研究論文/三好優美子『シューベルトの後期ピアノソナタ』
─ 歌曲を通じての一考察 ─
三好 優美子
『シューベルトの後期ピアノソナタ 歌曲を通じての一考察』が、紀要論文と して採用されました。
※論文要旨※
シューベルトは、その生涯において数多くの歌曲を遺しており、それらについては多くの研究がなされている。一方でピアノ作品に目を向けるとピアノソナタ、特に遺作の3曲D958~D960についてはどのように捉えればいいのか、歌曲ほど多くは発言されていない。本稿は、晩年の長大なピアノソナタを理解するための解釈の一つの可能性を提示するものである。
はじめに、彼の歌曲にみられる想念「死」と「さすらい」の扱われ方を考察する。「死」は多くの歌曲に登場するが、晩年の連作歌曲集『冬の旅』では、死への憧れに加え、絶望感をもった主人公の姿が見られる。「さすらい」については、自分の居場所を探してあてもなくさまようさすらい人や巡礼者たちにも共通する心情が、シューベルトの「私の夢」という文章に見られる。
この考察に続き、ピアノソナタA-Dur D959の第二楽章を中心題材として楽曲分析等を通じて研究する。その結果、このソナタにおいてシューベルトは、典型的といわれるソナタ形式を踏襲しつつ、さまざまな和声の扱いや転調の多用によって動機が性格づけされ展開されていく、彼独自のピアノソナタの様式を確立したことがわかる。 歌曲でみた世界観と、ピアノソナタにおける独創性という二つの視点からこのソナタ全体を眺めると『冬の旅』にも共通する「さすらいの旅」が背景に存在しているように捉えられる。さすらう主人公が第一楽章で旅出ち、第二楽章で苦難の嵐にあい、第三楽章では喜び、第四楽章では暖かい春を歌い、その終結部では第一楽章冒頭の主題に戻ってゆく。この冒頭への回帰は、さすらい人の探し求めた居場所が外に存在するのではなく、自分の心の中にあり、それを自ら受け止めることが救いなのだというシューベルトのメッセージともいえるのではないか。歌曲の中では描写されていなかった「さすらい人の自己への回帰」というメッセージを、このソナタにおける解釈の一つの可能性としてここに提案したい。
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<目次>
======================================シューベルト(Franz Schubert 1797~1828)は、「歌曲の王」といわれ、すばらしい歌曲を数多く生み出した。一方、ピアノ作品に目を向けると『即興曲集』や『さすらい人幻想曲』など一部の曲は演奏会でもよく取り上げられるものの、ピアノソナタ、特に遺作の3曲D958~D960についてはどのように捉えればいいのか、歌曲ほど多くは発言されていない。本稿では、シューベルトの晩年の長大なピアノソナタの演奏解釈の一助として、歌曲の世界を通じて後期ピアノソナタの一面に近付くことを目的としている。そのために、まず第一章では歌詞から「死」と「さすらい」の想念について考察する。第二章ではピアノソナタA-Dur D959を題材として和声や形式の分析等を行いながら、このソナタにおける演奏解釈について一つの提案をしていく。
シューベルトの生涯は、多くの人の知るところであるが、遺作のピアノソナタが作曲された時期について少し触れておきたい。最後の3曲のピアノソナタは、1828年の9月に書き上げられたという自筆の記入はあるが、いつ頃着手されたのかは明らかではない。彼は、最後の3つのピアノソナタのことを、ライプツィヒの出版者ハインリヒ・プロープストに宛てた手紙の中で、次のように述べている。
「私は、独奏ピアノのための3つのピアノソナタを書き上げました。それを私はフンメルに捧げたいと思います。」[1]
結局、これらはシューベルトの生前に出版されることはなく、出版されたのは死後11年を経た1839年のことであった。それらの作品がディアベリ社から出版されたときには、すでにフンメルが他界していたため、出版社の意向でシューマンに捧げられた。
ところが、シューマンのこれらの作品に対する評価は、皮肉なことに「ひどく異常だ」ということであった。「シューベルトの最後の作品について」(Über Schuberts letzte Kompositionen) という論文のなかで、彼は
「(前略)...まるで決して終わることがないかのように、継続はいくら長くても困らないように、次から次へと音楽の流れが進んで行き、ときたま二、三の激しい興奮によって中断されるが、たちまちまた平静に帰するのである(後略)」[2]
