論文・レポート

レポート/梅林 郁子『フーゴー・ヴォルフの《イタリア歌曲集 》研究』

2013/07/19
フーゴー・ヴォルフの《イタリア歌曲集 》研究
― 第Ⅰ集 と第Ⅱ集 のピアノ・パートにおける作曲技法の特徴と相違 ―

梅林 郁子

要旨

 19世紀の作曲者であるフーゴー・ヴォルフ Hugo Wolf(1860 ヴィンディッシュグラーツ(現ユーゴスラヴィアのスロヴェニ・グラデッツ)-1903 ウィーン)の《イタリア歌曲集 Italienisches Liederbuch》は、1890年と1891年に作曲された第Ⅰ集 I. Band(全 24曲)と 1896年の第Ⅱ集 II. Band(全22曲)で構成されているが、ヴォルフは当初、2つの集に分けるつもりはなかった。しかしヴォルフは第Ⅰ集作曲後、スランプに陥って新たな創作ができず、編曲のみに取り組むこととなり、ようやくスランプを抜けると、今度はオペラ《お代官様 Der Corregidor》(1894-1896作曲)の作曲に全力を傾けたことから、第Ⅰ集と第Ⅱ集の間には、約 4年にわたるリート創作の空白期が生まれた。そのため両集には、ヴォルフの意図に関わらず、作曲技法に変化が起きている。
 まず、歌唱パートを、特に多用されている同音反復を中心において見ると、第Ⅰ集では、 全ての音符数に対して70.1~80%と同音反復が多用されているリートが6曲(第Ⅰ集全体に対して 27.3%)あるが、第Ⅱ集では 0~30%しか同音反復がないリートが9曲(第Ⅱ集全体に対して 37.5%)というように、同音反復の技法から離れている。そこで、歌唱パートの作曲技法に顕著な違いのあるこれらのリートについてピアノ・パートを比較すると、第Ⅰ集では短いモティーフの反復が、そして第Ⅱ集では反復のない、長いメロディーラインが用いられるという相違がある。このような作曲技法の変化は、主に、両集作曲の間における弦楽四重奏曲《イタリアのセレナーデ Italienische Serenade》(1892 編曲)の管弦楽曲への編曲や、新たな楽章の作曲が影響していると推測される。

1.はじめに

 ヴォルフは生涯に314曲のリートを残しており、うち7 割を超える作品を1888年以降に作曲した。1888年以降のリート作曲期は、1888-1891年の中期と 1896-1897年の後期に分けられ、中期の最後には《イタリア歌曲集》第Ⅰ集が1890年10月2日から11月14日、及び1891年11月29日から12月23日にかけて、そして後期の最初には第Ⅱ集が1896年3月25日から 4月30日にかけて作曲されている。そして、中期と後期の間には、4年以上、リート創作のない時期が挟まれて いるのである。
 この時期の前半はスランプで、以前に作曲した弦楽四重奏曲《セレナーデ Serenade》(1887作曲)の管弦楽編曲などしか作曲されておらず、新たな創作に取り組みたいと心から願っていたヴォルフにとって、非常に苦しい時代であった。このような中、1894年1月に、ヴォルフは当時歌手としてスタートを切ったばかりのフリーダ・ツェルニー Frieda Zerny と出会い、恋に落ちる。そして、ヴォルフはツェルニーの歌唱と自身の伴奏による、 自作リートの演奏会を開催することで演奏活動に力を入れるが、創作の方は相変わらず進まなかった。当時ヴォルフがツェルニーに宛てた書簡によると「ここ数年来、僕の創造の泉はまさに枯渇している。......あれ以来、僕は全くカエルのような存在になっている。しかも、生きの良いのではなく、電気ショック療法を受けているカエルだ」(※1) という状態だっ たのである。やがて 6月になるとヴォルフの気持ちに変化が起き、ツェルニーとの交際を、 かなり一方的に彼から終えることとなった。そして交際の終わりとほぼ同時に、創作に向かう気持ちが再び芽生え、1894年末からは初のオペラ《お代官様》に取り組み、第Ⅱ集創作の直前には、一通りを完成させたのである(※2)
 元々ヴォルフは、《イタリア歌曲集》を第Ⅰ集と第Ⅱ集に分けるつもりはなかったのだが、 このような 4年を超えるリート創作のブランクが入ったことで、当初の計画とは異なり、 最終的に2つの集に収める形となった。そのため筆者は、両集間にはヴォルフの意図に関わらず、作曲技法に変化が起きたのではないかと考え、両集の歌唱パート作曲技法を分析して、明確な違いがあることを明らかにした(※3)。この歌唱パートの考察に基づき、本稿では両集を代表するリートを取り上げて、ピアノ・パートにおける特徴と相違について論じる。

