「基礎力としての音楽史」西原稔先生より寄稿
6月27日(日)に開催予定のセミナー「19世紀のノクターン」で講師をされる西原稔先生より、「基礎力としての音楽史」という一文をご寄稿いただきました。
海外の音楽学校においては、演奏を専攻する学生でも、日本の音楽学学科に匹敵する量の音楽史の学習が課されることが多いそうです。音楽を考える知識・道具としての「音楽史」をこの機会に見直されてはいかがでしょうか?
なお、セミナー「19世紀のノクターン」は、音楽史を追う上での一つの切り口として、ピアノ音楽の一ジャンルである「ノクターン」に注目するものです。大変ユニークな試みとなります。楽しく音楽史を学習する糸口を提供できるのではないかと、考えております。
基礎力としての音楽史
西原稔
「音楽史を勉強してピアノがうまくなるのだろうか」という疑問は、大きな声では言えないものの、おそらく音楽大学の学生などはどこかに持っているに違いありません。「私の感性が第一」という人もいるでしょうし、「本を読んでも楽譜が読めるわけではない」、「いくら音楽史の本を読んでも指が速く回るわけではない」と考えている人もいるかもしれません。それではピアノの演奏をする上での、音楽史の知識とは、どのように役立つのでしょうか
。音楽史を学ぶ意義
ピアノ演奏を習得するとなると、まずは技術的なことがらをマスターするのが第一、と考えられてきました。その点は今も昔も変らないと思います。一方で、基礎力として音楽史が求められるのは、音楽が西洋文化の重要な営みであるからです。
そもそもヨーロッパやさらにアメリカとくらべて、日本における音楽大学における音楽史教育の発想はまったく異なっています。日本では多くの場合、さしずめ教養課程の一つに過ぎません。しかし日本と同様に、純粋な意味での西洋文化の直接の伝統がないアメリカでは、作品理解や音楽史の変遷に関する教育の密度は、日本の比ではありません。まず、西洋の音楽の歴史と音楽そのものをしっかりと学習し、受容し、理解しなければならないという強い動機がそこにあるに違いありません。西洋音楽の本拠地ドイツの音楽大学における音楽史の教育も同様です。演奏専攻の学生に対しても、成績評価では日本の音楽学専攻学生以上の音楽史の課題が出されています。
バッハの作品の演奏を深く極めるためには、バッハに流れ込んださまざまな流れを知ることが欠かせないのは言うまでもありません。その流れはきわめて多岐にわたり、ジャンルを越えて融合していきます。バッハはどのような音楽を耳にしたのだろうか、どのような楽譜を読んだのだろうか、と考えただけで詳細な音楽史の研究が重要だと思い至るはずです。バロック時代の音楽については、演奏家と音楽学者がともに協力して演奏や研究に当たっている場面を多々見ますが、それはとても理想的な姿です。
モーツァルトやベートーヴェン、シューベルト、シューマン、ブラームスなどの「全集版」の編纂では、音楽学の研究が総動員されています。モーツァルトやベートーヴェンの作曲手法や作曲過程を克明に追求するには、その時代の音楽史研究が不可欠です。そのようにして出来上がった楽譜を演奏者がどのように読むのでしょうか。楽譜には「批判報告書」や編集記録が付されています。演奏者はそれらを読んで、楽譜がどのように出版時の状態まで確定されていったのかをあらかじめ知ってから楽譜を読むというのが、正しい使い方です。そのような記録を読むには音楽史の知識が必要ですから、これはあらゆる演奏家にとって、とても重要な基礎力といえるのではないでしょうか。
演奏家にとっての音楽史
さて、演奏家にとっての「基礎力としての音楽史」の中身を具体的に考えてみます。
音楽通史を詳しく読むことがまず一つです。その重要なポイントはキリスト教社会の音楽を知ることだと思います。西洋音楽史はキリスト教の歴史でもあり、作曲家の作品や創作に宗教が様々な形でかかわりを持っております。しばしば、賛美歌の旋律や動機が作品に引用される場合があります。キリスト教社会に生きる人々が聞けばすぐにその意図は理解できるのでしょうが、その伝統のない私たちにはただの旋律で通り過ぎてしまうことでしょう。ショパンの「スケルツォ第1番」の中間部はポーランドのクリスマス歌ですが、その歌の内容を知っている演奏者はどれほどいるでしょうか。
第二に舞曲の知識も大切です。バロック時代以降、器楽作品では舞曲が盛んに用いられました。その後、アルマンドやサラバンドという名称は用いられなくなるものの、その表現が長く作品に取り入れられました。その舞曲は一体、どのように踊られたものなのでしょうか。リズム形だけではなく、ステップ、表現の特色はどのようなものでしょうか。たとえばブラームスの「弦楽五重奏曲第1番」の第2楽章はメランコリックな3 拍子の音楽で知られ、またそのように演奏されています。しかし、この楽章の初期稿は「サラバンド」として作曲されました。サラバンドであることを知っていれば、その表現はメランコリックなものにはならないはずです。
現在演奏している作曲家や作品について詳しく知ることも大切な音楽史の知識です。たとえば、今年はシューマンの生誕200年の年です。シューマンの創作は楽譜の表面からは決して解明することの出来ない複雑な過程を辿っています。彼自身が音楽批評家としての活動を行い、当時の数多くの作品と接し、それが様々な形で彼の創作に反映していきました。つまり、19世紀前期の音楽史を広範に理解していないと、シューマンの作品理解の入り口にも入れないといっても過言ではありません。
音楽の営みを、残された作品だけではなく、それを生み出した土壌から理解すること。それが「基礎力としての音楽史」ではないかと思います。