と述べ、内容の理解が困難なのはシューベルトの病気が原因だという判断を下している。演奏の頻度が極めて少なかったということは、シューマンが述べたように、曲の内容が容易には理解できないものだったからだろう。シューベルトのピアノソナタの評価や演奏頻度について、西村弘治氏は次のように述べている[3]。
「私の敬愛するエドウィン・フィッシャーやイヴ・ナットやヴァルター・ギーゼキングなどがこの分野(ピアノソナタ)で聴けないのはしかしとても残念だ。(中略)シューベルトのピアノソナタがもつ鬱勃たる情熱、屈折した心理、油然と歌う魅力、衝動的なリズムの尽きざる推進力、遠大な視野などは、往年の名ピアニストたちにはまったく異質のものだったのだろうか。これらの要素の評価となれば、近代音楽史にシューベルト、ブルックナー、マーラーという系列が大きく浮かび上がってくるまで、ほとんど手がつけられなかった。シューベルト評価の変化はやはり大きな時代の流れとともにある。」
シューベルトの遺作のピアノソナタは、彼の死後出版されたため、彼自身が校訂した楽譜は遺されていない。しかし、自筆譜[4](現在は個人のコレクションとなっている)や、それをもとにした初版[5]の楽譜は遺されており、現在市販されている楽譜は、おおむねこの自筆譜と初版を重視して出版されている。原典版としての扱いでは、旧全集[6](リプリント版、Dover)、新全集(NSA = Neue Schubert Ausgabe)からの先行出版のピース楽譜[7]、Henle版[8]、そしてウィーン原典版[9]などが挙げられる。また、現在は販売されていないがUniversal Editionからも原典版が出版されていた[10]。なお、本稿では新全集の楽譜を基本的に用い、自筆のスケッチ[11]、ウイーン原典版などを適時に参照した。
脚注
[1] Franz Schubert ; Neue Ausgabe sämtlicher Werke, herausgegeben von der Internatioanalen Schubert-Gesellschaft, Kassel 1967~ Epilogue(Walburga Litschauer)より
[2] Alfred Einstein: 『シューベルト-音楽的肖像- 』浅井真男 訳 白水社 1968 P.420
[3] 西村弘治「シューベルト演奏の評価とその表現者」: 『レコード芸術』 1978年10月号 P.177 [4] 自筆譜: Dr.Georg Floersheim collection, Basel
[5] 初版: A.Diabelli, Wien 1838
[6] 底本は Kritische durchgesehne Gesamtausgabe Breitkopf & Härtel, Leipzig 1884~1897
リプリント版はDover, New York 1964
[7] Bärenreiter, Kassel 1995 (D958), 1997 (D959, 960)
新全集として第VIIシリーズの第二部(全3巻から成る)として刊行される予定であるが それに先立ちピースとして一部の作品が出版されている。
[8] Schubert Klaviersonaten Henle, München 1971,1973,1978
[9] Wiener Urtext Edition, Wien 1998~1999
[10] Wiener Urtext Ausgabe, Wien 1953
[11] ウイーン市立地方図書館所蔵 Hans Schneider, Tutzing, 1987
シューベルトに限ったことではないが、楽譜のみから作曲者の意図した音楽世界を探しあてることは、容易ではない。その点、歌曲は歌詞があるだけに作曲 者の意図が明確に聴き手に伝わるという大きな利点がある。シューベルトは多くの歌曲を遺しており、『ピアノ五重奏曲』『さすらい人幻想曲 D760』など、歌曲のテーマを器楽に転用していることも多い。標題の表示がない場合でも、シューベルトの作品には、歌曲と共通する世界をどこかに包含していると考えられる作品が少なくない。それを探ることにより、彼の作品を理解するヒントが得られるのではないだろうか。ここでは晩年の作品に内在している世界を探るために、特徴と思われるキーワードを「死」と「さすらい」に絞り、その題材について考察する。