2.《イタリア歌曲集》作曲の経緯

 詩人パウル・ハイゼ Paul Heyse は、1860年に詩集『イタリアの歌の本 Italienisches Liederbuch』を出版した。この歌の本は、ニッコロ・トンマゼーオ Niccolò Tommaseo 編 による詩集『民衆歌 Canti popolari』(1841 出版)、ジュゼッペ・ティグリ Giuseppe Tigri 編『トスカーナの民衆歌 Canti popolari Toscani』(1856 出版)の他、オレステ・マルコアルディ Oreste Marcoaldi 編『知られざる民衆歌 Canti popolari inediti』(1855 出版)や アンゲロ・ダルメディコ Angelo Dalmedico 編『ヴェネツィアの民衆歌 Canti del popolo Veneziano』(1848 出版)などからハイゼが翻訳した 375篇の詩から構成されている。ヴォ ルフはこのうちリスペット(6行または 8行構成が主の恋愛詩)を中心に 46篇の恋愛詩を選択、付曲し、《イタリア歌曲集》としてまとめた。ヴォルフは「僕の南の子どもたちの小さな体には、暖かい鼓動が打っていると断言できる ― ドイツ出身であることは否定できないが。そうだ、心臓はドイツ風に脈打っているが、それには『イタリア風の』陽の光が射しているのだ」(※4) と自作の《イタリア歌曲集》について述べ、ハイゼのドイツ語訳詩から垣間見えるイタリアの南国らしさを、作曲を通じて具体化したと考えていた。
 また前節で述べたように、ヴォルフは《イタリア歌曲集》を当初は第Ⅰ集と第Ⅱ集に分けるつもりはなく、「『甘美な驚きが僕の全身を貫く』。僕はまるで至福の園にいるようだ ― 33 がその数字だ!」(※5) と、啓示めいた閃きから歌曲集を 33曲一集にしようと計画していた。 しかし、1892年には「33のイタリア歌曲を出版しようと思っているので、まだ 11曲足りない。」(※6)と記しており、ここから書き進められなくなった状態が窺える。やがて 1896年にようやく新たな創作意欲が湧き、第Ⅱ集を書き始めたときには、今度は 24曲にすると決めて取り掛かった。そして最後の曲を作曲し終わった時点で「僕は昨日イタリア歌曲集の第24曲を書き終え、それによって予め決めてあった数に本当に到達したのだ」(※7)と述べたのである。また、ヴォルフ自身はこの歌曲集について第Ⅰ集作曲終了後に「イタリア歌曲は、 僕の全ての作品のなかで最も独創的で、芸術的に完成されたものと考えている」(※8) といった高い評価も下している(※9)

3.第Ⅰ集と第Ⅱ集における歌唱パートの相違点

 ヴォルフの中期リートの歌唱パートには、【譜例1】のような同音反復が多用されている。 しかし中期と後期に跨る《イタリア歌曲集》の第Ⅰ集と第Ⅱ集では、リート作曲期のブランクを挟み、この同音反復の使用状況において、全く異なる傾向が表れている。【図1】は、 リート毎に全ての音符に対して同音反復が含まれている割合を計算し、集別に表示したグラフである。


【譜例 1】第Ⅰ集第14曲〈友よ、修道服に身を包もうか〉mm.30-31
【図1】《イタリア歌曲集》集別の歌唱パートに含まれる同音反復数の割合
x軸:各曲の全ての音符の数に対する同音反復の割合
y軸:各集全体に対する該当リートの割合

【図1】《イタリア歌曲集》集別の歌唱パートに含まれる同音反復数の割合

 【図 1】のx軸は、各曲の全ての音符の数に対する同音反復数の割合、y軸は各集全体に対する該当リートの割合を示している。図よりx軸の 30.1-70%の部分では、両集ともに該当作品があるのに対し、0-30%では、第Ⅱ集のみ計 37.5%(8.3%+4.2%+25%)のリートが、70.1-80%では第Ⅰ集のみ 27.3%のリートが占めており、全体として第Ⅰ集では同音反復の割合が多く、第Ⅱ集は少ないという、顕著な傾向の相違を指摘できる。第Ⅰ集と第Ⅱ集は双方とも恋愛詩に拠っており題材は同じであるので、同音反復使用割合の相違が、詩の内容の違いを音楽的に表現した結果であるとは考えにくい(※10)。そのため、4年間のリート創作のブランクを経て、ヴォルフの歌唱パート作曲技法における同音反復の扱いが大きく 変わったと捉えるべきであろう。つまり、第Ⅰ集で曲集全体の70.1-80%を占めるリートと 第Ⅱ集で 0-30%を占めるリートは、各集の傾向を顕著に代表しているのである(※11)

4.各集におけるピアノ・パートの考察対象曲

 前節で述べた、各集の傾向を顕著に代表するリートは、第Ⅰ集で70.1-80%を占める27.3%が曲数にして6曲、第Ⅱ集で 0-30%を占める 37.5%は 9曲となる。【表1】は各集のリートを、各曲の全ての音符の数に対して同音反復数の割合が多い順に並び替えて表示したものである。このうち、ピアノ・パートの作曲技法における特徴と相違を分析的に考察する上で、本研究では赤枠内の、各集の傾向を顕著に示すリートを対象曲とする。

