レポート/市川雅己『プロコフィエフ ピアノ・ソナタ第7番 変ロ長調 作品83の研究』
市川雅己(桐朋学園大学院大学平成12年度修士論文/桐朋学園大学院大学音楽研究科演奏研究専攻2年)
<目次>
- 序
- 第1章 プロコフィエフのピアノ・ソナタ
- 各時期にみるプロコフィエフのピアノ・ソナタ
第1期...第1,2,3,4、番 作品1、12、28、29
第2期...第5番 作品38
第3期...第6,7,8番 作品82、83、84
第4期...第9番 作品103 - 第2章 戦 争ソナタ(第6、第7、8番)について
- 第3章 ピ アノ・ソナタ第7番の分析的考察
- 第1楽章 Allegro inquieto
- 第2楽章 Andante caloroso
- 第3楽章 Precipitato
- 第4章 まとめ
凡例
1. 外国語,外国人名は、できるだけその国の発音に近い仮名書きで表記した。ただし、第3章における作品分析での楽語表記において は、参考楽譜に書かれた表記 に従った。
2. 曲名は訳題で表記し、適当な訳題のないものはそのまま仮名書きで表記した。
3. 譜例は、譜例番号とともに本文中に挿入しているが、文の引用による注釈、また 参考文献等は巻末にまとめた。
4. 括弧 「 」 引用句,強調句。
『 』 書名。
《 》 作品名。
序
ロシアの大作曲家セルゲイ・プロコフィエフがこの世を去って、50年の月日が経とうとしている。現在、彼の音楽作品は、世界中の音楽家によって演奏され、多くの人々を魅了しているが、その中でも彼のピアノ・ソナタは、20世紀のピアノ・ソナタの最も重要なレパートリーのひとつとして存在している。このソナタについて私は特に《第7番・変ロ長調・作品83》を中心に取り上げ、さまざまな観点から分析的に検討したい。
ロシア音楽界において、プロコフィエフの研究は過去にも色々と行われてきている。彼の本格的な再検討が始まったのは、彼の没後10周年記念祭が行われた1963年前後からであった。これは、当時彼の全集や自著による『自伝・評論』、また手紙などの出版が出始めたことにもよるが、スターリンの死によるソヴィエトの「雪解け」が彼の研究を前進させたと言えるだろう。1960年末、伝記映画《プロコフィエフ》が製作されたのをはじめ、1962年には、プロコフィエフの最初の妻であるリーナ・リューベラの手記が出版され、数少ない資料しかなかった彼の外国生活が詳細に明らかになっている。1963年には、没後10年記念として、死後10年間の『論文と資料』が出版され、同年、未発表の自伝『幼年時代』も出版された。1966年には、全ソヴィエトでプロコフィエフ生誕75周年祭が開催され、数々の代表作品を演奏、数多くの資料が出版されている。近年においては、ロシア以外の国々でもプロコフィエフの研究は大きく進み、我が国日本でも数々の翻訳、研究が見られる。
しかし、そうした中、彼のピアノ・ソナタの中で、3つの《戦争ソナタ》及び、ピアノ・ソナタ第7番がどう位置付けられているのかについては、まだあまり研究されていない。最高傑作とも呼ばれるこの作品には、いったいどんな意義があり、またそれをどの様に演奏表現に結びつけることができるのか。本稿は、次の様な点において研究を進めていきたい。
(1)生涯と様式を含めた時代の中でみるプロコフィエフのピアノ・ソナタ
(2)《戦争ソナタ》の3部作について
(3)ピアノ・ソナタ第7番の多角的視点からのアナリーゼ及び演奏解釈
これらの考察によって、さまざまな資料をもとに、独自の考えを編み出すことができればと思っている。
第1章 プロコフィエフのピアノ・ソナタ
セルゲイ・セルゲェーヴィチ・プロコフィエフ(1891~1953)は、その62年間の生涯の中で、20世紀に活躍した作曲家では珍しいほどさまざまな分野において多くの傑出した作品を書いている。7曲の交響曲をはじめ、バレエ音楽や映画音楽を含めた管弦楽作品、また10曲の協奏曲や数々の室内楽曲、声楽曲、オペラ作品に至るまで、その多彩な作曲活動の広さには瞠目すべきものがある。