シューベルトは31才という若さで亡くなったが、まだ10代の頃の作品から(『屍の幻想 D7』や『父親殺し D10』、2曲とも1811年、14才の頃作曲)この題材を扱っていたことを考えると、独特の「死生観」ともいえるものが、音楽の背景に存在していたのではないだろうか。それは明るい曲にも、内在している可能性がある。「死」や「死後の世界」を連想させる歌曲をシューベルトは数多く残している。しかし、彼の作った歌曲がおよそ600曲、いまだ知られていない曲もあると言われる [12]ほど、多作であることを考えると、数については驚くべきことではないだろう。注目すべきは、「死」の描写そのものなのである。アインシュタインは、シューベルト作品における「死」のさまざまな扱われ方について、次のように大きく3つに分けて把握している[13]。なお、この3つは必ずしも時代順というわけではない。
1)初期のものや、感傷や憂愁といった雰囲気をもつもので、特別感動を誘うものではない。単なる死が題材であるだけの作品。
「それらの曲はただ、シューベルトの想像力がたえず死の主題を中心にして動いていたことを立証するにすぎない。そしてそれらは自体は、われわれを特別に感動させるわけではない」
2) 『冥府への旅 D526』や『タルタロスの群れ D583』に見られる、暗くて重い死を描写している作品。
「われわれはシューベルトの希望のなさ、慰めのなさに驚愕せざるをえないのである。(中略)...彼は、《暗い岸辺》に所属するのである。」
3) キリスト教的な死の描写ではない、つまり死を「罰」として捉えない作品。
「古代人は死を(中略)、安らかな眠りへと誘う兄弟として現したのである。死は友である。」
3つ目の捉え方について、アインシュタインは『死と乙女D531』の死の描写「青春の物やわらかな友としての死の主題」[14]が、他のシューベルトの楽章のなかに反響を残していることを指摘している。
確かに『死と乙女』や、これにつづく『若者と死D545』における「死」は、恐怖する娘に対しても死に憧れる若者に対しても同様に、安らぎのあるあたたかな両腕を差し出している[15]。
わたしの腕の中で安らかに眠るがよい (『死と乙女』)
Es ruht sich kühl und sanft in meinen Armen, Du rufst, ich will mich deiner Qual erbarmen.
私の腕の中に抱かれれば、冷たい穏やかな休息がある。おまえは呼んでいる、おまえの苦しみをあわれんであげよう。(『若者と死』)
ここに挙げた表現は、「包みこんでくれる、魅惑的、心を癒してくれる」といったものである。安らぎと慰めを死の世界に期待しているようにも思える。あるいは、天国のような楽園があると信じているのかもしれない。
はるかかなたの死のみが この苦しみを癒しうるのだ (『嘆きD371』)
しかしこれはシューベルト自身が、全快の見込みのない病気にかかっていることを認識し、絶望の淵に追いやられる1823、1824年よりも前の時代の作品によく見られる死の描写である。シューベルト自身は1823年に体調を崩してから、その後病気の回復や悪化を繰り返していた。彼の病気については、神経熱や腸チフスあるいは梅毒だともいわれているが、当時の医療では、完全に回復する見込みはなかったらしい。1824年には、器楽曲への意欲的な創作や、他人に対する陽気な様子が友人たちの手紙に残されているが、その反面、心の中は苦悩に満ちていたことが次の手紙から読み取れよう。
彼が作曲をするに際して常に死を意識していたかどうかは想像するしかないが、最後の3曲のピアノソナタが書かれた時代は、憧れのいくぶん入った死の描写だけでなく、残酷な、救いではない「死」の世界と主人公についての描写があるように感じられる。そのような捉え方の違いは、特に晩年の代表的な連作歌曲『冬の旅 D911』で垣間見ることができる。以下は『冬の旅』の歌詞の一部である。
僕は僕の若さがおそろしい—まだ墓場まで何と遠いことだろう!
Fall'ich selber mit zu Boden,
Wein' auf meiner Hoffnung Grab
僕も地面にくずおれて、僕の希望の墓の上に泣き伏す。
Auf einen Totenacker
Hat mich mein Weg gebracht.
Allhier will ich einkehren:
Hab' ich bei mir gedacht.
ある墓地へ道が僕を導いてくれた。ここで宿りたいものだ、と僕は心に考えた。
(中略)
O unbarmherz'ge Schenke,
Doch weisest du mich ab?
Nun weiter denn, nur weiter,
Mein treuer Wanderstab!
おお無慈悲な宿屋よ、それでも僕を拒むのか?