【表 1】《イタリア歌曲集》一覧(歌唱パートに含まれる同音反復数の割合)
第Ⅰ集
曲順とインチピット 割合(%)
14. 友よ、修道服に身を包もうか
Geselle, woll’n wir uns in Kutten hüllen
76.4
8. さあ、仲直りしよう
Nun lass uns Frieden schließen
75.9
7.月は深い嘆きを心に抱えて
Der Mond hat eine schwere Klag’ erhoben
75.8
19. 私たち二人は長く口をきかず
Wir haben beide lange Zeit geschwiegen
75.0
6. だれがあなたを呼んだの
Wer rief dich denn?
71.4
9. 魅力が全て描き出されるように
Dass doch gemalt all’ deine Reize wären
70.6
2. 遠くへ旅立つと聞いたけれど
Mir ward gesagt, du reisest in die Ferne
70.0
5. 目の見えない人々は幸せだ
Selig ihr Blinden
68.4
18. ブロンドの頭をあげておくれ
Heb’ auf dein blondes Haupt
61.1
17. 恋人を焦がれ死なせたいなら
Und willst du deinen Liebsten sterben sehen
60.7
1. 小さいものでも
Auch kleine dinge
59.8
22. セレナーデを奏でるために
Ein Ständchen Euch zu bringen
58.4
16. 戦地に赴く若い兵隊さんたち
Ihr jungen Leute
54.4
20. 恋人が家の前で歌っている
Mein Liebster singt am Haus
52.2
4. 祝福あれ、この世を作られた方に
Gesegnet sei, durch den die Welt entstund
49.2
11. どんなに長い間待ち望んだか
Wie lange schon war immer mein verlangen
48.5
3. あなたは誰より美しい
Ihr seid die Allerschönste
48.2
21. 噂ではお母様が望んでいないと
Man sagt mir, deine Mutter woll’ es nicht
47.7
15. 私の恋人はこんなに小さくて
Mein Liebster ist so klein
44.9
10. 私を細い紐で虜にするつもりね
Du denkst mit einem Fädchen mich zu fangen
42.9
13. いい気なもんだ、お嬢さん
Hoffärtig seid Ihr, schönes Kind
35.8
12. だめよ、お若い方
Nein, junger Herr
32.8
第Ⅱ集
曲順とインチピット 割合(%)
15. なんと長い時間を無駄にしたか
Wie viele Zeit verlor ich
65.5
23. 奈落が小屋を飲み込めばいい
Verschling’ der Abgrund meines Liebsten Hütte
58.0
1. どんな歌を歌ったらよいのか
Was für ein Lied soll dir gesungen werden
50.7
5. 疲れた体でベッドに横になると
Schon streckt’ ich aus im Bett die müden Glieder
49.4
12. あなたは朝早くに起きて
Und steht Ihr früh am Morgen auf
46.6
8. 彼女など放っておけ
Lass sie nur gehn
44.0
11. 私が死んだら花で覆って下さい
Sterb’ ich, so hüllt in Blumen meine Glieder
43.2
7. ご身分はよくわかっています
Wohl kenn’ ich Euern Stand
39.8
4. 噂話によると
Ich ließ mir sagen und mir wald erzählen
38.6
16. あなたが私をちらりと見ると
Wenn du mich mit den Augen streifst
36.1
9. どうして陽気でいられるのか
Wie soll ich fröhlich sein
34.9
6. よくも言ったわね
Du sagst mir
33.3
14. 愛しい人、あなたが天国に
Wenn du, mein Liebster, steigst zum Himmel auf
31.5
10. 何をそんなに怒っているの
Was soll der Zorn, mein Schatz
31.3
18. あなたの家が透けて見えたら
O wär’ dein Haus durchsichtig
31.0
3. 恋人が私を食事に招いてくれた
Mein Liebster hat zu Tische mich geladen
28.7
19. 昨晩、目が覚めると
Heut’ Nacht erhob ich mich
26.2
22. ああ知っているのか
O wüßtest du
24.6
13. 亡きお母様に祝福を
Benedeit die Sel’ge Mutter
22.5
17. なんて素敵な緑色
Gesegnet sei das Grün
22.4
2. もう乾いたパンなど食べない
Ich esse nun mein Brot nicht trocken mehr
20.2
20. もうこれ以上歌えない
Nicht länger kann ich singen
12.3
24. ペンナに私の恋人がいる
Ich hab in Penna einen Liebsten wohnen
8.0
21. ちょっと黙って
Schweig’ einmal still
0.0

5.ピアノ・パートにおける特徴と相違
5.1 第Ⅰ集の特徴

 第Ⅰ集の考察対象曲 6曲は、歌唱パートに同音反復が多用されている作品である。しか し、リートによっては、歌唱パートに同音反復が多用されている部分と、されていない部分に分かれており、それに拠ってピアノ・パートのとる傾向も異なるので、以下部分毎に検討を進める。

5.1.1  歌唱パートに同音反復が多用されている部分の傾向

 歌唱パートに同音反復が多用されている部分のピアノ・パートには、【譜例 2】に示すように、歌唱パートとは音の異なる、数拍から 1 小節程度の短いモティーフが、変形を伴いつつ反復されており、これは対象曲全曲で用いられる技法である。


【譜例2】第Ⅰ集第7曲〈月は深い嘆きを心に抱えて〉mm. 1-2

 このようなメロディーとリズムのモティーフの反復は、ヴォルフが 1875年より作曲を始めた初期のピアノ曲(※12)を皮切りに、中期に向けて発展させた作曲技法とも合致している。 この技法は、第Ⅰ集の半年前に作曲が終わり、また第Ⅰ集以上に歌唱パートにおいて同音反復が顕著である《スペイン歌曲集 Spanisches Liederbuch》の《宗教的な歌曲集 Geistliche Lieder》(1889-1890 作曲、全10曲)(※13)のピアノ・パートにおいて、各歌曲の90%前後をひとつのモティーフが反復されるという形で最大限に発揮された(※14)。つまりこの歌曲集では、歌唱パートでは同音反復、ピアノ・パートではモティーフの反復と、種類の異なる反復の二重構造が形成されているのである。
 それに対して第Ⅰ集では、《スペイン歌曲集》程には歌唱パートに同音反復が多用されていないことと連動してか、ピアノ・パートにも緊密な反復構造は見られず、1曲のリートに複数のモティーフが用いられることもある。しかしいずれにしても、モティーフの反復は変わらず行われており、やはり両パートにおいて反復の二重構造を指摘できる。