ピアノ独奏曲も彼の多彩な作曲活動の一環であった。しかも、プロコフィエフは作曲家としてだけでなく、大変優れたピアニストとしても知られており、幼少期から慣れ親しんだピアノは、彼にとって自分の音楽をもっとも自由に表現できる楽器でもあった。それだけに彼のピアノ作品は、自身の演奏技法と密接に結びつけられており、高い技術力を誇ったプロコフィエフの演奏技術が至るところに現れている。
彼のピアノ作品の最大の特徴は、ピアノの打楽器的な活用を推進させ、今までにない強烈なダイナミズムや野性味を表現している点である。
プロコフィエフが生きた19世紀末から20世紀前半という時期は、音楽史の面からみて、ドビュッシー、ラヴェルをはじめ、ロシア音楽界の先輩でもあるリムスキー=コルサコフ、スクリャービン、ラフマニノフなどの作風及びその流派の影響を受けずにはいられない時代でもあった。
プロコフィエフも初期の作品において、その影響が少なからずみられるものの、彼は早くから独自の音楽語法を確立して、ピアノ音楽に新しい時代を築いたと言える。
そのような中で、プロコフィエフは小品も含め、100曲以上ものピアノ曲を書いたが、
「ピアノ・ソナタ」においては、未完成のものを除いて生涯に9曲のピアノ・ソナタを書き残している。この全9曲におよぶピアノ・ソナタは、彼の多くのピアノ作品の中でも、高度な演奏技術と音楽的内容の深さから、特に重要な作品になっている。彼は「私の楽想の展開に必要なものを、ソナタ形式は、ことごとく備えている。私はソナタ形式よりも良いもの、より単純なもの、より完全なものを何も望まない...。」(注1)と述べている。彼のドラマティックな音楽的要素に「ソナタ」という構成が、形式的にも作曲技法的にも適していたと言える。多作家だった彼にとっても作曲活動の上で「ピアノ・ソナタ」は、特に焦点を置いていたジャンルに違いない。さて、それぞれのピアノ・ソナタは時代別に、
「第1期」若い時期に書かれた第1,2,3,4番
「第2期」外国滞在期の第5番
「第3期」祖国に復帰してからの第6,7,8番
「第4期」晩年の第9番
と大きく4つに分けることができる。この様にピアノ・ソナタは、彼の音楽人生の中でほぼ一貫して作曲され続けており、ピアノ・ソナタがプロコフィエフにとって創作上の一本の主柱であったばかりでなく、各時期での彼の音楽様式を人生と共に表現している作品といえよう。
期 | 作曲年 | 曲名 | 主な出来事 |
1 |
1907 - 9 1912 1907 - 17 1908 - 17 |
第1番 ヘ短調 作品1 第2番 ニ短調 作品14 第3番 イ短調 作品28 第4番 ハ短調 作品29 |
ロシア時代 1904~14までペテルブルグ 音楽院に在学 |
2 | 1923 | 第5番 ハ長調 作品38 | 外国滞在期(パリ時代) |
3 |
1939 - 40 1939 - 42 1939 - 44 |
第6番 イ長調 作品82 第7番 変ロ長調 作品83 第8番 変ロ長調 作品84 |
ソヴィエト復帰後 (第2次世界大戦中) |
4 |
1947 1952 - 53 |
第9番 ハ長調 作品103 第5番(改訂版) 作品135 |
晩年 |
各時期にみるプロコフィエフのピアノ・ソナタ
第1期...ピアノ・ソナタ第1,2,3,4番 作品1,14,28,29
第1番から第4番のソナタは、1917年に起きたロシア革命以前のプロコフィエフがまだ10代から20代にかけての若い時期に書かれたソナタである。彼は1904年から1914年にわたって10年間ペテルブルグ音楽院に在学し、リャードフに和声,対位法,フーガ、リムスキー=コルサコフに楽器法、エシポワにピアノ、N.チェレプニンに指揮法を学び、ロシア音楽の伝統を学習する一方、サンクトペテルブルグの前衛音楽の中心的存在であったサークル「現代音楽の夕べ」に参加。内外の新しい音楽に触れ、自らも新しい音楽表現を探求する傾向を強め、伝統的な音楽を破壊する方向に進む。そして彼は、自作自演による作品発表によってセンセーションを起こし、ロシアの若きモダニストとして、活躍していた。
この時期の代表作は、在学中の初演と共に大論争を起こしたピアノ協奏曲第1,2番、後期ロマン派の影響がみられるオペラ《マッダレーナ》、新古典様式で書かれた《古典交響曲》、ヴァイオリン協奏曲第1番などが挙げられる。