それでは先へ進もう、ひたすら先へ、忠実なさすらいの杖よ!
ここで見てきたような、『冬の旅』での「死」の描写について、村田千尋氏は次のように述べている。
ところで、シューベルトの作品を象徴づける言葉として、「死」と並んで、「さすらいWanderer」「さすらうwandern」という言葉もまたよく知られている。しかしそれは「死」のように、初期の頃から頻繁に取り上げ、題名にはっきりと表れているものではなく、晩年の作品において、死の世界と隣り合って内在しているように思える。また、使用されている歌詞を見ると、死、墓、月、光、神、悲しみ、苦しみ、巡礼など、「さすらい」「死」を巡る題材が、いくつか共通している。よく登場する月や自然については、「さすらい人」は街から離れて放浪しているため、語る対象として、人間ではないそれらのものが登場するのだろう。「巡礼者Pilger」は、「さすらい人」と似たような存在感がある。巡礼とは、聖地や墓地を旅することであるから、おのずと「死」の世界との関連がある。以下は、関連する歌詞の一部である。
Dieser Leiden Last;
Nimm den müden Pilger
Bald hinauf zu dir. .(後略)
どうしてもこれ以上はもうこの苦悩を背負いきれません。
この疲れ切った巡礼者を早くあなたの許へ引上げて下さい。
Öffne mir den Himmel, Milder, gutiger Gott!
私に天国を開いて下さい、やさしい、親切な神よ! (『苦悩する男D432』)
Das Grab ist aller Pilger Ruh,
Das Grab deckt Herz und Wünsche zu,
Macht alles Leids gesunden.
墓はすべての巡礼者の休息所だ、墓は心と願望を覆い隠し、すべての苦痛を癒してくれる。(『吟遊詩人 D209』)
「巡礼者」と「さすらい人」とは、旅をしているという意味では似ているが、「巡礼者」が神なり墓地なりに救いの場所をおいているのに対し、「さすらい人」は自分の場所を探すため、あてもなく救われないままさまよっていることが、以下の歌詞から分かる。
Gesucht, geahnt und nie gekannt, ...(後略)
どこにあるのか、愛する国よ、求め、憧れ、そして見知らぬ国よ....
Im Geisterhauch tönt's mir zurück:
心の息吹にこだまして声がきこえる、「お前のいない場所こそ幸福がある!」
(『さすらい人 D 489』)
だが、作品によっては救われない「巡礼者」も存在し、「巡礼」という名のもとに「さすらっている」ようにとれるものもある。『巡礼者D794』の中で、「巡礼者」は、
War ich, und ich wandert' aus, ...(後略)
まだ私の人生の春のことだった、私はさすらいの旅に出た.....
と、巡礼に出ることを"wandern さすらう"と表現している。そして、この作品の場合、希望と信仰の言葉を胸に巡礼をはじめたが、絶望し、ついに川に身を投げる。しかし巡礼者に救いはもたらされず、絶望感に直面するのである。
Ach, der Himmel über mir
Will die Erde nie berühren,
Und das dort ist niemals hier!
ああ、どの道も通じていない、ああ、頭上の天は決して地に触れようとしない、そしてかの地は、この地上には決してない!