5.1.2 歌唱パートに同音反復が多用されていない部分の傾向

 歌唱パートに同音反復が多用されていない部分では、【譜例3】に示すように、歌唱パートの奏される部分はピアノ・パートに休符が多く、ピアノ・パートが入ると歌唱パートが休みとなるような傾向がある。


【譜例 3】第Ⅰ集第14曲〈友よ、修道服に身を包もうか〉mm. 4-6

 この傾向は特に、第6曲〈誰があなたを呼んだの〉や第14曲〈友よ、修道服に身を包もうか〉に顕著である。この2曲のリートは他の4曲と異なり、歌唱パートに同音反復が多用されていない導入部と、その後の多用されている箇所との二部分に、かなり明確にわかれており、この技法は、多用されていない導入部に用いられている。ここでは、歌唱パートとピアノ・パートは共に奏することが少なく、両パートが互いを補うことで掛け合いのようになっており、歌唱パートに同音反復が多用されている部分のピアノ・パートに見られるモティーフの反復とは、全く異なった形を示している。

5.2 第Ⅱ集の特徴

 第Ⅱ集の考察対象曲は、第Ⅱ集のなかでも各曲の全ての音符の数に対する同音反復数の割合が、0-28.7%と少ない9曲である。この集のピアノ・パートには、以下に示す2種類の特徴がある。

(1)ピアノ・パートは、歌唱パートとは音の異なる、数拍から1小節程度の短いモティーフを変化しながら反復(【譜例4】)


【譜例 4】第Ⅱ集第22曲〈ああ知っているのか〉mm. 1-2

(2)ピアノ・パートと歌唱パートのメロディーラインが独立している(【譜例 5】)


【譜例 5】第Ⅱ集第20曲〈もうこれ以上歌えない〉mm. 1-4

 (1)のモティーフが変化しながら反復する形については、5. 1. 1 の第Ⅰ集の考察で前述したように、決して第Ⅱ集固有の新たな技法ではない。しかもこの形は、第19曲を除いて、 同音反復数が 22.5%以上のリート群のみに使用されているので、ピアノ・パートのモティ ーフの反復は、やはり歌唱パートの同音反復の多用と連動すると考えてよいだろう。
 一方で、同音反復数が22.4%以下のリート群における主要な技法としては、(2)のメロディーラインの独立が挙げられる(ただし、22.4%以下のリート群に含まれる第24曲には、この技法は用いられないのに対し、22.5%以上のリート群における第19曲には使用されている)。ここでは【譜例 5】に示したように歌唱パートの同音反復を含まない、またはほとんど含まない跳躍的なメロディーラインに相対して、ピアノ・パートも独自のメロディーラインを展開している。この両パートは、同じ和声の中でときに音が重なることもあるが、 基本的にはそれぞれが独立したメロディーを展開しており、歌とピアノによる二本のライ ンが中心となって、横の動きで曲を編むのである。

5.3 第Ⅰ集と第Ⅱ集間の相似と相違

 前項までに述べてきたように、歌唱パートに同音反復が多用されている第Ⅰ集の対象曲では、歌唱パートでは同音が、そしてピアノ・パートではメロディーとリズムのモティーフが変更を伴いつつ反復され、種類の異なる二重の反復がリートを構成している。一方で、 第Ⅰ集の対象曲の中には、歌唱パートに同音反復が多用されている部分とそうでない部分が明確に分かれているリートもあり、このうち、リートの同音反復が多用されない部分で は、ピアノ・パートは歌唱パートと共に動くのではなく、歌唱パートが奏される部分ではピアノに休符が多く、歌唱パートに休符が入るとピアノ・パートが演奏されるといった掛け合い的な形になっている。この形は、リートの導入部に用いられていることから、オペラのレチタティーヴォ的なイメージで作曲されたとも捉えられるだろう。
 しかし、このような掛け合いは、歌唱パートに同音反復が多用されない第Ⅱ集にそのまま応用されたわけではない。第Ⅱ集の対象曲の中でも、同音反復が比較的多く使用されているリート(22.5%以上)では、むしろ相変わらずピアノ・パートは、数拍から1小節単位のモティーフを反復している。ここでは、第Ⅰ集と比較すると歌唱パートに使用される同音反復は圧倒的に少ないので、歌唱とピアノの両パートによる反復の二重構造が形成され るとは言えないが、初期から連続するヴォルフのピアノ作曲技法は、やはり受け継がれている。一方、歌唱パートの同音反復が最も少ないリート群(22.4%以下)に見られる新たな技法が、ピアノ・パート独自のメロディーラインである。この技法では、ピアノ・パートは歌唱パートと異なる長い横のメロディーラインを形成することで、ピアノ・パートと歌唱パートは独立することとなり、結果として、両パートは、反復のないメロディーラインで曲を作り上げることとなったのである。以上より、ヴォルフは極端に同音反復の少ない、 または無い歌唱パートに対しては、ピアノ・パートでは初期から使い続けてきたモティーフの反復技法を放棄し、新たな形を導入したことが示される。

