生誕から250年経った現在もなお、不動の人気を誇る天才作曲家・モーツァルト。モーツァルト・イヤーと呼ばれる今年、彼の音楽はいつも以上にテレビや雑誌、コンサートホールを賑わせています。そこで今回は、会報「Our Music」のモーツァルト連載が大好評を博している、久元祐子先生をお迎えします。モーツァルト演奏と研究に20年以上にわたり取り組み続けてきた久元先生が語る、モーツァルトの真の魅力、そして演奏ポイントとは?
音楽家だけでなく、一般の音楽愛好家の「好きなクラシック作曲家」として最も名の挙げられることの多いモーツァルトですが、彼特有の魅力について教えてください。
「モーツァルトは天才、という見方は一般的ですが、彼は群を抜いた勉強家でもありました。小さい頃からものすごく色々な作曲家の曲を勉強して、更に日常生活の中で遊び感覚で好奇心の赴くままに勉強し、自らの音楽に取り入れて行ったのです。
同時に、あれだけ少ない音符の中で人間の様々な感情の細やかなひだや心情を表すことが出来た彼は、同時期や後世の作曲家に比べても、特別な天才でした。これだけ彼が時代を超えて愛されるのは、この人間の心を表現する上手さにあると思います。例えばドン・ジョバンニのオペラでは、主人公が花嫁を誘惑し、花嫁も『あなたについていくわ』と彼の手を握って行ってしまう。そんなこと、実際にはありえないのですが、モーツァルトの音楽をもってすると、『そういうこともありかな』と思ってしまう不思議な魅力があります。男女の機微など、彼は人間をすごくよく知っているし、色々な人間を観察するのが好きだったと思います。
モーツァルトが生涯に残した手紙は、今では6巻までの本になって残っていますが、その中でも自然について書いている文章はほとんどありません。自然に関する記述は、『ヴェスヴィオの火山が噴火した』、この一行だけ。森の中を散歩しながら見た自然の中の哲学や芸術を、シンフォニーのインスピレーションにしたベートーヴェンとは違って、モーツァルトの興味は、ひたすら人間社会にありました。彼自身、決して教科書的な人生を歩んではいないですし。
よく、人生と作品はかけ離れている、とおっしゃる方もいますが、私はモーツァルトの曲はその時々の彼の心情をよく表していると思います。彼の手紙を見ると、母を亡くした父を気遣う優しさだったり、放送禁止用語を並べたような下品なくだりもあったりして、モーツァルトのその時々の心情や性格、優しさやはちゃめちゃな部分がよく見えてきます。私自身演奏家として、そういった、音符の向こうにあるモーツァルトの顔を見つけて、追いかけていきたいと思っています。」
先生は大学、そして大学院のピアノ科を卒業されていますが、これだけの研究や執筆活動をされるようになるまではどういった経緯が?
「子供の頃から本を読むのは好きでしたけれど、自分が本を書く人になるなんて思っていませんでした。自分はピアノ弾き、とずっと思っていて、肩書きのところにも『ピアニスト』としかつけていないので、文章を書くにしても、演奏する人間のスタンスや視点で書きたいと思っています。
元々、文章を書くようになったのも、ピアノを買うために、ある懸賞論文に応募したのがきっかけです。それで、2年続けて賞をいただいて、ピアノが買えたんですが、2年目にハワイに半年留学、という副賞がついていたんですね。それは、比較文化論やコンピューターの勉強で、興味がなかったので『賞はいりません』と言ったのですが、新聞社の社長さんが、『ピアノしかやってこなかったんだから、一生に1回ぐらい、全く違う分野の勉強をしてもいいんじゃない?』と言ってくださって、思い切って出かけていったんです。ピアノ以外にもとても視野が広がり、少しは文章を書くということができるようになしましたし、ホームページも立ち上げることが出来ました。
もう10年以上は、モーツァルトと同時代の作曲家たちというテーマをライフワークにしていて、演奏にお話を交えたレクチャーコンサートも行なっているのですが、この準備のために書き溜めたレジュメや集めた資料が、ダンボールで大体4、5箱ぐらいになりました。本を書くにしても、その為に色々なことを調べたり取材に出かけたり、また書くという作業で自分の頭の中を整理したりすることがすごく勉強になって、そのまま演奏にフィードバック出来る気がしています。」
「書く」と「弾く」はあくまでひとつなのですね。では先生が、モーツァルトのピアノ曲の演奏に感じる難しさとは?
「今は譜面に忠実ということが当たり前の時代ですが、破格の天才ピアニストであったモーツァルトの曲は、彼の即興の中から残った物を楽譜にしています。モーツァルト自身がこれらの曲を弾くときは、毎回譜面通りの、テープレコーダーを回すような感じの演奏ではなくて、1回1回違う、ほとんどジャズのようなノリだったと思います。ですから、彼の曲を弾くときは、楽譜には忠実であっても、精神としては、自由に遊ぶ、かろやかな飛翔のような感覚を忘れちゃいけないんじゃないかな、と思いますね。
といっても、やっぱりモーツァルトの時代は形式美の世界だったので、その枠を破って汚い音を入れても逆に良さが出ない。バランス感覚ってすごく必要だと思います。例えば素顔がとても美しい人なのに、しなくてもいいお化粧をすればするほど汚くなっちゃう人がいますよね。だから、素顔の美しさだけで勝負した方が良い曲もあれば、ちょっと綺麗なお化粧を入れると素顔が余計引き立ったりする。その辺は趣味よく、当時の資料などを参考に、こぎれいにまとまりすぎない、スリリングだけれども美しい演奏が理想だと思います。」
先生ご自身の演奏においては、どのような演奏を目指していますか?
「ピアノで歌を歌いたい、というのが私の持論です。モーツァルトのピアノ曲には、歌詞や言葉は書いてありませんが、そこに歌がある。ピアノはハンマーで弦を叩くという物理で出来ている楽器ですが、いわゆる『ピアノピアノ』していない、歌が歌える演奏家を目指しています。悲しいアリアなのか、おどけたパパゲーノなのか、オペラの情景や歌っているキャラクターの表情や姿が見えるように弾きたい。『上手』というよりは、息遣いなど、人間の血が通った音楽を演奏したいですね。ひどい事件が多発している時代なだけに、人間の思いやりや情熱といったものを大切にする、そういう音楽を目指したいと思っています。」
ありがとうございました!
取材中はエピソードが次々と飛び出し、モーツァルトがあっという間に「大昔の人」から、人間くさい、親しみやすい存在になってしまいました。ただ音楽史を勉強するだけではなかなか出てこない、作曲家の内面や、送っていた日常について知ることは、実は音楽を理解するのに一番近道なのかもしれない、と感じさせてくれたインタビューでした。
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