『美しき水車小屋の娘』の第一曲も『さすらい』で始まり、この曲と類似した心境に至る。『冬の旅』では、主人公がひとり孤独に遍歴していくこと自体が「さすらいの旅」として表現されている。ここで主人公は、社会に(市民として)適応できず、愛しい人を想いながらも街をひとり去っていく。シューベルトの書いた「わたしの夢」という文章の中に、そのような世界がみごとに表現されているのでここにその一部を引用したい[18](全文は資料1)。
この「わたしの夢」の主人公は、幸せな家族のなかで、ひとり自分だけ悲しい、と心の中に孤独を感じてしまうのである。上記部分は父親に勘当されて旅に出る時の様子である。その後母親の死の知らせに、主人公は家に戻り、一旦は父親とうまくいきかけるのだが、再び父親と意思の疎通がうまくいかず、父は怒る。
母の死、そしてこの物語の後半にはある敬虔な乙女の死というのも出てくるのだが、そういう「死」という非日常的な事件を前にすると、父親と主人公も和解できるのだった。ここに見られるような、「愛を抱きながらも、そこから離れて放浪に出なくてはならない」という孤独感、さすらい、そして「死」に救いや悩みの解決を求めるようなところは、『美しき水車小屋の娘』や『冬の旅』の主人公に共通する姿である。皆が喜んでいるなかで一人自分だけ寂しく孤独だったり、「愛の歌を歌おうとすると心は痛み、苦しみを歌に託すと心には愛が満ちてくる」という心情の中には、嘆きと愛、憧れのようなものが同居している。死の世界も、自然も、主人公のつらい状況という現実に対しての一種の「非現実」であり、自分に安らぎを与えてくれる一縷の望みを託しているように思える。
『冬の旅』の中では、主人公はそのように最後の望みにすがろうにも、実際に自分が死に向かってみると受け入れてもらえない。最後の望みと思っていた死にまで、拒否されるという<現実>が、そこに存在している。逃避の場所としての死は、厳しい現実そのものであるこの現世にはないともとれる内容は、シューベルトが味わった絶望と無関係ではないだろう。じっくり病気と向かい合うことによって、「死」の違った一面を見い出し、絶望を味わったからこそ、死生観に変化をきたしたのだろう。
社会に適応できず、自然界にも安らぎはない。神を拒否し、優しく包み込んでくれると思っていた死にまで見放され、気が狂うことすらできない。安息を得られないままさまよい続けるのが、『冬の旅』の「さすらう」主人公なのである。
「死」について、アインシュタインは、1828年の頃のシューベルトについてこのように述べている[19]。
確かに「ベートーヴェンの死」から触発されてピアノソナタに着手したというのは、作曲の動機として分かり易い説明である。ベートーヴェンは、ピアノソナタを根本としてあらゆる実験を行い、そこから他の楽曲に技法を発展させていったと思われるが、シューベルトの場合は、歌曲の世界を無視できない。作曲された年代も近い『冬の旅』と、シューベルトの後期のピアノソナタには、どこか共通する「主人公」が存在していると思えないだろうか。それを次の章で楽曲の中に具体的に探してみたい。
脚注
[12] グレアム・ジョンスン「解説」 : 喜多尾道冬訳 ハイペリオン・シューベルトエディション シューベルト歌曲全集1 解説書P.1
[13] Alfred Einstein : 前掲書 P.460
[15] この章の歌詞については、以下の資料から引用する。
石井不二雄 : ディースカウ フランツ・シューベルト歌曲全集解説書より歌詞対訳
[16] 『シューベルトの手紙(O.E.ドイチュ編「シューベルトの生涯」より)』: 實吉晴夫 訳 メタモル出版 1997 P.133
[17] 村田千尋: 『シューベルトのリート 創作と受容の諸相』音楽之友社1997 P.27
[18] 今井顕「シューベルトのソナタへのアプローチ」:『ムジカノーヴァ』1995年6月号P.44
[19] Alfred Einstein: 前掲書 P.420
シューベルトの作品は構成が弱く、あふれ出る歌に身を任せて作曲し、冗長だとしばしば言われてきた。しかし、シューベルトはハイドン、モーツアルト、ベートーヴェンと発達してきたソナタ形式の影響を受けながらも独自のピアノソナタの様式を見つけたといえるのではないだろうか。ここでは、前章で考察したことを演奏に役立てることを目的とするため、特に「死」と「さすらい」の想念が作品に反映されていると思われる後期のピアノ・ソナタ3曲のうちからD959 A-Durを題材として選び、前章で見た世界観と最も関連があると思われる第二楽章を中心に分析する。
まず、この楽章の形寸は、以下の通りである。
