自分は単純で、弾く(笑)
あと、色々なレコード、リパッティだの本当にいい演奏をいっぱい聞かせてもらいましたね。
父は音楽には関係がなく、本当は早稲田のラグビーのジャージを着せたかったらしい(笑)。レッスンがあるのにラグビーの試合に連れていかれ、母は先生に「風邪ひいちゃて・・」と電話したのに「あの子が風邪ひくわけないでしょ!」としっかりばれていた(笑)。
まあ、ガス抜きができていた、というか、いい意味で音楽バカではなかったと思います。
普通に学校が終わったら、サッカーや野球もやっていましたね。突き指もしたし。好きなことしかやらなかったですね。
ピアノレッスンはすばらしかった。小学生の頃から、お母さんはレッスン室に入ってはいけない(!)。男の子はこれで食べていくのだから、自分で全部覚えて理解してやりなさい、と。そういう教育でした。また、暗譜しかみてくれない。3日しかないのにショパンの曲を暗譜、とか。
ただ、その先生は僕が高校生のときに亡くなってしまわれました。
だから、ピアノをやる、ということは、その先生との約束なんです。
指揮を志したのは小学校の時。一番前の席でアバド指揮のウィーンフィルを聴いた時。あの時のアバドさん、髪の毛長くて、魔法使いのようで、ふいっとやれば、オケもふいっとなるし、ばーんとやればそうなるし。すぐオケが変わる。帰り道では、あれになるんだ!と言ってましたね(笑)
それからはずっと指揮者になりたい、なるんだと思っていました。
そして、中学生になったとき、高校を決めなきゃいけない、というときに、初めて恩師に希望を伝えたんです
恩師は魔法使いのような人でしたね。なんでもばーっと弾いて見せてくれるんですが、それを見ていると、弾けて帰っちゃう。どんな曲を持っていっても、ショパンでもラヴェルでもプロコフィエフでも、何でもばりばり弾かれる方でした。不思議でしたね。そういう先生はなかなかいないでしょうね。
恩師は井口愛子先生。井口基成先生の妹さんでした。
その前に幼稚園から習っていたのは三宅榛名先生。三宅先生もおもしろい先生でした。その日の私の顔をみて曲を作るんです。弾いてごらん、といって、3歳、4歳の子どもに無理な曲を書くわけですよ(笑) そこで、譜面を読む力とか培われたのかもしれません。あるとき先生が、この子ピアノに才能あるかも、と、井口愛子先生にポンと紹介してくれた。愛子先生は体がちょっと弱かった。最後に男の子を育てたい、と思っていた、そこに私はポンと入れたんでしょうね。
それは私がいうことじゃない。うーん。なんでしょうね。えらそうに言えることではないけれど。
どこの世界もそうでしょうけれど、どこを見て、何を目指して、演奏をしていくか、練習をしていくか。
音楽家として死ぬまで携わって、ピアニストとして携わって、それを自分で考えられる人になるのか?
誰かに言われた以上の事をやると出る杭が打たれるというなら、出過ぎれば良い。手が届かないところに行けばいい。出すぎた杭を打たれたところで、しょげたらだめだと思う。
自分でいろいろな演奏を聴いて、良いなと思う演奏家がいたとしたら、外国に飛び出すとか、それくらいの気概をもってやらないと。
自分でいいものを実感できる音楽家が育ってほしい、と思います。
仙台は思い出の土地で、コンクールの優勝者記念コンサートで訪れました。その時、先生も一緒だったんです。。それで、ニューイヤー公演ですが、わがままをいって「モーツァルトの20番」を弾かせていただくことにしました。節目にはいつもこの曲を演奏しています。
福島、いわきでも演奏しますが、震災で苦しんでいる人はまだいっぱいいるでしょうし、いまだに仮設も沢山あるでしょうし。少しでも、新年な雰囲気を楽しんでいただければ、と。自分は何も出来ないですけれど、でも私には音楽しかないと。おこがましいですけどね。
東北にいくことを本当に楽しみにしています。ピアノの弾き振りで4都市回るなんて本当に珍しく、素晴らしく貴重な機会をいただきました。
コンチェルトの前には序曲を振ります。緊張しないかって?しないしない(笑)、楽しいですよ。
人前で話をしろと言われたら、それどころじゃなくなりその事だけを考えてしまう(笑)
台本があっても人前で話すことは全部忘れてしまうので、何を話しているか分からなくなって気がついたらお客さんが笑っている。
そういえば、九州で話さないといけないことがあったんですが、屋台の話や、球場の話や・・。ふと気づいて、なんの話だったか、あ、曲目紹介だった!と。あとはプログラム読んで下さい、で終わってしまいました(笑)