- 第8回
- 2015年12月19日(水)
- 船山 信子先生
- 「音楽の根源にあるもの」
2015年最後となる第8回音楽力upには『ある「完全な音楽家」の肖像―マダム・ピュイグ=ロジェが日本に遺したもの』の著者であり、フランス音楽と思想がご専門の船山信子先生をお迎えして行われました。「私達はなぜ音楽しているのでしょうか?なぜ音楽は本を読むのと違って何回聞いても飽きないのでしょう?これを一緒にぜひ考えましょう」という問いかけからレクチャーは始まりました。「ある音楽を耳にすれば否が応でもそのシーンが記憶の底から蘇ってくることがあります。それが究極の音楽の力なのです。その音楽の力とは何か?」船山先生からローマン・インガルデン、ジャン=ポール・サルトルの哲学のお話が続きます。
まずはポーランドの哲学者ローマン・インガルデンの存在論について。「音とは目に見えないもの。音楽がどこにあるか?音楽が演奏によって無数の物理的振動として無数の耳に届けられる。そして同じ音楽は二つと存在しない。ある演奏を聞くという行為は、何億分の一の演奏を何億分の一の耳として聞いているのである。そして音楽とは虚空に輝く虹のようなものだ、なぜなら虹も存在のありかを持たない。そして音楽は人間の存在とも似ている。」
そしてサルトル。「私達がある音楽に耳を傾けるとき、自分がそれ自体を前にしているだろうと信じることができるだろう。″それ自身″とは一体何か。それを私達は現実的には聴かず、想像力の中で聞いているのである。実はそこには一つの世界から別の世界ではなく、創造的意識態度から現実的態度への移り行きがあるのだ。審美的観想は挑発された夢であり、現実界への移り行きや紛れもない覚醒である。」船山先生の「音楽は夢なのではないか」という言葉を添えて締めくくられます。
その後見せていただいた貴重な映像、ロマン主義の生き残りと言われたコルトーの実際のレッスン。先生方も食い入るように見入ります。レッスンではシューマンの「子供の情景~詩人は語る」の最後に隠されたテーマの響きを中心に進みます。「その響きはひとりでに消え去り私たちはただ夢想という幻想に置いてけぼりにされる」~レッスンの中でもたびたびコルトーの発するDreamという言葉が見られました。
シューマン、サルトルの、コルトーのそれぞれの「夢」。一体それらが意味することとは?今回のワークショップは船山先生がくださったヒントを私たち自身がそれぞれに考え感じる貴重な機会となりました。
最後はあまり弾かれることのないベートーベン後期のソナタ32番Op.111にまつわるお話。この曲にはなぜ3楽章が書かれなかったのか。最も古い形式を使いながら刻々と変容し崇高になっていく2楽章に込めた悲観的なメッセージは感情の高まりというより、宇宙が調和しもっとも美しいうちに終わる。これはベートーベンの遺言だったのか?「皆様ご自身でその答えを探してください」という船山先生の言葉の後、ピアニストの安田正昭さんの演奏でソナタOp.111を聞かせていただきセミナーが終わりました。
質疑応答では私達が次の世代に伝えることとして、子供の頃から本物を与え、良い音楽を聴き、良い芝居を見て、芸術一般の夢を開くことが大切だというお話をいただきました。特に本を読むことは重要でその教養は一朝一夕に成すことはできないが、積み重ねこそがその人の教養、心の豊かさに繋がる。良質の想像力を掻き立てられるものを与えましょうとのお話に会場の先生は深くうなずいていらっしゃいました。
今日のお話は難しかったですが、音楽とは何か、それを改めて考えるきっかけとなりました。絵やほかの芸術作品はいつでも目にすることができるが、音楽は目に見えないし同じ演奏は2度と聞くことができないという船山先生のおっしゃることに「なるほど」と感じました。音楽が心にいつまでも残るのは目に見えないから。そういうことかと思いました。だからこそ子供たちには良質なものを与えて心に残す積み重ねは大切だと思いました。
心の奥が揺さぶられるような思いでお話を聞きました。 安っぽいものが氾濫している昨今です。使い捨てのような手軽さがもてはやされていることに危惧している私にとり、今日のお話は「我が意を得たり!」と深くうなずく内容でした。ありがとうございました。