第一部T.1~ 68 | 主題 T.1~32 T.33〜68(オクターブによる反復) |
第二部T.69~158 | T.69~84 減七の連続T.85~146展開T.147~158 終結 |
第三部T.159~202 | 主題(変奏) T.159~188 コーダT.189〜202 |
冒頭はa1からgis1への半音下降する動機で始まる。
譜例 (第二楽章冒頭)
この主題は第一楽章の冒頭主題(譜例2)のcis1~d1から派生しているが、その上昇するラインとは逆に、第二楽章では下降形の2度進行が繰り返されている。
譜例2 (第一楽章冒頭)
左手は、下方へのオクターブ跳躍を繰り返しながら全体としては1小節毎に上昇していた第一楽章の第一主題に対し、右手同様短2度の下降のメロディを保ちながら上方へ13度跳躍し、そこから1オクターブ下方に跳躍しているという構成になっている。アルトゥ−ル・ゴーデルArthur Godelはこの動機を「ため息の動機 Seufzermotiv」とよんでいる[21]。
<第二楽章に見られる第一楽章第一主題との関連>
[共通素材]
◎左手の1オクターヴ以上の跳躍
◎ユニゾンで主題が鳴らされる
◎短二度の動き
◎楽章の締めくくりで徹底した弱音が要求される
[対立素材]
◎下降方向への音の動き
◎短調(第一楽章の平行調)
◎弱音(pで始まる)
◎推進力の感じられない、とぼとぼと歩むイメージ
◎主題が両外声に存在(ユニゾンだが、効果が違う)
二度下降する右手の主題+1オクターブ以上の跳躍を使用した伴奏、という組み合わせは、曲の性格や調性に多少の違いは見られるが、ソナタB-Dur D960の第二楽章にも共通して使用されている。
譜例3 (D960冒頭)
アインシュタインは、「シューベルトがこの楽章を作曲したときにリートのテクストを頭に置いていたなどと、わたしが主張するのだと誤解しないでもらいたい」[22]とことわりながらも、D959のソナタの第二楽章冒頭部分は『巡礼の歌D789』(譜例4)との関連があると述べている。この2曲を比べると、冒頭の部分はかなり似ている。しかし曲が進むにつれ『巡礼の歌』は、転調を重ねて希望に満ちたDurが登場し、このソナタの第二楽章ほどの絶望感は感じられない。アインシュタインは、シューベルトが第二楽章を作曲するにあたり、この歌詞を連想したと限定しては危険だという意味で前述の言葉を用いたのだろう。しかし、調性が同じということもあり、与える雰囲気が似ているこの二つの作品の冒頭部分は、共通した性格があると捉えても許されるのではないだろうか。
譜例4
ここで使用されているErde「地上、大地」という単語も、シューベルトの歌曲にしばしば登場し、多くの場合は天上との対比、つまり現世を指す言葉として扱われている。「巡礼者」というのは、第二章でも触れたように悲愴感を伴い、さすらい人に似た存在と捉えることが可能である。孤独な旅立ちという点では、『冬の旅』の主人公と共通している。
この楽章では、主旋律に加わる複声部の存在が独特である(譜例9)。一般的には声部が増えるということは、音楽の幅が外に向かって広がるという音響効果があるが、ここでは短調でもあり、むしろその孤独感を増している。ユニゾンとして加わった声部が、自己の内面世界を拡げ、そこにある虚無感を浮かび上がらせるかのようだ。その効果により、単旋律の時よりも一層孤独感や寂寥感を強調している。
譜例5
T.51で行われる反復ではppと、更に音量を落とす。その後更にdim.が置かれ、アーメン終止で締めくくられている。T.69からレチタチーヴォ風の旋律が登場し、第一主題との対比が非常に激しい中間部に入る。減七和音の連続から始まり、16分音符の三連音符や32分音符などの細かい動き、転調、音域の拡大、強弱の激しい対比、スケール、トレモロなど、あらゆる要素において、第一部との対比を見せている。このことについて、ゴーデルとブレンデルは以下のように述べている。
自筆スケッチにおいてもこの中間部の筆跡は荒々しく、インクがかすれており、全楽章のなかで最も躍動感が見られる(資料2)。
減七の和音が3回も連続して用いられると、解決されるべき響きが先へ延ばされ、調性が特定されないまま移動していくため、悲壮感に加え、不安定さが増加する。減七の和音はシューベルトが好んで用いたものである。歌曲でも特徴的な使用が見られることについて、村田千尋氏は次のように述べている[26]。
譜例6 (歌曲《都会》の楽譜)
D959のソナタでは減七の和音の連続使用の後、As1が半音ずれてG1に進行することで属七の和音に変化し、c-Mollへと進行する。