ピアノ作品では、《4つの小品》作品4、ピアノの打楽器的表現を追及した《トッカータ》作品11、《風刺》作品14などがある。
この頃の作品には早くも作曲者独自のスタイルが出ている。野性的で力強い表現、そして躍動するリズム、鋭い不協和音、異なった調性の旋律が突然結合するなど、この時代にして全く前衛的なことを古典的形式の中で幅広く取り入れている。しかし初期の作品には、まだロマン派の作曲家たちの影響も色濃く残している。この時期の4つのピアノ・ソナタにもそうした彼の若い作風をみることができる。
第1番のソナタ(譜例1)は、習作期の作品でまだプロコフィエフのスタイルがはっきりと現れていない。単一楽章で全体はロマン派の影響が強く、特に当時彼が崇拝していたというスクリャービンの初期様式が感じられる他、在学中の研究対象であったシューマンやラフマニノフの影響も窺える。この点は、同時期に書かれ、スクリャービンに献げられた交響的絵画《夢》作品6(1909~10)や、交響的スケッチ《秋》作品8(1910)にも現れている。
第1番の完成から3年後に完成された第2番(譜例2)は、1912年に作られた習作的な単一楽章のソナチネ2曲のうち1曲を第1楽章とし、1908年に作曲していたスケルツォと新しくアンダンテと終曲を加え、4楽章形式でできている。この作品は第1番に比べ、かなり彼の音楽が至るところで発揮された作品になっており、斬新な和声、軽快なリズム、トッカータ風のパッセージなど注目すべき点が随所に見られる。
第3番のソナタ(譜例3)も、音楽的にいくつか第2番と共通する特徴をもつ上、単一楽章の中に劇的な構成を作っている。この作品は、1907年に作曲された習作のソナタを1917年に改訂されたものであるが、初稿から改訂まで10年の歳月を経て、プロコフィエフの作風も変化していることから、《古いノートから》という副題がつけられた。激しくエネルギッシュな楽想を基調とし、青年期のプロコフィエフの作風が前面にでた作品となっている。
第4番のソナタ(譜例4)は、1908年の習作ソナタを1917年に改作したもので、
第2楽章は1908年に音楽院で作曲された交響曲ホ短調のアンダンテ・アッサイを原曲としている。こうした点から、この作品も第3番と同じ副題がつけられているが、前作とは対照的に抑制された叙述的な性格を持ち、習作期に得たロマン派の作曲家たちの面影も見られる。
「第1期」にみられたこの時期のプロコフィエフは、初期においてスクリャービンなどの数々の作曲家から影響を受けているものの、早くから独自の音楽語法を身につけ、特に多くのピアノ作品にそれを示している。第1番から第4番までのピアノ・ソナタにおいても、伝統的な音楽を踏まえながら、既に非凡な才能を示し、はっきりと自己のスタイルを創り出していると言えよう。
第2期...ピアノ・ソナタ第5番 作品38
ピアノ・ソナタ第5番は、プロコフィエフが1918年から1936年の外国滞在期のうち、1922年からのパリ時代に書かれたソナタである。18年間にもおよぶ外国生活の発端は、革命勃発の混乱を避け、ロシアを去ることから始まった。ロシアで目覚ましい成功を遂げてきたプロコフィエフは、夢と共に日本経由でアメリカに渡るが、ここでは名声を博すことができなかった。当時、アメリカではラフマニノフが支持されていたのに対し、プロコフィエフは、ピアニストとしては成功したものの、保守的なアメリカの音楽事情の中、作曲家としては得るところがなく、1922年、彼は、活動の場をヨーロッパに移すこととなる。この時期の代表作には、ロシア革命の年に着手されたピアノ協奏曲第3番、大胆な手法によって彼を世界的に有名にしたオペラ《3つのオレンジへの恋》などがある。
さて、アメリカを去ったプロコフィエフは、ヨーロッパで活動を始め、1923年からパリに定住する。1920年代のパリは、ストラヴィンスキーをはじめ、オネゲルやミヨー,プーランクなどの「6人組」が一世を風靡していた時代であった。
