論文・レポート

レポート/伊藤 庸子『タッチを意識したピアノ指導 ~弱音のタッチに留意して~』

2001/04/01
タッチを意識したピアノ指導 ~弱音のタッチに留意して~

伊藤 庸子

<目次>

0.はじめに
1.歴史的鍵盤楽器のタッチ
1-1.フォルテピアノ
1-2.クラヴィコード
2.現代のピアノのタッチ
2-1 レガート
    2-1-1「語る」レガート
    2-1-2「歌う」レガート
2-2スタッカート
2-3装飾音
2-4アルペジオ
2-5和音
2-6鍵盤の戻し方
2-7タイミング
3.学習者にタッチの意識をもたせるためには

0.はじめに

 日頃、コンクールなどで子供や若い人たちの演奏を聴くたびに感じることがある。それは、特に弱音において音色に対する意識が薄くタッチに無頓着であるということである。一音ずつはっきりした音や、ff方向の音に対する意識はあるのに、明瞭でありながら柔らかく繊細な音や、なぜか弱音に対する意識は弱いように思われる。大きな音で指が機械のように速く動く演奏者はとても多いが、変化に富んだ音色の魅力を聴かせてくれる人は少ない。かつては私自身もそのような奏者の一人であった。しかし、18世紀の鍵盤楽器、フォルテピアノやクラヴィコード、チェンバロを弾くようになってから、減衰していく音の行方を聞き届けること、弱音を美しく響かせること、タッチによる音色の多様性の追求にめざめた。目から鱗が落ちる思いをした。本稿では、歴史的鍵盤楽器におけるタッチと弱音指向の問題にかかわる経験を通して、現代のピアノ教育におけるタッチの扱い方の諸相について述べてみたい。

1.歴史的鍵盤楽器のタッチ

1.1.フォルテピアノ

 ここで述べるフォルテピアノとは、モーツァルト時代のヴィーンのピアノである。10年ほど前、初めてフォルテピアノを弾いたとき、現代のピアノとのタッチの大きな違いに驚いた。鍵盤が非常に軽くて浅く、現代のコンサート・グランドピアノのものと比べて深さはおよそ3分の1、重さは4分の1程度である。長年、現代のピアノを以下に大きく豊かに鳴らすか、を課題とした訓練を通じて身につけてきたタッチでは、ほとんどコントロール不可能だった。鍵盤が浅いので、フレーズのはじめが前のめりのタイミングになってしまい、早いパッセージは転びまくり、音は楽器の限界を超えた汚い音となってしまった。なめらかに「つなぐ」、「切る」ことすらままならない。ましてやモーツァルトやハイドンなど18世紀の作品に多用されるアルベルティ・バスや細かなスラーの、ニュアンスに満ちたアーティキュレイションなど、表現できるわけもなかった。長年の練習で体にしみこんだ現代のピアノで強い響きを得ることを主眼においたタッチから、重さとスピードを抑えて軽いタッチで鍵盤をコントロールすることは決して容易ではないが、力加減をコントロールできるようになると、多様なニュアンスに対する表現意欲を強く持てるようにもなった。その意識は、フォルテピアノを始めてから数年ののち、クラヴィコードを弾くようになってさらに強まる。

