ピティナ・ピアノコンペティションでは毎年多数の入賞者を出している長谷川淳先生。今回は、4月に鹿児島で開催されたセミナーでも大反響を呼んだ、「ピアノの構造から見た正しいタッチ」についてのお話を聞いてきました。
先生がそもそも「ピアノの構造から見た正しいタッチ」という題材に注目された理由とは?
「やはりピアノを弾くからには、出来るだけ美しい音で、音楽にふさわしい音色が出すことが必要だと常に感じてきました。巷にはこれらに関する本やレクチャーがあふれていてどれも素晴らしいのですが、ほとんどは著名な方の経験論を元にしたノウハウや精神論など、抽象的な話が多いんですね。そこで僕は逆に、物理的、かつ合理的に色々と解明することで、"正しいタッチ"について普遍的な真理のようなものがわかってくるかもしれないと思ったんです。そして、そこには創世記の頃のピアノから現在のピアノに進化するまでの奏法の変化、そして現代ピアノの構造・メカニックなどの話も必然的に関わってくる。ピアノという複雑な楽器を扱う時に必要な動きと無駄な動き、そして音を作る一瞬の間に何を意識すればよいのかを知ることへの手がかりになるからです。
あと、もう一つ追求したかったのは、"良い音"とは具体的にどういう音なのかということ。これは、生徒でも先生でも意外に分かってない人が多いんですよ。だから僕が色々と良いタッチや悪いタッチなどを実際に弾いて見せることで、それぞれの特徴や原因についてより深く理解してもらいたいと思いました。」
講座では10種類のタッチについて色々と解説して頂きましたが、これらの分類や名称は先生ご自身がお考えになったものなんですか?
「はい。もちろん、ヨーゼフ・レヴィンやライマー、ギーゼキング、井上直行先生の本などを色々と読んで、参考にはしました。そこで得た知識を自分なりに編集し直して、一番わかりやすい形に整理整頓したものが、講座でもお話した、"標準タッチ""カンタービレタッチ""ルシアンタッチ"...などの10種類のタッチです。
また、自分の生徒に実験台になってもらうことでも日々研究しています。この間ある生徒がコンチェルトを演奏した際に、彼は体が小さい方だったので、オーケストラに対抗出来るくらいの響きの音を出すという課題がありました。そこで、いかに最小のエネルギーで、ピアノから最高に豊かで美しい響きを引き出すかということを、色々なタッチの特徴とメカニズムを説明した上で徹底的に試してもらいました。その他にも、自分が色々と考案したタッチについて彼をモデルにしたことはありますし、今の所思ったような効果が出ています。
もちろん、生徒ばかりに実験台になってもらうわけにはいきませんので(笑)、自分自身もピアノの前で日夜試行錯誤しています。また、昨年のショパン国際ピアノコンクールでは会場に行って全員の演奏者のタッチをオペラグラスで観察して研究しました。そういう意味では今回のタッチについての講座は、自分の25年間の指導歴の集大成と言えるんじゃないでしょうか。」
先生はピティナ・ピアノコンペティションやステップでも審査員やアドバイザーとしても活躍されてきていますが、参加者の演奏で大きな課題だと思われる点などはありますか?
「外国の先生方がいらっしゃった時もよく同じことをおっしゃるのですが、"脱力"への認識というものが間違っていることが多い。外的な動きによって脱力をする、ということが、特に地方などでは主流になっているという気がします。脱力というのは、弾いた後に色々と動きをしてもそれは無駄でしかない。基本的なタッチのメカニズムやピアノの構造について理解した上で弾く瞬間に力を集約して、その次の瞬間には緩める、というのが本当の脱力です。クネクネと体を動かすということを子供の頃から習慣にしていると、演奏の基礎が身につかず、曲が難しくなってきた時に手に負えなくなり、結果ピアノそのものを止める人が出てくる。だからこそ、講座では実際にモデル生を使ってタッチについての体験レッスンも行っているんですが、課題曲としてはピティナ・ピアノコンペティションのB級からD級の課題曲を使っています。
日本人は音楽的な要素とタッチなどの技術的なものを一緒くたにして考えています。"すごく情熱を込めて体を一生懸命使って弾いているから、いい音が出る"ということではなくて、正確で、疲れず、最小の動きで最大の音が出るということが一番大切なんです。スポーツもそうですし、そう考えると演奏は科学なんですね。"こういう風に弾きたい"というイメージが頭にあることが前提で、それを最大に、100%伝えるのが演奏の目的なわけで、それは出てくる音そのものでしか伝えられない。しかし弾く瞬間にちょっとしたブレや、無駄な動きがあるだけで正確な演奏というのは出来なくなります。ポリーニやツィマーマン、アシュケナージなど一流のピアニストの演奏を聞くとわかりますが、その基礎が出来ていないとプロの音にはならないのです。
ですので、脱力を無駄な動きと混合して考えてしまう風潮がある中で、なんのためにどういう脱力をするのか、ということを一番言いたかったんです。」
ピアノ奏法や指導法について熱く語ってくださった長谷川淳先生。先生のピアノ指導者としての実績と著しい評判は、指導に対する熱い信念と、よりよい演奏や指導法に対する鋭い探究心があってこそだということを実感出来た一時でした。
長谷川淳先生の詳しいプロフィールはこちら→
http://www.piano.or.jp/seminar/teacher/2005/10/post_30.html
長谷川淳先生のホームページはこちら→
http://www2s.biglobe.ne.jp/~juna/