そうした風潮の中、プロコフィエフは、スキタイ組曲《アラとロリー》、ピアノ協奏曲第3番の作曲者としてよく知られていたが、彼の革新的な音楽の一方で、ロマン的な表現を重ね合わせ持つ彼のロシア時代の音楽は、新古典主義が全盛していた当時のパリにおいて、またも冷たくあしらわれる運命となる。プロコフィエフは、こうしたパリの批評家の好みを反映して、新古典主義的傾向の作品を発表するが、作品数は少なく、ロシア時代に手掛けたものをまとめあげたもの、または旧作を改編したものが多かった。
パリ時代では、表情豊かな旋律を持つオペラ《炎の天使》作品37、交響曲第2,3,4番、左手のためのピアノ協奏曲第4番,ピアノ協奏曲第5番などが挙げられる。
この時期の作風は、彼が「パリでは複雑な型と不協和音が一般に認められていて、複雑なものに対する私の好みを助長した...。」(注2)と述べているように、ピアノ・ソナタ第5番をはじめ、弦楽五重奏曲作品39や交響曲第2番などに見られる半音階手法による調性感の喪失、旋律的発展のこみいった技巧、複雑な対位法など、音楽は半音階的で不協和,複雑なものになっている。
ピアノ・ソナタ第5番(譜例5)は、スペイン生まれの歌手リーナ・リューベラと結婚した1923年にパリで作曲され、ロシアを離れて外国滞在中に発想が生まれた最初の作品である。難解な形式で、パリ時代の作風がそのまま表れた作品となっており、全体は極度に複雑になっている。しかし、プロコフィエフは、この30年後の1953年に改訂版(作品135)を書き、第1楽章の展開部とコーダを全体に書き直し、第3楽章のパッセージも新しくした。全体の構成と各主題は変更されなかったものの、全楽章に渡って晩年の様式が反映され、技巧の簡素化が進められている。
パリ時代のプロコフィエフは、周囲の音楽環境の影響によって、独自の新しい音楽語法を得るために、実験的様式の追及に踏み切っている。そういった点からピアノ・ソナタ第5番は、過渡期の作品と言えよう。
第3期...ピアノ・ソナタ第6,7,8番 作品82,83,84
ピアノ・ソナタ第6,7,8番は、今までの外国生活にピリオドを打ち、ロシア革命後の祖国ソヴィエトに復帰してからの、創作の頂点を迎えた時期に書かれた作品である。プロコフィエフは1936年、念願の祖国に家族と共に帰国し活動を始めるが、当時ソヴィエト連邦は、1932年末に第1次5カ年計画を4年で達成し、社会主義国家建設に邁進していた。芸術分野においても「社会主義リアリズム」の方針を発表。作曲家に対し、音楽によって社会的な内容を一般人民に広く訴えかけ、ソヴィエトの伝統、各地の民俗的な要素を音楽語法の基本とすることが求められた。そうした中で、プロコフィエフのパリ時代にみられる半音階的で複雑な作品には懐疑の目が向けられる。新しい環境の中での矛盾に悩むプロコフィエフは、ソヴィエトの現実を知ろうと各地の文化施設などを見学、レーニンの著作も読み、自分の創作信念を再検討した。そして、彼の音楽は次第に社会体制に合わせ、半音階主義から全音階主義へ、形式的には明快かつ単純で、大衆的な旋律へと変貌していく。映画音楽《キージェ中尉》、バレエ《ロミオとジュリエット》、ヴァイオリン協奏曲第2番、子供のための音楽物語《ピーターと狼》などがある。
しかし、第2次世界大戦(1939~1945)のさなかには、ソヴィエトの英雄的精神を歌った作品が数多く書かれるとともに、時代を背景とした深刻さや悲壮さといった音楽も書かれる。そして、若い時期に確立した前衛的技法に平易な様式を結合させ、さらに深い叙情性が加わり、高度な作曲技術をもって、ピアノ・ソナタ第6,7,8番をはじめとする質の高い表現力の傑作が次々と生まれる。
最も優れたソヴィエト・オペラのひとつオペラ《戦争と平和》、作曲者自身「長年の創作活動の頂点」(注3)と述べた交響曲第5番、バレエ《シンデレラ》、社会主義リアリズムの立場から高く評価されたカンタータ《アレクサンドル・ネフスキー》、ヴァイオリン・ソナタ第1,2番などがこの時期に書かれている。
祖国復帰後のプロコフィエフは、ソヴィエト社会主義国家と第2次世界大戦という周囲の環境の中で、円熟期を迎える。そうした中で書かれたピアノ・ソナタ第6,7,8番の3つの《戦争ソナタ》は、彼のピアノ作品のうちでも、傑作群として有名である。これらの作品はどう成立し、どんな内容を持っているのか、この点は第2章で検討する。