1.2.クラヴィコード

 クラヴィコードの発音原理はピアノとは大きく異なっている。ピアノでは、通常は皮革、フェルトなどが巻かれたハンマーが弦を叩くことで発音するのに対して、クラヴィコードは、鍵の先に直接取り付けられた金属製のタンジェントで弦を押し上げて音を出す。ごくごく単純なアクション機構であり直に弦を弾いている感覚が奏者に対して伝わるが、楽音を発音するにも一定の習熟が必要で、それ故きわめて自然に自分のタッチを意識させられることとなる。
 打鍵の瞬間から響きが減衰し始めるピアノを弾く人なら誰でも必ず感じたことがあると思うが、歌や旋律楽器のようにメロディーを歌いたいという願望も、クラヴィコードはかなりな程度まで叶えてくれる楽器なのである。だが、一つ一つのタッチが意識されコントロールされたものでなければ奏者を歯牙にもかけてくれない。ある人の言葉を借りれば、「鍵盤の上を猫が一匹歩いたとき、それがピアノなら、音楽となりうる。だがクラヴィコードでは、カチカチと金属が弦に触れるノイズがするだけだ。」
クラヴィコードでは、指はつねに弦の上に置いておき、決してたたきつけずに鍵盤を押し下げる。必ず次に弾く指を準備させておく。不用意に触れると雑音が出る。音程が広いほど、指の準備が重要である。クラヴィコードを弾き込むことにより、レガートでカンタービレな奏法が身についた。と同時に、今までいかに自分のタッチが不用意なものであったかに気が付くことができた。

2.現代のピアノのタッチ

 フォルテピアノやクラヴィコードなど古い鍵盤楽器で会得したタッチは、現代のピアノを演奏する場合にも生かすことができる。多くのピアノ学習者は、はじめに述べたように概して弱音に対して無頓着であるか、あるいは彼らに対してその重要性はあまり強調されていないように思われる。ピアノ方向のダイナミックレンジが不足していたり、弱音が不明瞭になってしまう点で不満足な結果にとどまっていることが多い。以下に、私がイメージしている弱音のタッチについて、いくつかの状況別に説明する。いずれの場合においても、手を高い位置から鍵盤にたたきつけるようなタッチはさけられるべきである。

2.1. レガート

2.1.1. 「語る」レガート
 モーツァルトやハイドンでは、短いスラーが多用されるが、このスラーの終わりは、言語で言えば、一つ一つの単語の終わりを表す。単語の語尾をどのようにしゃべるかは、語り口を大きく左右する。演奏の場合は、「叩く」という動作のイメージから脱却し鍵盤にのせておいた指先に、適度なスピードで手首からの重さをのせる。アーティキュレーションをはっきりさせるために、細かな力加減やスピードの変化が必要である。こうした配慮によって、同じレガートのイメージの曲でも多様なタッチの可能性を試みるべきである。

2.1.2. 「歌う」レガート
 「語る」レガートに対して、音のつながりが一筆書きのラインになる。
 指の腹に肘からの重みをゆっくりとかけ次の指へと伝えていく。重みを一つ一つの指にかける、と言うとらえ方ではなく、指から指へと加重がリレーされる、あるいはドミノ倒しのように伝えられていくようなイメージでとらえることができる。手首の移動は、指の動きに自然に追随するようにさせる。指がキーから離れないように保つ。次の音との交代の際、離鍵は十分注意してていねいに行わなければならない。このとき、慎重になりすぎて発音が不明瞭になりすぎないよう注意することも大切である。

2.2 スタッカート

 ほとんどの現代譜においてはスタッカートはいわゆるスタッカート記号「・」で表される。すると学習者の多くは、作品の性格、時代背景、テンポなどに関わりなく一様に跳ねるように短く、元気良く、アクセントのついた音として弾いてしまう傾向がある。指導者の側にもそのような画一的な認識にとらわれている面も散見される。しかし、現代の校訂譜において「・」で表現されている場合も、自筆譜やコンテンポラリーな資料のファクシミリや、原典版においては、より多様な記号で表現されている場合もある。
 たとえば、児島新は『ベートーヴェン研究』(春秋社、1985年)および『ベートーヴェンピアノ作品集』(春秋社、1985年)で、ベートーヴェンのスタッカートについて自筆譜の研究を通して、ベートーヴェンのスタッカートの機能の研究にもとづき、以下のような異なる5種の表記を採用している。このような点をふまえれば、(他の作曲家の作品を現代譜を通して扱う場合も)記号としては同一の「・」であっても、現実の表現としては多様な再現の可能性の追求が許容され、また求められるものといえよう。

ベートーヴェンにおけるスタッカートと句読記号の分類と、タッチ指導の留意点(伊藤)(記号の分類は、児島新『ベートーヴェン作品集』(春秋社、1985年、5頁) による

