2016年度ワークショップも後半戦に入りました。今回は東京藝術大学と同大学附属音楽高校の和声教本に採用された「新しい和声」の刊行に携わった林達也先生、小鍛冶邦隆先生からお話を伺いました。
戦後日本の高度成長期、1960~70年代。経済が成長し生活が豊かになり、子供の数と共に音楽大学は膨れ上がり学生数が1000人を超える音大が続出した時代です。その当時から多くの音大で使われた「島岡和声」から「新しい和声」への移行の流れは日本のこれまでの音楽教育界全体の革命であり、会場の先生方は驚きを隠せませんでした。
私達の慣れ親しんだ、いわゆる「島倉和声」では4声体連結のカデンツや進行、禁則などを覚えることがほとんどでした。法律全書を丸暗記するのと似ている学びのスタイルは効率化重視のもので、本来ヨーロッパでは「鍵盤上での演奏法」であるべき和声の姿が、我が国では机上での学習分野となってしまいました。その世界的に見たら一般的ではない和声の扱いを本来あるべき姿にしよう、そういうコンセプトのもとに「新しい和声」は書かれました。
ヨーロッパにおいて16世紀から音楽現場の中で実践的な音楽訓練であったのは「通奏低音法」であり、その延長線上に「和声」が存在しました。通奏低音法とは、記譜された低音部の旋律の各音符に付られた音程を示す数字を見て適切な和音を付けて即興演奏する鍵盤上での演奏実践・演奏技術です。和声進行は数字化された各声部の「進行の結果」なのです。逆に、結果である和声進行を記号化し機能和声として学習するのが「島倉和声」です。
バレンボイムは演奏の中で知性と和声に対しての深さを理想的に具現化している19世紀の音楽の頂点に位置するピアニストのひとりです。彼は12歳よりパリ音楽院でピアノ伴奏科を教えるナディア・ブーランジェの下で和声学と作曲を学びました。その最初のレッスンはバッハの平均律第一巻変ホ短調のプレリュードをイ短調に移調し弾くことだったそうで、まさにそれは和声と和声の流れの力学を身体的に理解するための鍵盤実技・訓練法です。そのバレンボイムが興味深いことを言っています。「今日、調性音楽において軽視されているのが和声である。調性音楽は和声、リズム、旋律の三大要素ににより成り立っているが、その中で和声は音楽に最も強い影響を及ぼすものである。和声には音の重なりという縦のつながりと同時に、横への流れを促す力がある。つまり和声の変化は音楽の動きと直結している」と。
林先生と小鍛冶先生の「新しい和声」はバレンボイムの語る「和声とは何か」、それが一つの大きな原動力となって生まれたそうです。日本で半世紀もの間浸透してしまった「島倉和声~卓上で学ぶ4声部連結規則」から「ヨーロッパで19世紀から行われていた鍵盤上での実践訓練~通奏低音法からの和声法」への移行です。藝高藝大で教本を変えて1年半。新しい視点の和声は順調に実行されているそうですが、同時に疑問や批判もあるそうです。
戦後の高度成長期、日本ではヨーロッパ音楽をいかに日本の大衆的レベルにおいて文化的・経済的に取り込むかの視点で検討され諸メソッドが生まれました。そこには日本がヨーロッパ文化を受容した際のいくつもの問題点が隠されています。今回紹介された「新しい和声」は和声の学びの根本を見据え、これまでの音楽教育を覆し本当の意味でのヨーロッパ音楽の真髄を目指す新しい時代の糸口となるであろう期待でワクワクします。
受付では「新しい和声」が販売されており興味はあるものの、横目で見ながら会場に入りました。セミナーは「これまでの日本の和声教育を変える」という興味深い一言からはじまりました。これまでの和声学は赤いテキストと5線ノートで、パズルのように解いていく印象がありましたが、ヨーロッパでは違うようです。「本当の和声学は、実はクラヴィアの演奏技術であり演奏そのもの。重要なのは機能ではなく音程」という言葉には驚きました。「新しい和声」はまさにヨーロッパの方式で学ぶ、画期的なテキストだったのです。これは買って帰らなくては!と思った時には売り切れていました...。今回のお話は、今後の日本の音楽教育に時間をかけて浸透していく事と思います。先生方のお話の中の「ヨーロッパの音楽は低音からつくられてきた」という言葉は特に印象的でした。
ここ数年指導の現場で「音楽は外側から形を作っていくのではなく内側から」、そういう思いの中で指導しております。いくら指が動いて楽譜が読め演奏が上手になっても、和声や響きがわかっていなくては、その音楽は表面的で何か足りないと思っていたのです。その和音の響き、和声は学び勉強するものだと思っていましたが、そうではなく鍵盤上での演奏技術そのもの。演奏実践であることを知り感銘を受けました。演奏技術と即興演奏やソルフェージュなどは分離できないものであり指導の中で大切にしていくことを再確認致しました。子供達にもたくさん視点で学ばせて豊かな音楽を身につけてほしいと望んでおります。