第4期...ピアノ・ソナタ第9番 作品103
ピアノ・ソナタ第9番は、晩年にあたる1947年に書かれている。この年は、交響曲第6番が完成された年でもあるが、プロコフィエフは40年代後半から健康を害し、病の身ながら作曲活動を続けていた。そうした中、ソ連共産党中央委員会は1948年2月に声明を発表し、プロコフィエフを含めた多くの作曲家を痛烈に批判する。すなわち「ジダーノフ批判」である。これは、ソヴィエト政府が第2次世界大戦中から戦後にかけての芸術管理が甘くなった結果、作曲家たちにかつての社会主義リアリズムを支点とした創作活動が弱まったため、国家の介入が必要と考えたからである。彼のオペラ《戦争と平和》は激しく批判され、彼の若い時期にみる前衛的な作品は演奏中止になった。これによって晩年のプロコフィエフは、自らの音楽様式に対し批判と反省を加え、青年期にみられた強烈な個性はさらに影をひそめ、簡素で平明な様式、調性の明確化、また叙情的な旋律を主体とした作風を作るようになる。
晩年の代表作には、交響曲第6,7番、オラトリオ《平和のまもり》、バレエ《石の花》
チェロと管弦楽のための交響的協奏曲、チェロ・ソナタなどがある。
ピアノ・ソナタ第9番(譜例6)も「ジダーノフ批判」の前に作曲されたものの、鋭い響きや複雑な対位法も姿を消し、明らかに彼の晩年の様式に入った作品になっている。
こうして晩年のプロコフィエフは、社会体制によって自らの創作に制約をうけ、痛手となったが、そこに見られる透明で澄みきった音楽は、我々にまた別の「人間プロコフィエフ」をも見せてくれている。
さて、この様に9曲におよぶプロコフィエフのピアノ・ソナタをそれぞれの時期とともに見てきたわけだが、彼の様式は、各時期によって大きく異なり、作品にもそれを表している。そうした彼の音楽に、どの時期のものを典型とするかは問題のあるところだが、その作品全てにわたり、彼独特の斬新な和声とリズム感、そして広大なロシアの風土や環境によって育まれた民俗的な旋律素材がちりばめられており、彼のピアノ・ソナタは20世紀音楽の中でも極めて個性的かつ優れた芸術として存在しているといえよう。
第2章 戦争ソナタ(第6,7,8番)について
ピアノ・ソナタ第6,7,8番は、第2次世界大戦の真っ只中に書かれたため《戦争ソナタ》と呼ばれ、いずれも充実した作品で内容も濃く、近代ピアノ音楽史の上でも極めて重要な位置を占める作品と言える。これら3曲のソナタは、前作の第5番完成から16年もの歳月を経た1939年の春に同時に着手されている。この年の9月1日にはナチス・ドイツがポーランドに進撃し、第2次世界大戦が勃発。ソ連軍も1940年に各地で行動を開始し、1941年6月には独ソ戦争に突入した。こうした中、プロコフィエフの創作活動は少しの衰えも見せず、多彩な分野で数多くの傑作を生み出していった。3曲の戦争ソナタはプロコフィエフの「戦争に対する告白」(注4)と言われているが、戦争という時代背景や社会情勢を見事に反映した作品と言えるだろう。
ピアノ・ソナタ第6番(譜例7)は、3曲の戦争ソナタの中で一番早く1940年2月に完成した。この作品は、全9曲のソナタのうち最も大作で、戦争ソナタの中でも唯一の4楽章形式でできている。第1楽章が古典的ソナタ形式、第4楽章はロンド形式で両楽章は伝統的な形式をとっているものの、第2楽章はスケルツォの変形であるマーチと、第3楽章が古典形式のリード楽章にあたるワルツを配している点で、このソナタは完全に計算されたソナタ形式ではなく、コントラストを考えて作られた組曲形式でできているといってもいいだろう。青年期にみられたプロコフィエフの特徴でもあるダイナミズム、鋭い響きなどの作風がさらに発展し示され、力強い作品になっている。初演は、作曲者自身の手で1940年4月8日、モスクワ放送で行われた。