6.第Ⅰ集と第Ⅱ集における作曲技法の変化の理由

 ヴォルフの友人であるエドウィン・マイザー Edwin Mayser は、友人たちの前で第Ⅱ集の自作自演を行ったヴォルフが「これらのリートは絶対音楽に置き換えることができる、 と繰り返し強調した。つまり、相当数の曲は、同様に弦楽四重奏でも演奏され得る、と考えていた」(※15)と述べている。この発言が事実であれば、これはヴォルフが少なくとも、第Ⅰ集と第Ⅱ集の作曲技法をなんらかの形で意図的に変えたか、または作曲技法が意図せずに変わった結果を言い表したものと考えられる。本稿の考察に基づいて、この変更点を具体的に挙げると、それは歌唱パートの同音反復の減少と、ピアノ・パートの反復のないメロディーラインの形成であり、ヴォルフの歌曲は両パートにおいて、よりメロディーの横の流れを重視した方向に転換したと言えよう。
 なぜ、このような変化が生じたのかについては、第Ⅰ集と第Ⅱ集作曲の間に生じたリート創作ブランク期間における、弦楽四重奏曲《セレナーデ》の管弦楽編曲《イタリアのセ レナーデ》や、オペラ《お代官様》の作曲も一因であろう。特に《スペイン歌曲集》のリートが、スペインを舞台とした《お代官様》や晩年の未完のオペラ《マヌエル・ヴェネガス Manuel Venegas》(1897作曲)にアリアとして挿入されることで、歌曲集とオペラが繋がっているように(※16)、《イタリア歌曲集》と《イタリアのセレナーデ》にも関連を見ることができる。その関連とは、第一に《イタリアのセレナーデ》に付随した未完作品の作曲時期、第二に《イタリアのセレナーデ》と第Ⅱ集のメロディーの類似である。
 第一点の未完作品への取り組みについては、まず、ヴォルフは《セレナーデ》を《イタ リアのセレナーデ》に編曲した後も、この作品を複数楽章にしようと考え、1893年には第2楽章、1894年には第3楽章に取り組み、草稿も残している(【図 2】)。


【図 2】《イタリアのセレナーデ》第3楽章草稿(※17)

 この草稿についてヴォルフは「もう数日前から、この主題が頭に浮かんでいたのだが、作曲を実行するに値するか考えていた。その間に、この主題はだんだんと静かにしていなくなってきたので、僕は良い兆候と思うようになり、既にもうかなりの部分を、実際書き 進めてしまった。これは《イタリアのセレナーデ》のスケルツォ部分となるだろう」(※18)という言葉を残しているが、実際には作曲を終えることはできなかった。また第Ⅱ集作曲後の1897年末になると、第4 楽章と《第3イタリアのセレナーデ Dritte Italienische Serenade》 (1897作曲)の他、第4楽章にルイージ・デンツァ Luigi Denza作曲の《フニクリ・フニクラ Funiculì Funiculà》(1880作曲)(※19)を採り入れて独立の曲にしようとした《タランテラ Tarantella》(1897作曲)にも着手したが、これらの作品も全て完成には至らなかった(※20)。いずれも未完の取り組みではあるが、これは第Ⅰ集から第Ⅱ集のリート創作ブランク期間や、第Ⅱ集作曲後も、ヴォルフが「イタリア」を音楽化するというテーマを追い続けていたことを示すものである。
 第二点のメロディーの類似としては、《イタリアのセレナーデ》の主旋律が第Ⅱ集第20曲〈もうこれ以上歌えない〉と第21曲〈ちょっと黙って〉に関係しているのではないか、 というエリック・サムズ Eric Sams の指摘(※21)に始まる。この 2曲の詩は、出典の『イタリアの歌の本』では連作詩ではないが、第20曲は男性が強風の吹きすさぶなか、愛する女性のために歌い、第21曲はこの詩を受けて、女性がこの男性の歌より、ロバの歌うセレナーデの方がましと強烈に拒否するよう、ヴォルフは 2つの詩を並べ、物語性を出している。 そしてサムズは、《イタリアのセレナーデ》の主旋律(【譜例 6】)が、ヴォルフのイメージする本来のセレナーデで、これを第20曲〈もうこれ以上歌えない〉のピアノ・パートの右手(【譜例 5】)が、下手なセレナーデのメロディーとしてパロディしたと考えているようである。このパロディ・バージョンのメロディーは、第21曲〈ちょっと黙って〉のピアノ・パートにもほぼ同じ形で使われており、さらにサムズの指摘にはないが、筆者は、男性が実らない恋心を愛する女性に訴える、次の第22曲〈ああ知っているのか〉にもさらに変形されて使用されている(【譜例 4】の右手のメロディー)と考える。そしてこの第20曲から第22曲は、前節で考察対象として取り上げたように、歌唱旋律に同音反復が少ない(または全くない)ことから、第Ⅱ集の傾向を顕著に示す曲であった。


