- 第3回
- 2016年6月22日(水)
- 新畑 泰秀先生
- ドビュッシー・音楽と美術
- 坂かず先生
第3回ワークショップは東京・京橋のブリヂストン美術館から新畑泰秀先生がいらっしゃいました。新畑先生は2012年に大きな話題を呼び、実に10万人以上が足を運んだ「ドビュッシー展」企画責任者です。多彩で深遠なドビュッシーの音楽と絵画の関係とは。美術作品を見せていただきながら大変興味深いお話をお聞きすることができました。
最初にルノワールの「ピアノを弾くイヴォンヌとクリスティーヌ(1897年)」、「ピアノを弾く少女たち(1892年)」、ギュスターヴ・カイユボット「ピアノを弾く若い男(1876年)」、「ショーソンとルロールのそばでピアノを弾くクロード・ドビュッシー(作者不詳)」などの同時代を生きた画家たちのピアノにまつわる作品を続けて見せていただきました。
ルノワールの「イヴォンヌとクリスティーヌ」は親しい人のお嬢様を描いた作品。彼女たちの美貌が感じられる実際の写真も見せていただきました。作品の背景には同時代のエドガー・ドガの絵画。姉妹の父は画家アンリ・ルロルであり、彼のサロンにドビュッシーは出入りしています。
「ピアノを弾く若い男」は兄がピアノを弾く作曲家の弟を描いています。譜面台にはパリ音楽院の師匠の楽譜が置いてあり、ピアノには当時最高峰のエラール社のエンブレムが描かれています。当時の経済力の高まりを背景に音楽を愛好する人が増え、ピアノという楽器が裕福な市民階級を象徴するものとなったことがわかります。
「ショーソンとルロールのそばでピアノを弾くクロード・ドビュッシー」では、同時代を生きたドビュッシーとルロールらがサロンで芸術談義が聞こえるようです。仲間たちとの会話から創作への刺激を受け、インスピレーションも湧いたことでしょう。
これらの絵画からも当時の芸術家たちがパリのサロンで集い、互いに影響を受けていたことがわかります。
絵画における「印象派」という表現はもともと1874年にパリにて最初の展覧会を開いた新進画家グループ(ルロール、モネ、ルノアールら)への揶揄表現として定着したものであり、音楽における「印象派」も若い作曲家への同様の意味合いを込めて用いられています。響きを和声の束縛から解き放ち、不協和音を多用する自由な作曲技法はドビュッシーから始まりました。1884年「放蕩息子」でローマ大賞を獲得後、ローマのヴィラ・メディチへ留学しその成果としてフランスに送った「春」は「印象絵画のような自由な作曲方法」と皮肉を交えて評されました。
19世紀後半のフランスでは「万国博覧会」をきっかけに日本美術(浮世絵、工芸品)への興味が高まります。絵画への影響はもちろん、ドビュッシーの音楽にも影響を与えています。映像第2集の「金色の魚」は書斎にあった日本の蒔絵の箱の蓋からインスピレーションを受け作曲されたと考えられています。蒔絵に描かれた魚の動きは一時も落ち着いていないリズム、しなやかな音形は絵の中のジャポニズムの本質的な特性、日本人の自然に対しての敏感さが彼の音楽の中に見ることができます。また1905年に出版された交響詩「海」のスコアの表紙には、葛飾北斎の浮世絵である冨嶽三十六景「神奈川沖浪裏」が使用され、当時のパリの東洋趣味を象徴するものとしてよく知られています。
最後に新畑先生は「音楽と美術というものが双方で影響を与えながら作られてきたことを知っていただけたと思います。これから絵を見るチャンスがあれば印象派だけではなく、次の"ポスト印象派"といわれているセザンヌ、ゴッホ、ゴーギャンといった作家、またその次の時代の"象徴派"の画家たちの作品も見て頂けると、更にドビュッシーの理解が深まると思います。今日の話で音楽と美術との関わりへの興味を持って頂けるとうれしいです。」とおっしゃり、講座が終わりました。
2012年の「ドビュッシー展」へも足を運びました。芸術家、特に画家との親交の深かったドビュッシーの音楽が色彩豊かだったことに感動しました。今日は絵画を見せていただきながらの新畑先生の説明がとても詳しく分かりやすく、そこから読み取れる当時の文化背景なども知ることができ知識が深まりました。特にドビュッシーがジャポニズムに興味を持ち日本の絵画を所有していたことは日本人としてとても嬉しく思います。パリへ留学していた島崎藤村の「平和の巴里」も改めて読み返し、ドビュッシーの時代のフランスをもっと知りたいと思います。
前もってドビュッシーについて調べて本を読んでまいりましたので、興味深く聞かせていただきました。絵画と音楽の関わりが強いということを、印象派の絵をたくさん見せていただき納得できました。なかなか美術館に足を運ぶチャンスがありませんが行ってみたくなりました。 慣れ親しんだ巣鴨へ足を運ぶのは30年にもなります。このワークショップへは去年はお休みしてしまいましたが、今年はがんばってまた戻ってまいりました。若い皆さんのエネルギーを頂き、一緒に学べることがとても幸せです。