ピアノ・ソナタ第7番は、疎開先のグルジア共和国の首都トビリシで、1942年春になって、オペラ《戦争と平和》の作曲とともに本格的に取り組み、第6番に続いて着手から3年後の1942年5月に完成された。その頃、独ソ戦争は激しさを増し、ドイツ軍が猛烈な攻撃を開始、有名なスターリングラードの攻防戦が起こっていた。そういう点からか、この第7番は冒頭からの不安定な音描写や、極めてドラマティックに展開する楽想において、3曲中最も社会的空気を表していると言える。そして、前作の第6番が重々しく古典的であるのに対し、第7番はリズムを主体とする打楽器的要素を多用し、全体が無調的に書かれた近代感覚の作品になっている。また、4楽章形式の第6番に対しても第7番は3楽章と一層集約されており、それぞれの楽章は強い個性を持ちながらも鮮やかに対比し、感情的にも統一されたものとなっている。初演は、第1番から第6番のソナタがプロコフィエフ自身によって行われていたが、この第7番は当時28歳のスヴィアトスラフ・リヒテルのピアノによって、1943年1月18日モスクワにて行われ,同年のスターリン賞を受賞。その後、アメリカにおいてもピアニスト,ウラディミール・ホロヴィッツによって演奏され、大きな反響を呼んだ。
ピアノ・ソナタ第8番(譜例8)は、第2次世界大戦も終わりに近づいた1944年7月から8月にかけて、モスクワの北東250キロのイワノヴォ市に近い「作曲家の家」で、交響曲第5番とともに作曲に打ち込み、同年の9月初旬、戦争ソナタの中で最も遅く完成される。着手から5年、プロコフィエフの音楽スタイルも大分変化し、ここでは晩年に見られるような特徴がやや見られる。調性と楽章形式の面で第7番と類似しているものの、無調的で攻撃的な第7番に比べ、第8番では基本調が明確で、簡潔な深い叙情性をもった規模の大きい作品になっている。曲は、晩年に生活をともにした女性ミラ・メンデルソンに捧げられ、1944年12月30日、エミール・ギレリスによってモスクワで初演された。1946年にはスターリン賞を受賞している。
プロコフィエフは、このそれぞれ違った個性を持つ3部作の《戦争ソナタ》の中で、第6番よりも、第7番、第8番と次第にピアニスティックな音の響きから、音の単純化と簡素化を進めていき、第9番において晩年の世界に突入していく。この様に、彼の円熟期の微妙な作風の変遷を見るとともに、一方で、ソヴィエトの深刻な時代や社会環境の現実を踏まえた彼の啓示的、あるいは自伝的なものもそこに見ることができよう。
第3章 ピアノ・ソナタ第7番の分析的考察
第1楽章 Allegro inquieto(速く・不安に)
第1楽章は、途中2回叙情的なAndantinoの部分(第2主題)をはさんでいるものの、全体はスピード感溢れるソナタ形式で書かれている。この楽章の大きな特徴は、以下に挙げる数々のモティーフによって全体が組み立てられていることである。そして、それらのモティーフ同士はそれぞれ密接に関連し合ってできている。
まず冒頭の無調的なユニゾンで始められる第1主題は、3つのモティーフに分けることができる(譜例9)。ハの音を核音としたモティーフa、4度上行する音型をもつモティーフb、8分音符によるリズム・パターンのモティーフcである。そして、第1主題に続く7小節目のモティーフb´は、モティーフbの4度上行する音型によってできていることが読み取れる。
その後、24小節目で叩きつけられる様なリズム・パターン(譜例10)は、45小節目で半音階上行音型モティーフd(譜例11)になって現れ、そのモティーフdは、65小節6拍目で、リズムを変えた逆行の形モティーフd´(譜例12)になって現れる。
また、この半音階的なモティーフd´と対照的な後半の分散和音音型のモティーフeは、モティーフaの変奏と結び付いた71小節目の旋律の終結部分(譜例13)に現れている。
さて、76小節目ではモティーフcのリズム・パターンによるquasi Timp.と書かれたモティーフ(譜例14)が現れるが、これは第2主題のモティーフを予告するものである。
モティーフcからできた124小節目からの第2主題(譜例15)は、今までの緊張感溢れるスピード感をもった楽想から一変し、叙情性豊かな旋律と高度な和声処理によって哀愁を帯びたものとなっている。ピアノ演奏の上でも、今までのドライなタッチから、テンポ・ルバートをかけた表情豊かなタッチが望まれる。