スタッカートと句読記号の分類(児島、1985年) タッチの留意点
名称 表記 音価の持続 強調
点 ・ 2分の1 なし 音が鳴るぎりぎりの浅さで軽やかに弾く。指を手のひら側にはじく。ちょうど弦をつまびくように弾く。
雨だれ 細いくさび形 4分の1 一部あり 最も短いスタッカート。指先を立て腕の重みをかけずに速いスピードで打鍵・離鍵する。キーをつきすぎて手が高く上がらないように注意する。
テヌート - 4分の3 あり 手首の重さを鍵盤にのせるが、アクセントを強調しすぎないように注意する。
強調 太いくさび形 1分の1 あり 短く切るのではなくマルカートで区切るという意識を持って弾く。手首からの重さを適度なスピードでのせる。
句読記号 縦の棒 - - これは、児島新も同頁で指摘しているとおり今日スタッカートと混同されているが、フレーズや動機の区切りを示す記号として使われている。指の腹をキーにゆっくり「置く」感覚で弾く。「語尾」であることを意識して、ていねいに鍵盤を戻すよう指導すると良い。

2.3. 装飾音

 本来装飾音とは、旋律を美しく引き立たせるものである。しかし装飾音がバタバタと旋律よりも目立って弾かれてしまうことがよくある。トリルやモルデントなど、隣り合った2音で細かく動く装飾の場合、ただ単に指を速く動かすことだけが求められがちだが、曲の性格やテンポに応じて時には激しく、時には優しく弾き分けられなければならない。そのためには、指を高く上げすぎないように注意しながら、ゆっくりと歌うように練習するとよい。どの指も同じ高さに上げる、ということも重要である。

2.4. アルペッジョ

 アルペッジョでは、最低音から最高音まで、一定の速いスピードで手首の重さを押しつけるような弾き方をよく耳にするが、均一なタイミングにとらわれることなく、また加重のかけ方も柔軟に変化させて弾くと良い。
1.バスを長めに響かせてからゆっくりと最高音へ、煙が立ち上っていくように音を弱めていく。
2.中間部分へ向かって音をふくらませてスピードをつけたあと最高音で、ディミヌエンドし速度もゆるめる。
3.最高音を一番響かせるようにクレッシェンドし、テンポも速める。
4.すべての音を豊かに響かせるようにほとんど同時に弾く。
など、アルペッジョも一様に弾かず、重みをかける音や速度を変化させてみる。

2.5. 和音

 最高音と最低音を指先でしっかりつかむようにして、手の甲全体に腕の重みをかける。腕の重みは指先、指の各関節で支えるようにする。弱音だからといって指先だけで弾くと、響きが少なく固い音質になってしまう。さらに一番響かせるべき音を弾く指に意識してウェイトをのせることが重要である。

2.6. 鍵盤の戻し方

 鍵盤の下げ方について非常に多くのことが語られているが、鍵盤を戻し方には意外なほど注意が払われていないのではないか。たとえば、『ニューグローブ世界音楽大事典』(1994年、講談社)の「タッチii」の項(第10巻229頁)でも、鍵盤の押さえ方、打鍵の方法と述べていて、リリースの仕方については触れていない。
 だが、せっかく適切な打鍵をしてもリリースが不注意だと音の表情はまったく違うものとなってしまう。特に気になるのが、スラーの終わりや2.2スタッカートでふれた「句読記号」(|)の付いた音の時である。場面に関わりなく鍵盤の奥へ力をかけて手首を振り上げて「取る」、というのをよく見かけるが、これは、終わりの音で手がキーの上にジャンプするかのようにリリースすることで、語尾に不自然なアクセントをおくことになってしまう。反動をつけずにていねいにキーを戻すようにすることが重要である。鍵盤をすばやく戻す、ゆっくり戻す、という離鍵のスピードが音楽の語尾、文末をどう表すかの大切なポイントになる。