譜例7
(減七~属七~c-Mollの和声進行)
この進行は、スケッチの時点から存在しているが、三回登場している減七和音は、決定稿のように2小節ずつ鳴らされるのではなく、それぞれ1小節で次の減七に進行していた。それをこのように拡大していくことにより、不安定さを増加させている。
再現部に向かっていく部分では、Cis-DurのI-IV-I-Vという動きが、反復のIVの和音でcis-Mollになったことを示す。(しかしIの和音はCis-Durのままである。)ここで登場する左手低音のトレモロは、遠くできこえる雷鳴や、心の底で渦巻く不安を暗示しているようにも聴こえる。このようなトレモロ効果はD960のソナタの冒頭にも見られる。
譜例8
D959第二楽章の再現部では主旋律に寄り添う副旋律が提示部と違って主旋律のやや上方に現れ(T.159)、リズムが16分音符の三連音符に変化している。そしてe2の音に変化して鳴り続ける。このようなオスティナートの音型は歌曲『臨終を告げる鐘 D871』にも見られる。そのため、この楽章においてもこのe2の音は、弔の鐘の表現と捉えることができるのではないだろうか。主旋律に絡む声部が、運命のリズムや弔の鐘を鳴らすというのは、とても無気味な存在感がある。オスティナートの音型は、ソナタB-Dur D960の第二楽章では冒頭から登場している(譜例3参照)。
譜例9
D959のソナタでは、その後T.189~202で一瞬Durのように響くがDurには解決せず、動きが少なくなっていくと同時にp-decresc.-pp-decresc.-dim.-pppと音量も衰退してゆく。足をひきずり、「死」に近づいていく、枯れていくような表現になる。コーダで左右交互に鳴らされるアルペジオは、第一楽章のオクターブ跳躍という要素の使用でもあり、第三楽章の冒頭のアルペジオを先取りしているようにも聴こえ、楽章間を連結している。
脚注
[20] Alfred Brendel:『音楽の中の言葉』 木村博江 訳 音楽之友社 1992 P.113
[21] Arthur Godel: Schuberts letzte drei Klaviersonaten(D958-960) Baden-Baden 1985 P.95
[22] Alfred Einstein: 前掲書 P.421
[23] Arthur Godel: 前掲書 P. 169
[24] Alfred Brendel: 前掲書 P.123
[25] Alfred Brendel: 前掲書P.167
[26] 村田千尋: 前掲書P.47
一般にシューベルトの後期ピアノソナタは長大で長すぎると言われている。しかし構成面では、ソナタ形式の第一楽章は均整がとれており、典型的なソナタ形式を踏襲している。各要素をパズルのように網羅しようとしてシューベルトが音を並べたのではなく、自然に紡ぎ出されたと思われる音楽が、このソナタにおいては構成的にもバランスがとれていた。ソナタA-Dur D664などの中期のソナタに多く見られるような、主題同士の対比が明確ではないという問題点も、ソナタA-Dur D959では解決されている。構成について述べるならば、ベートーヴェンの後期のソナタも、むしろ形式の解放、発展が特徴のようであると思える。シューベルトが、ソナタにおける音楽表現を、ベートーヴェンとは異なる方法で表現したことについては西村弘治氏は次のように述べている[27]。
このソナタ全体に、第一楽章の主題に含まれる要素がちりばめられているが、各楽章間の密接な関係は、動機による音型的な関連性だけではなく、その動機が背負っているA-Durという調性を通じて、さまざまな景色を各楽章に運んでいるような印象を受ける。次々と色を変えていく調性の響きそのものが作品に内在する情景や心象風景と重なっているように思える。
当時は、各調性の持つ性格、イメージ、音色といったものが今よりも重視されていた。このソナタに与えられたA-Durにもいろいろな性格があるが、例えてみるなら、あるがままの自然、第一楽章。第二楽章は、fis-Mollで、冒頭主題でa1からgis1へ下降させることで、同じ音でも第一楽章のA-Durに属するときとは違った悲痛な響きを醸し出している。この楽章は苦悩や死の影といった世界を連想させる。そして喜び、明るさ、輝きのような第三楽章。回帰するべき受け入れ場所、春の歌のように歌い継がれる第四楽章。『冬の旅』の第11曲『春の夢』も原曲はA-Durである。ただ、この場合は夢の中での春なので、D959のソナタにおいても単純な喜びではなく、幻影の中の春といえるのかもしれない。