その後、徐々にテンポを上げて展開部に入るが、ここではこれまでの数々のモティーフが巧みに使われ、激しい楽想とともに高度な技術を要する楽章のクライマックスを築いている。その中でも、269小節目からの右手のリズム・パターン1の下に第2主題が拡大して現れているのは興味深い(譜例16)。
コーダでは、第1主題によるモティーフをさまざまに変形しながら使い、楽章の最後はこの曲の調性でもある変ロ長調の主音変ロで終わる。しかし、この楽章は、わずかな例外を除いて、殆どの部分が無調で書かれている。これは、打楽器的に叩きつけられるような不協和音を多く用い、また全体が単一の声部と鋭い2声部の部分からできているためである。
第2楽章 Andante caloroso(ほどよくゆっくり・熱情的に)
第2楽章は、重厚で暗い情熱さをもった、ロマン的な緩徐楽章になっている。楽想の点から見ても、両端の楽章と大きく対比し、第2楽章がこのソナタの全体的な構成の中で重要な位置を占めていると言える。
曲は、冒頭の内声部にみられるcantabileと書かれた半音階的な主題旋律(譜例17)が短いモティーフを加えて転調、発展していく。
その後、31小節3拍目から新しい旋律(譜例18)が現れて、12小節3拍目からの跳躍音程による表情をもった旋律(譜例19)とともに装飾的な変奏部分に入り、楽想の頂点を迎える。
ここでは、56小節目から和音の響きによって鐘の響きと同様な効果を狙った音型(譜例20)が現れるが、これはラフマニノフやムソルグスキーなど、ロシアの作曲家が使う得意な手法の一つである。演奏においてもそれぞれの響きが、全く異なった鐘の様に区別して聴こえるために、音色を変化させて弾くことが望ましいといえる。
やがて楽想は徐々に静まり、遠い鐘の音型が再び現れ繰り返しながら、冒頭の主題を再現し、ホ長調の主和音で静かに終わる。
第3楽章 Precipitato(性急に)
曲は、A?B?C?B?Aという対称形で書かれ、全体を通して、運動性をもつトッカータ風の楽章になっている。また、1小節は8分音符単位で2?3?2の組み合わせによるリズムで書かれており、演奏上でも規則正しいリズム感が要求される。
まずAの部分(譜例21)は、左手が変ロの音をベースに、嬰ハ音にアクセントを置く2小節を1つとした一定のリズム・パターンでできており、その上に右手が3和音による冒頭のテーマをさまざまに変化をしながら進んでいく。
50小節目からのBの部分は、右手が2?3?2のリズムの組み合わせによる和音連打の中、左手がmarcatoと書かれた第1楽章モティーフeの変形した旋律(譜例22)を奏していく。
79小節目からのCの部分では、左手のnon legatoと書かれた旋律(譜例23)と、対照的な性格をもつ83小節6拍目からの右手espress.と書かれた旋律(譜例24)が交互に現れるが、右手espress.の旋律(譜例24)は、第1楽章第1主題のモティーフaが変形したものである。第1楽章と第2楽章とでは拍子自体が6拍子と7拍子とで異なるが、音程の面から見た両音型はほぼ同じであり、第1,3楽章に渡って第1楽章第1主題が顔を出していることが分かる。
また、それに続く87小節2拍目からの旋律(譜例25)も、第1楽章第1主題に続くモティーフb´を含む第1楽章7小節2拍目からの旋律が形を変えて現れたものである。
145小節目からの最後のAの部分は、冒頭のAの部分をさらに華やかにしてこのソナタ最大のクライマックスを築き、全曲として楽章は力強く終わる。
第4章 まとめ
プロコフィエフの全9曲におよぶピアノ・ソナタの中で、第2次世界大戦中に書かれた3曲の《戦争ソナタ》は、どれも高度な技巧と内容をもった作品となっているが、そのうち《ピアノ・ソナタ第7番》は、彼の原点でもある律動するピアノの打楽器的な鋭い表現と、円熟期の特徴でもある深い叙情性の対照的な両面の作風を見ることができる。こういった点から、この作品を演奏する場合、演奏面においても一方的でない幅の広い表現が求められるだろう。
第1楽章においては、アレグロ部分にみられる動的なリズムの近代感覚と、アンダンティーノ部分にみられる旋律的で表情豊かな表現がみられる。演奏者にとっても、この両極の楽想の差を鮮やかに表現することが望まれる。