【譜例 6】《セレナーデ》の主旋律(第1ヴァイオリン) mm. 16-20

 このように、第Ⅱ集に対する《イタリアのセレナーデ》の影響が、メロディーラインの類似に留まらず、歌唱パートの同音反復を減少させ、ピアノ・パートをモティーフの反復から独自のメロディーラインの導入に変化させるという、ヴォルフのリート構造の根幹に関わった可能性は否定できない。このような推測を、楽曲分析を通して立証することは困難ではあろうが、第Ⅱ集以後にヴォルフが残した全6曲のリートについて、歌唱パートを考察すると、各曲の全ての音符の数に対する同音反復数の割合が 50.1%を超えることはなく(※22)、少なくとも歌唱パートにおいては第Ⅱ集の傾向が促進されているのである。そこで、数は僅かながらも最晩年の6曲について、ピアノ・パートの作曲技法についても考察を進める必要があるとは考えるが、この研究については改めて別の機会に譲りたい。

7.おわりに ― 演奏習慣との関連

 本稿を終えるにあたり、演奏習慣と本研究の関連について、述べておきたい。
 《イタリア歌曲集》は第Ⅰ集と第Ⅱ集を併せて全 46曲と歌曲集としては大型でありながらも、各曲が短く、また男声と女声の曲がほぼ半々であることから、一晩のコンサートで演奏できる規模である。そのため、ヴォルフ自身は歌曲集が一気に全曲奏されることを念頭に置いて作曲しなかったにも関わらず、今日ではしばしば、全曲を通す形での演奏会が開催されている。またこの歌曲集は連作ではないが、前節に挙げた第Ⅱ集の第20曲や第21曲のように、詩の内容において対やグループで解釈できる作品が多く含まれているので、全曲演奏の折には曲順の組み替えが行われることも多い。これは、ピアニストでヴォルフの研究者でもあったエリック・ヴェルバ Erik Werba が、1958年のザルツブルク音楽祭で《イタリア歌曲集》全曲演奏を行うにあたって始めたものである。彼は「歌で表現すべき男と女の性格を互いに衝突させ、もしくは互いに補い合うように配列」(※23)してはどうかと提案し、詩の内容が互いに連関するように、配列し直した。ヴェルバ自身は各集内部での組み替えと、二集を混ぜて組み替える 2つの方法を試しているが、近年は二集を混ぜる形が多いようである(※24)
 筆者は組み換えについては、演奏者の自由裁量で行われるべき範囲と考えている。しかし特に第Ⅰ集と第Ⅱ集を混ぜる方法は、あくまで詩の内容を重視した結果であり、作曲年の開きによる作曲技法の違いは考慮に入れられていないことに注意すべきであろう。一方でまた、今後、本研究で論じた作曲技法の違いを反映させ、新たな組み替えの可能性も示唆できることを述べ、本稿の結びとしたい。

 本稿は、カワイサウンド技術・音楽振興財団平成 23年度 第1回音楽振興部門助成研究「フーゴー・ヴォルフの書簡研究 ― 音楽に対する考え方と創作状況」による研究成果の一部である。


