桜前線が北に上る頃、江戸染井よしのの発祥の地、東京・巣鴨の東音ホールではうす緑の葉の間にしがみついている桜を横目に4月度の研究会が開かれました。今回は"わらべ歌-遊びの中の音楽"と題して、明大放送大講師の赤羽由規子先生を招いておこなわれました。最初にDVDで子供たちがわらべうたを実際にうたっている様子を鑑賞いたしました。
わらべうたは、昔は大人の目の届かない所で子供同士で工夫してやったものですが、今は学校教育の中で先生が教えているのが現状とのことで、北は北海道から南は沖縄までの広範囲の中から、小学校や保育園で使われているわらべうたの現場がうつしだされ、子供の様子が手に取るように眼前に広がりました。
もともとわらべうたは楽譜をみてうたうものではないこと、その地方の方言でうたわれたり、人から人へ伝えられて変化してゆくものであること、わらべうたの音域は狭いのではずれないこと、日本人のもっている語感にすなおに反応していること、自然と遊びの中の律動である等のお話は、その子供たちの様子から実感としてわかりました。東京芸術大学楽理科、同専攻科で学ばれた赤羽先生は故小泉文夫先生の"民族音楽学"のゼミをとられました。"民族音楽学"という言葉も初めて耳にするような頃、その下に "採譜演習"と書かれていたので五線紙と鉛筆をもってゼミに参加されたそうです。ところが渡されたのは旧式レールのテープレコーダー、驚くゼミの学生たちに小泉先生は"君たち、これをもって町へ出てわらべうたを録音してきなさい"といわれたそうです。町の中へ行ったグループもいたそうですが、赤羽先生のグループは谷中の墓地方面にゆき、ちょうど女の子たちが"なわとび"と"まりつき"で遊んでいるのに出会い、"アッ!これだ"と早速録音をしたそうです。以来、東京23区100校をまわって採譜をし2年間をかけて比較総譜という貴重なわらべうたの楽譜を大成されました。
【わらべうたの研究(楽譜編・研究編)わらべうた刊行会(稲葉印刷所内)inaken@interlink.or.jp】
わらべうたはもともと原調のないうたであり、各方面で方言の違いで音程が違っていることが細かく一目瞭然に記されていました。
数々の興味深いお話のあと、今までみた子供たちの"わらべうた"でやりたいものを選んで受講者全員実践することになりました。
最初はおそるおそるやっていた受講者たちは、だんだんリズムにのり最後は沖縄弁の"徳利ジャー"で複雑な動きもなんのその、日本の方言とリズムに乗り切って講座を終了いたしました。普段西洋音楽の指導にあけくれているピアノ指導者たちにとりましては、心のふるさとのリズムを満喫できた楽しい講座でした。(Report:宮本聖子)
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