第2楽章は、熱情的な楽章になっているが、ロマンティシズムが溢れる面からも、激しさの上に微妙なテンポの揺れ、また旋律に深い表情を作りだすことが課題といえよう。
そして、前楽章と対照的にエネルギッシュに急進する第3楽章では、演奏表現も一変して、生き生きとしたリズム、直線的に前進した演奏が求められるといえる。
この様に、第7番のソナタでは、第1楽章での大きな2つの両極的要素、また第2楽章と第3楽章との対照的な楽想の対比に演奏者はポイントを置くことになろう。また、作品の背景に戦争を含めたソヴィエトの暗く不安な時代が存在していたことも忘れられない。この作品を、作曲家が置かれていた大戦中の疎開生活や社会情勢と兼ね合わせてみるとき、聴くものに時代の戦慄を感じさせずにはいられないのである。
ウクライナに生まれ、ソヴィエトに没したプロコフィエフ。その創作活動の中で、アメリカ、ヨーロッパの体験を踏まえ、革命と2つの大戦に翻弄された彼の多彩かつ劇的な生涯は、彼の全9曲のピアノ・ソナタ作品そのものといえる。その中でも《ピアノ・ソナタ第7番》は、彼の生きた社会やその戦争という時代背景を鮮烈に映し出した作品として、今でも我々に強い印象を与えているのである。
注
注1...ホフマン・R・ミシェル著 清水正和 訳『プロコフィエフ』東京:音楽之友社 昭和46年 94ページ
注2...プロコフィエフ・セルゲイ著 園部四郎・西牟田久雄 共訳『プロコフィエフ自伝・評論』東京:音楽之友社 昭和39年 93ページ
注3...マカレスター・リタ著 一柳富美子 訳「プロコフィエフ」『ニューグローブ世界音楽大辞典 第15巻』東京:講談社 1996年 555ページ
注4...石田一志「プロコフィエフ」『ピアノ曲鑑賞辞典』東京:東京堂出版 平成4年 253ページ
参考文献
石田一志「プロコフィエフ」 『ピアノ曲鑑賞辞典』 東京堂出版 平成4年
井上頼豊『プロコフィエフ』音楽之友社 昭和43年
井上頼豊「プロコフィエフ」『音楽大辞典 第4巻』平凡社 1982年
岩井正浩『ソヴィエト連邦の音楽と社会主義リアリズム』愛媛大学教育学部紀要第1部 教育科学第17巻第1号 昭和45年
大木正純「プロコフィエフ」名曲ガイド・シリーズ(12)『 器楽曲 (下)』音楽之友社 1984年
大宅渚「プロコフィエフ」『ピアノ曲読本』音楽之友社 1996年
岡田敦子「プロコフィエフあるモダニストの航路」『クラシックの快楽2』洋泉社 平成1年
クラシック音楽の20世紀第1巻『作曲の20世紀(1)』音楽之友社 1992年
作曲家別名曲解説ライブラリー(20) 『プロコフィエフ』音楽之友社1995年
サフキーナ著 広瀬信雄 訳『プロコフィエフ その作品と生涯』新読書社 1995年
柴田南雄『西洋音楽史 印象派以後』音楽之友社 1963年
千蔵八郎・他著『基本音楽史』音楽之友社 1968年
西沢昭男『プロコフィエフの和声について』横浜国立大学教育紀要第13集 昭和48年
藤岡由美子『プロコフィエフとロシア?後期ピアノソナタをめぐって?』フィルハーモニー 昭和55年
プロコフィエフ・セルゲイ著 園部四郎・西牟田久雄 共訳『プロコフィエフ自伝・評論』音楽之友社 昭和39年
ホフマン・R・ミシェル著 清水正和 訳『プロコフィエフ』音楽之友社 昭和46年
マカレスター・リタ著 一柳富美子 訳「プロコフィエフ」『ニューグローブ 世界音楽大辞典 第15巻』講談社 1996年
楽譜
Prokofieff,Serge Sonatas for Piano Vol.1(No.1-5) Introduction and performance notes by Peter Donohoe.London:Boosey & Hawkes 1985
Prokofieff,Serge Sonatas for Piano Vol.2(No.6-9) Introduction and performance notes by Peter Donohoe.London:Boosey & Hawkes 1985
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