和声の点では、借用和音ともいうべき一瞬の移調や和声の挟み込みによってフレーズの印象が変化する様子や、減七の和音の効果的な使用による調性感の微妙な変化が多く見られた。更に、ナポリの和音の効果的な使用については、歌曲集『冬の旅』の作曲にあたり、シューベルトが得たものだといわれている。そのことについてはニューグローヴ世界音楽大辞典のシューベルトの項目でもとりあげられている[28]。
繰り返し述べるが、シューベルトは、ソナタ形式という構成を変化させることで訴えるのではなく、そのエネルギーを違った次元で表現していた。、西村弘治氏はそれを「自我が永遠に生きようとする形式」と表現している[29]。筆者にとって、それは「内面に向かう力」のように感じられる。生きるための居場所を探してさすらう者(自我)にとって、自己の内面と向きあうことは自然なことだろう。ソナタD959で扱われている同一のテーマの変化は、調性を変えることで、その調性の持つ性格や音色を新たに甦らせていると考えることもできる。また、弱音方向へのダイナミック・レンジの拡大は、ただ単に音量を下げるのではなく、外へ外へと表現していくという演奏に対して、より内面的な世界の拡がりへ足を踏み入れさせるかのようである。
このソナタにおいては、第一章で考察した世界観を反映するという点では、第二楽章が最も捉え易い。死の凝視によって生の充実をかみしめる、といった世界が晩年の作品にはあるように思われる。具体的な作品分析は第二楽章のみをとりあげて行ったが、そこからこのソナタ全体について振り返ると、まるで連作歌曲集『冬の旅』のように、「さすらいの旅」と共通する世界観を持つことが前章の考察で明らかであろう。冗長に演奏されがちなこのソナタを連作歌曲のように捉えることで、単なる動機や和声分析だけでは見えてこなかった「さすらいの旅」という新たな一面を読みとることができる。
このソナタ全四楽章に「さすらう」物語をあてはめるならば、さすらい人が第一楽章で旅立ち第二楽章ではの苦難の嵐に出会う。第三楽章の人間としての喜びのような明るさを経て第四楽章では柔らかな包み込む春の歌を歌い、四楽章の終結部に登場する第一楽章冒頭の主題によってA-Dur、つまり、もときた世界に最終的には回帰していく。
「苦難を乗り越えて歓喜へ」と、力強く闘ったベートーヴェンとは少し違い、シューベルトは、「すべてを受け入れる」という方向に向かったのではないだろうか。すべてをあるがままに受容することは、闘うことよりも更に心の強さが要求されよう。否定しないで、苦しいことも事実として受け止める。そうすることで感謝や感動にも似た慈愛の心を持つにる。痛みを感じながらも心には愛があふれている、とは前出の「わたしの夢」にも表現されていたことである。誰にも頼れず、救われないのならば、自分の受け入れ場所を他の中に見い出すのではなく、自らが受け入れることで、さすらいつつ求めつづけた安息の場所にたどりつく。それは、このソナタの終結部が、冒頭主題に回帰するところからもいえることだろう。アドルノはこう述べている。
前出の『わたしの夢』の最後は、このように締めくくられている。
シューベルトの心の中のさすらい人は、「追憶のうちのふるさと」という救いをみつけたのだと思えてならない。
本稿では、歌曲でみた世界観とソナタにおけるシューベルトの独創性という二つの視点から、ソナタA-Dur D959を考察した。それにより、「さすらい人の自己への回帰」という捉え方を見い出すことができた。これはこのソナタにおける解釈の一提案である。次の課題としては、後期ピアノソナタといわれている他の2曲、c-Moll D958、B-Dur D960についても考察を行い、3曲を通じての詩的な想念と作品との関連性を探りたい。
脚注
[27] 西村弘治: 前掲書 P.178
[28] ニューグローヴ世界音楽大辞典 第8巻 P.381(藤本一子、前田昭雄)
[29] 西村弘治 : 前掲書 P.178
[30] 『楽興の時』三光長治訳 白水社1994 P.44~45
[31] 『シューベルトの手紙』:P.93
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三善清達:アーメリング 音楽に寄せて~ シューベルト・リサイタル
高崎保男:シュライアー 歌曲集 「冬の旅」
グレアム・ジョンスン: 喜多尾道冬訳 ハイペリオン・シューベルトエディション
シューベルト歌曲全集より 1「シラーとゲーテの詩による歌曲集」11「シューベルトと死の想い」
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