(1)
‘'der Quell meines Schaffens seit einigen Jahren geradezu versiegt. ...... Seitdem führe ich eine wahre Froschexistenz, u. z. nicht einmal die eines lebendigen, sondern eines galvanisirten Frosches.” Hugo Wolf to Frieda Zerny, Wien, 22 May, 1894, Hugo Wolf Briefe, ed. by Leopold Spitzer, 4 vols. (Wien: Musikwissenschaftlicher Verlag, 2010), vol. 2, p. 389.
(2)
ツェルニーがヴォルフの演奏・創作活動について果たした役割については梅林郁子「フーゴー・ヴォルフの書簡研究 ― フリーダ・ツェルニー宛 1894年2月から 6月まで」 『鹿児島大学教育学部研究紀要 人文・社会科学編』第63 巻(2012) : 59-73 を参照されたい。
(3)
「フーゴー・ヴォルフのイタリア歌曲集研究 - 歌唱旋律作曲法の変化について」『創造学園大学紀要』第2 集 (2006) : 37-47.
(4)
"Und ein warmes Herz, dass kann ich mich verbürgen, pocht in diesen kleinen Leibern meiner jüngsten Kinder des Südens, die trotz allem ihre deutsche Herkunft nicht verleugnen können. Ja, das Herz schlägt ihnen deutsch, wenn auch die Sonne auf ,,italienisch‘‘ dazu scheint.” Hugo Wolf to Emil Kaufmann, Döbling, 23 December, 1892, Hugo Wolf Briefe, vol. 2, p. 132.
(5)
",,Ein süßer Schrecken geht durch mein Gebein''. Ich bin wie im Elysium. - 33 ist die Zahl!" Hugo Wolf to Melanie Köchert, Döbling, 2 December, 1891, Ibid, vol. 1, p. 618.
(6)
''Es fehlen noch 11, da ich mirs in den Kopf gesetzt 33 Italienische zu veröffentlichen." Hugo Wolf to Emil Kaufmann, Döbling, 2 April, 1892, Ibid, vol. 2, p. 69.
(7)
''dass ich gestern das 24. der italienischen Lieder geschrieben u. damit die Zahl, die im vorhinein bestimmt war, wirklich erreicht habe." Hugo Wolf to Emil Kaufmann, Perchtoldsdorf, 1 May, 1892, Ibid, vol. 3, p. 108.
(8)
''Ich halte die Italienischen für das originellste u. künstlerisch vollendeste unter allen meinen Sachen." Hugo Wolf to Emil Kaufmann, Döbling, 15 December, 1891, Ibid, vol. 1, p. 621.
(9)
ただし、ヴォルフは《イタリア歌曲集》のみならず、往々にして自作に自己陶酔的評価を下すことが少なくない。例えば、《お代官様》作曲時には「《お代官様》の音楽は、僕のペン先から流れ出た、充分に過ぎる最高のものだ。このオペラは、類の無い成功を収めるだろうと確信している。''Die Musik zum Corregidor ist wohl weitaus das Beste was je aus meiner Feder gefloßen. Die Oper wird eine beispiellose Wirkung machen, dessen bin ich gewiss."」(Hugo Wolf to Frieda Zerny, Matzen, 21. June, 1895, Hugo Wolf Briefe, vol. 2, p. 663.)といった自信に溢れた言葉を残している。
(10)
同様に 2 つの集に分かれ、同音反復使用状況に顕著な相違が見られる作品として《スペイン歌曲集 Spanisches Liederbuch》(1889-1890 作曲、全43曲)が挙げられる。この歌曲集は《イタリア歌曲集》とは異なり全曲が中断なく書き上げられたが、やはり《宗教的な歌曲集 Geistliche Lieder》(全 10曲)と《世俗的な歌曲集 Weltliche Lieder》(全 34曲)に分けられ、構成されている。作曲は両集のリートが混在した状態で進められたにも関わらず、同音反復の作曲技法は、両集間で大きく異なっている。これは詩の題材が《宗教的な歌曲集》ではキリスト教、《世俗的な歌曲集》では恋愛であることから、その区別の音楽的な表現により、相違が現れたと考えられる。この点についての詳細は、 梅林郁子「The method of composing the melody line in Hugo Wolf 's lieder」『創造学園大学紀要』第5 集 (2009) : p. 4 を参照されたい。
(11)
総じて第Ⅰ集の歌唱パートにおける同音反復の多さは、中期全体の傾向と合致し、第Ⅱ集における少なさは、第Ⅱ集以後の作品でも同様の傾向が見られることから、後期の傾向と捉えられる。詳細は、同前, p.3 の Table2 に、各歌曲集における同音反復数のデータを示したので参照されたい。
(12)
例えば、《ロンド・カプリチオーソ Rondo capriccioso》op.15(1876 作曲)、《フモレスケ Humoreske》(1877 作曲)、《幼年時代から Aus der Kinderzeit》(1878 作曲)など。
(13)
《宗教的な歌曲集》における歌唱パートの、各曲の全ての音符の数に対する同音反復数の割合は、40.1-80.0%の間にあり、内訳は 40.1-50.0%が 10%、50.1-60.0%が 40%、 60.1-70.0%が 40%、70.1-80.0%が 10%となっている。このデータは、梅林郁子, 前掲, p.3 の Table2 を参照されたい。
(14)
初期ピアノ曲におけるモティーフの反復と、《スペイン歌曲集》を中心としたリートへの応用については、梅林郁子「フーゴー・ヴォルフのピアノ曲とリートにおけるモティーフの反復」『日本ピアノ教育連盟紀要』 第27 号 (2011) : 39-51 を参照されたい。
(15)
''Er hob wiederholt hervor, dass in diesen Liedern noch mehr absolute Musik stecke als in anderen; manches könnte ebensogut als Streichquartett gespielt werden,meinte er." Edwin Mayser, ''Ungedruckte Briefe Hugo Wolfs an schwäbische Freunde," Süddeutsche Monatschefte, vol.1, no.1. (1904): p. 398. これは、マイザーがヴォルフの没後、生前のエピソードとして明らかにした言葉である。
(16)
ヴォルフは《スペイン歌曲集》《世俗的な歌曲集》の第2曲〈私の巻き毛の陰で In dem Schatten meiner Locken〉と第11曲〈心よ、落胆するのはまだ早い Herz, versage nicht geschwind〉の 2曲を管弦楽伴奏に編曲し、《お代官様》にアリアとして挿入している。 また、第6曲〈君は花園に行ったら Wenn du zu den Blumen gehst〉と第7曲〈恋を取り逃がす男など Wer sein holdes Lieb verloren〉についても《マヌエル・ヴェネガス》 で同様の試みをする予定だった。
(17)
この草稿は、1894年3月12日にツェルニー宛に書かれた書簡に含まれており、ウィーン市庁舎図書館 Wienbibliothek im Rathaus に資料番号 H.I.N.200338 として保管されている。
(18)
''Das Thema selbst ist mir schon vor ein paar Tagen eingefallen, aber ich ließ es liegen, um es auf seine Durchführbarkeit zu prüfen. Dass es mich inzwischen nicht ruhen ließ betrachtete ich als ein gutes Zeichen, u. in der That bin ich in der Ausführung schon ein ziemliches Stück vorwärts geschritten. Es soll die Stelle eines Scherzos in meiner italienischen Serenade vertreten." Hugo Wolf to Fieda Zerny, Wien, 12 March, 1894, Hugo Wolf Briefe, vol. 2, p. 345.
(19)
ヴォルフは 1896年8 月に、友人のハインリッヒ・ポトペシュニッグ Heinrich Potpeschnigg と北イタリアのドロミテに小旅行に出掛けた際、イタリア人が歌う《フニクリ・フニクラ》を聴き、大層気に入っていたと言われている。この様子は、Hans F. Redlich and Walker Frank. ''Hugo Wolf and ''Funiculì, funiculà,"" The Music Review, no. 13 (1952): 125-128 に詳しい。
(20)
ヴォルフの《イタリアのセレナーデ》に関連した未完作品などの作曲の経緯については、Frank Walker, ''The history of Wolf 's ''Italian Serenade,'''' The Music Review, no. 8 (1947): 161-174、及び、Margret Jestremski, Hugo Wolf Skizzen und Fragmente. Untersuchungen zur Arbeitsweise. (Hildesheim: Georg Olms Verlag, 2002)に詳しい。
(21)
Eric Sams, The songs of Hugo Wolf, (London: Faber and Faber, 1992), p. 364.
(22)
この6曲の同音反復数の割合の内訳は、0-10.0%が 1曲、10.1-20.0%が 1曲、20.1-30.0%が2曲、40.1-50.0%が2曲である。
(23)
''die darzustellenden Charaktere von Mann und Frau aufeinanderprallen, beziehungsweise einander ergänzen läßt." Eric Werba, Hugo Wolf oder der zornige Romantiker, (Wien: Molden Taschenbuch Verlag, 1978), p. 247.
(24)
演奏者の組み替えによる曲順については、梅林郁子「フーゴー・ヴォルフのイタリア歌曲集研究 - 歌唱旋律作曲法の変化について」『創造学園大学紀要』第2 集 (2006):37-39 を参照されたい。ここではヴェルバの提案の他、同様に二集を混ぜて組み替えた、 白井光子、クリストフ・プレガルディエン Christoph Prégardien、ハルトムート・ヘル Hartmut Höll のコンサート(2000年5月18日、紀尾井ホール)などについて、曲順を示している。他の演奏例や、独自の組み替えを提案している論文としては、山崎法子「フーゴー・ヴォルフ《イタリア歌曲集》舞台風再現の試み」『音楽研究:大学院研究年報』 第21 号(2009): 81-96 が挙げられる。