2.7.タイミング

 文章の朗読では、句読点の間の取り方や、抑揚の付け方がその善し悪しを決める重要なファクターである。音楽にも拍節があり、フレーズがあり、フレーズの中には強調すべき音と、強調されるべきではない音とがある。間も抑揚もない朗読のような演奏にしないためには、強調したい音やフレーズの始まりや終わりの音を不用意に弾かないようにする時間が必要となる。
 適切なタッチと発音のタイミングにはきわめて重要な関係がある。フレーズの変わりめの音、subito p.、subito f.などの音を、前の音符と同じタイミングで発音したのでは表情の乏しい演奏になってしまう。subito p.では、前の音が消える時間をとり、subito f.や弱拍にアクセントがある場合は、時間を縮めて弾く。このように微妙なタイミングを計るためには、上半身を自由で楽な状態に保ち、適切な深さ、速さで呼吸することが大切である。そして鍵盤を下げるスピードと重さを自由自在にコントロールできるようにしなければならない。


3.学習者にタッチの意識をもたせるには

 私はいつも小さい頃から、「音が弱い」、「もっと強い音で」、「鍵盤の下までしっかり弾きなさい」と指導されてきた。しかし、いくらがんばって弾いても、なかなか豊かに大きく鳴る音は出ず、どう弾けばよいのかわからなかった。ただ「大きい音を出そう」と念じて力任せに弾いていた。
 その経験から、生徒には初歩の段階でピアノのアクションを見せて、どうやって音が出るか(消えるか)を説明することにしている。それからハンマーの動きを見せながら、また、キーを下げる速さを確認させながら、強い音、弱い音を弾いて聴かせる。消音の仕方もキーを戻す速さを実際に見せながら聴かせる。次に実際に生徒自身に弾き比べてもらう。キーにどのくらいの速度でどのくらいの重みをかけると、どういう音が出るのか、自分が出した音を注意深く聴く「実験」をさせるのである。この実験をしただけで、はじめは無造作にキーを叩いていたり、ただ楽譜通り弾けばいい、と思いこんでいた生徒も劇的にタッチに気を遣い、自分の出す音に耳を傾けるようになる。さらに、つねに音に対してイメージをもってから打鍵するために、どういう音色、音量で弾くのがよいかを考える習慣をつけるようにさせる。これらの積み重ねにより生徒は強い音よりもむしろ非常に弱い音を出す方が注意が必要であることを知り、鍵盤の重さや深さを指先で敏感に感じ取る意識を持つようになる。曲に対してイメージをもつようなレッスンをしていくうちに、生徒は「フォルテやアクセント=強く」、「ピアノ=弱く」という単純に図式化された弾き方から脱却できるようになる。
 さらに、強弱だけではなく、より多様な音のイメージや曲の正しいイメージをもつためには、1.音楽史や作曲家についての知識、2.ピアノ以外の楽器の音や響きの特性についても知らなければならないこと、またさらに、3.ピアノに限らず良い演奏をたくさん聴くことを通じて「良い趣味」を身につけること、4.空間的なイメージ力、構想力を高めるために視覚的な側面からも感受性を磨くことが、ピアノを「弾く」練習と同程度に重要である、と生徒に伝えている。
 以上のように、自分でイメージした音を実際に表現する楽しみを感じてほしくて、日々のレッスンに臨んでいる。主に弱音のタッチの指導について述べてきたが、ダイナミックレンジが広く多様な音色を自在に使って、音楽を表現する喜びを多くのひとに感じてもらいたいと願っている。

参考文献一覧

『ニューグローブ世界音楽大事典』第10巻、講談社、1994年
児島新『ベートーヴェン研究』 春秋社、1985年
『ベートーヴェンピアノ作品集』全2巻、児島新校訂 春秋社、1985年
渡邊順生『チェンバロ・フォルテピアノ』 東京書籍、2000年
モーツァルト『幻想曲とソナタハ短調』渡邊順生校訂 全音楽譜出版社、1995年


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