- 第10回
- 2016年3月18日(水)
- 西村 朗先生
- 「ピアノ曲を創る/自作における語法と内容」
2015年度音楽総合力upワークショップ10回目は作曲家の西村朗先生でした。「N響アワーもこのワークショップも僕の司会で最終回。僕は音楽界のリーサル・ウェポンなんだ」という言葉で爆笑の渦の中に始まりました。西村先生語り口は鋭い中にもユーモアたっぷりで2時間があっという間に過ぎました。
1970年代LPの時代が終わり、80年代からはCDが台頭し時代は大きく変わります。それとともに作品と演奏の関係も急速に変化し、それまでのホロビッツに代表される演奏家が作品を凌駕し、作品のカリスマ性を演奏に利用していた「表現主義」が80年代を境に通用しなくなり「原典主義」へと移行します。
「歌うな、沈黙も含めて語れ」と言ったアンナー・ビルスマの「バッハ無伴奏チェロ組曲」は多声部が波のように現れ、まさに演奏家が作品の素晴らしさを引き出す原典主義の演奏です。シフも同様。シフがバッハのCDを出した時には、3声が別の人格で語っているその表現と徹底研究されている読み取りの深さが高く評価されました。
原典主義と表現がせめぎ合いながら溶け合っていく80年代にブレンデルが対談で興味深いことを語っています。「昨今ピリオド楽器で盛んに演奏されているベートーヴェンやモーツァルトはナンセンスだ。古楽器の音は"その時代のピアノ、空気、人々、建物..."その全ての関係があり成り立ってきたもの。楽器だけを現代に持ってきても意味が無い。今を生きるピアニストは進化した現代のピアノを使って考えうる限りの最大の表現をする、これも新たな意味での原典主義だ」と。表現主義と原典主義、このふたつについて深く考えさせられます。
ヨーロッパで作曲技法を作り上げた初の東洋人作曲家ユン・イサンは「西洋の音楽において音は素材である。だが東洋においては音は音自体に命がある。したがって西洋の音は点と線であり直線であるが、東洋の音は曲線であり曲がりくねっている」と言いました。そのユン・イサンと同門であった西村先生はアジアの伝統音楽、宗教、美学、宇宙観等に強い関心を抱き、そこから導いたヘテロフォニーなどのコンセプトにより、今日まで多数の作品を発表されています。ピアノという楽器は一見ポリフォニー音楽に対応しているようだが同時にそうでない要素も持ち合わせています。音が鳴っている時だんだん出てくるうねりや歪を強調した楽曲の中から数曲、エピソードや音源と一緒にご紹介くださいました。中でも興味深かったのは1987年ノルウェーで「管弦楽のためのファンファーレ」がオスロ交響楽団で初演された時、数名のお客さんがその響きに耐えられず吐いてしまったとか。ソステヌートペダルを応した「ビコーズ」、基本的にはダンパーペダルを保持したままのブルーノ・カニーノの演奏で「夜光」、去年のショパン国際ピアノコンクールの覇者チョ・ソンジンが浜松国際ピアノコンクールの課題曲として演奏した「DAYDREAM(白昼夢)」も聴かせていただきました。若干15歳のずば抜けていたその演奏は圧倒的だったそうです。
「ピアノという楽器は梵鐘のように香り立つ響きがある。倍音がにじみ、その距離によって同じ不協和音でも響きの性格が変わる。その残響の部分で強いメッセージを与えられる楽器」という西村先生のお言葉が強く印象に残りました。
そして今回は2015年度最終日。メディア委員会から武田真理先生、多喜靖美先生がいらしてくださり修了書授与が行われ、その後はお楽しみの懇親会でした。一年を通して一緒に学んだ仲間の先生達とおしゃべりに花が咲きました。一年間、お疲れ様でした。
ピアノの構造は知っていましたが、ピアノの1音に対して弦が3本ありヘテロになっているという感覚やそれだけ音色が違って面白いとおっしゃる作曲家の視点からピアノを捉えることができ、今後タッチや演奏に活かせるようなお話を聞くことができました。コンペ課題曲にもあった矢代先生に師事していた西村先生のお話を聞くことができて感動しました。ピアノの講座は出尽くした感がありますが、この音楽総合力upのワークショップへ来ると色々な刺激があり、視野が広がる気がします。ここ数年指導に関して自分が変わってきたことがコンペやステップを通じて頂くアドバイスでわかるのは、この講座での積み重ねがあったからこそと思います。
知り合いに西村先生のお弟子さんがいるので、色々なエピソードなどを聞いたことがあり、西村先生には親近感を持っていました。西村先生の東洋的な音の響きや興味を持っていらっしゃることを実際にお聞きすることができて、なるほどという感じがしました。また夫が日本音楽の研究をしているので、日常的に三味線や琴などの東洋の響きの中で暮らしており、今日の内容が実体験と重なって西村先生のお話がより理解できた気がします。