引用・参考文献
  • Dalmedico, Angelo, ed.. Canti del popolo Veneziano. Venezia: 出版社記載なし, 1848.
  • Dorschel, Andreas. Hugo Wolf . 2nd ed.. Hamburg: Rowohlt, 1992. (邦訳:『ヴォルフ』樋口大介訳 東京: 音楽之友社, 1998.)
  • Heyse, Paul, trans. and ed.. Italienisches Liederbuch. Berlin: Wilhelm Hertz, 1860.
  • Hilmar, Ernst. Hugo Wolf Enzyklopädie. Tutzing: Hans Schneider, 2007.
  • Jestremski,Margret. Hugo Wolf Skizzen und Fragmente. Untersuchungen zur Arbeitsweise. Hildesheim: Georg Olms Verlag, 2002.
  • ―――. Hugo-Wolf-Werkverzeichnis. Kassel: Bärenreiter, 2011.
  • Marcoaldi, Oreste, ed.. Canti popolari inediti. Genova: 出版社記載なし, 1855.
  • Mayser, Edwin. ''Ungedruckte Briefe Hugo Wolfs an schwäbische Freunde''.Süddeutsche Monatschefte. Vol. 1, no. 1. (1904): 397-406.
  • Redlich, Hans F., and Walker, Frank. ''Hugo Wolf and ''Funiculì, funiculà.'''' The Music Review. No. 13. (1952): 125-128.
  • Sams, Eric. The songs of Hugo Wolf . 3rd ed.. London: Faber and Faber, 1992.
  • Spitzer, Leopold, ed.. Hugo Wolf Briefe. 4 vols. Wien: Musikwissenschaftlicher Verlag, 2010-2011.
  • Tigri, Giuseppe, ed.. Canti popolari Toscani. Firenze: 出版社記載なし, 1856.
  • Tommaseo, Niccolò, ed.. Canti popolari. Venezia: 出版社記載なし, 1841.
  • 梅林郁子. 「フーゴー・ヴォルフのイタリア歌曲集研究 - 歌唱旋律作曲法の変化について」『創造学園大学紀要』第2 集 (2006): 37-47.
  • ―――. 「The method of composing the melody line in Hugo Wolf 's lieder」『創造学園大学紀要』第5 集 (2009): 1-11.
  • ―――. 「フーゴー・ヴォルフのピアノ曲とリートにおけるモティーフの反復」『日本ピアノ教育連盟紀要』第27 号 (2011): 39-51.
  • ―――. 「フーゴー・ヴォルフの書簡研究 ― フリーダ・ツェルニー宛 1894年2月から6月まで」『鹿児島大学教育学部研究紀要 人文・社会科学編』第63 巻 (2012): 59-73.
  • Walker, Frank. ''The history of Wolf 's ''Italian Serenade."" The Music Review. No. 8 (1947): 161-174.
  • Werba, Eric. Hugo Wolf oder der zornige Romantiker. Wien: Molden Taschenbuch Verlag, 1971.(邦訳: 『フーゴー・ヴォルフ評伝 怒れるロマン主義者』佐藤牧夫、朝妻令子訳 東京: 音楽之友社, 1979)
  • 山崎法子. 「フーゴー・ヴォルフ《イタリア歌曲集》舞台風再現の試み」『音楽研究:大学院研究年報』 第21 号 (2009): 81-96.
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