パリ発ショパンを廻る音楽散歩

12.番外編:ノアン

2008/12/12
番外編:ノアン
ノアンの館
Domaine de George Sand à Nohant
36400 Nohant-Vic
1839年から1846年にかけての夏
~先月に引き続き、今月も番外編として、ショパンとサンドが1839年から1846年にかけて、共に夏を過ごしたサンドの実家、ノアンの館をレポートします~
ノアンの館
館の向かいに位置するツーリスト・インフォメーション前の案内板
館の向かいに位置するツーリ
スト・インフォメーション前の案内板

ノアンの館はパリから270キロメートルほど南下したフランス中部、ベリー地方のIndre(アンドル)県に現存する、恋人のサンドが少女期を過ごした父方の実家です。ショパンは1839年以降、サンドと別れる1846年までの7回の夏をこのノアンの館で過ごし、全体の3分の2に及ぶ作品を残しました。ノアンの館はショパンにとって、社交界での複雑な人間関係から解放される一種の安全地帯であり、パリの喧騒を離れて作曲に没頭できる唯一の創造のアトリエでした。ショパンの芸術はこの館で昇華されたといっても過言ではないでしょう。ショパンと共に、サンドはこの館に時を代表するさまざまな芸術家や知識人を迎えて、親交を深めていきました。

聖アンヌ教会
聖アンヌ教会
Eglise Saint Anne
TEL +33 (0)2 54 31 07 37

12世紀から13世紀にかけて建てられた、ノアンの館前に位置するロマネスク様式の小教会。

教会内部
教会内部:柱には彫刻が施され,壁にはフレスコ画の跡が残り,ひな鄙びた趣を添えている.

ノアンの館
館の庭
Domaine de George Sand a Nohant
36400 Nohant-Vic
TEL +33 (0)2 54 31 06 04
FAX +33 (0)2 54 31 18 48
http://maison-george-sand.monuments-nationaux.fr
http://www.george-sand-nohant.com/george-sand-nohant



パリからノアンの館へのアクセス

パリのオーステルリッツ駅からトゥルーズ行き(急行)に一時間半ほど乗り、Chateaurouxで下車。
駅の脇の停留所からMontlucon行きのバスに乗り換えて約30分の停留所、Nohant-Vicで降り、進行方向に真っ直ぐ行くと農道沿いに案内板があるので、それに従って80メートルほど歩いたところが館前の小さな広場。

パリから車で 約3時間半:ChateaurouxまでA20(高速)、その後Chatre方向へD943(国道)。


入館可能時間
開館時間 入館可能時間
11月-3月 10H-12H30 13H30-17H 10H30-11H30 14H30-15H45
4月 10H-12H30 13H30-18H 10H15-10H45
11H30
14H15-15H
15H45-16
H3017H15
5月・6月 9H30-12H30 14H-18H 10H15-10H45
11H30
14H30-15H15
16H-16H45
17H30
7月・8月 9H30 18H30 10H-10H45
11H15-12H
7月1日-13日
14H15-15H
15H45-16H15
17H-17H45
7月14日-8月25日
14H15-15H
15H30-16H
16H30-17H
17H45
9月 10H-12H30 14H-18H 10H15-10H45
11H30
14H15-15H
15H45-16H30
17H15
10月 10H-12H30 14H-17H30 10H15-10H45
11H30
14H15-15H
15H45-16H30
閉館時間の一時間前まで入館可能。
祝日/休
料金:6,5E

父親を早く失くしたジョルジュ・サンドが幼少期より祖母と暮らし、72歳で没するまで生涯の半分以上を過ごした館。
ショパンをはじめ、リスト、デュマ、ドラクロワ、フロベール等が常連として招かれ、生活を共にしながらさらなる友情を育んだ。
館内は撮影禁止。サンドはショパンに別れを告げた後、ショパンに関わる身の回りの品を全て処分して彼の部屋を2つに分割して仕事部屋としてしまった為、館内でのショパンの面影は稀薄だが、外観や庭からショパンが滞在した当時の様子を偲ぶことは充分可能。



館の門 ドラクロワのアトリエ かつてのショパンの部屋へと続く廊下
かつてのショパンの部屋へと続く廊下
ショパンの部屋からの眺め
(上段左) 館の門
(上段中) ドラクロワのアトリエ
(左) ショパンの部屋からの眺め

庭から見た館:窓が開いているのがショパンの部屋
庭から見た館:窓が開いているのがショパンの部屋
庭から見たショパンの部屋(プルミエ2階の窓の開いている部屋)
庭から見たショパンの部屋(プルミエ2階の窓の開いている部屋)
庭
庭の散歩道
庭の散歩道
サンド家の墓地の見取り図
サンド家の墓地の見取り図
サンドの墓
サンドの墓

ショパン・フェスティヴァル
Rencontres Internationales Frederic Chopin

毎年7月にノアンとシャトルのサンドゆかりの場所でピアノ・フェスティヴァルが開催されている。
詳細は www.festivals-chopin.com


プティット・ファデット・ホテル
プティット・ファデット・ホテル Auberge De La Petite Fadette ***
36400 Nohant Vic
TEL +33 02 54 31 01 48
FAX +33 02 54 31 10 19
www.aubergepetitefadette.com
ジョルジュ・サンドが1849年に発表した田園小説のタイトルを冠したノアンの館のはす向かいに位置するホテル。宿泊料金:65E~120E

ホテル内のレストラン
ホテル内のレストラン
地域の特色を生かしたショパン(30E )、サンド(50E)と名付けられたコース・メニューが味わえる。
地域の特色を生かしたショパン(30E )、サンド(50E)と名付けられたコース・メニューが味わえる。

男装して葉巻をくゆらせ、子育ての傍ら次々と問題作を発表して世間の物議を醸し出し、妻であり、母である自らの立場を解放してショパンをはじめ、ペンネームのきっかけとなったジャーナリストのジュール・サンド、作家のメリメ、詩人のミュッセ等と恋愛遍歴を重ねていたジョルジュ・サンドは、19世紀前半のヨーロッパにおいて、経済的にも精神的にも自立した女性のパイオニア的存在でした。その作品はロシアやイギリスでも愛読され、彼女の行き方を象徴するジョルジュ・サンディズムという言葉さえ生み出しました。彼女はノアンの自然の中で、ショパンに愛情のみならず栄養と休息を与え、作曲に専念できる環境を整えました。サンドの母性溢れる行き届いたサポートがなかったら、ショパンの不朽の名作は生まれなかったでしょう。芸術家として最も輝かしい時期を共に過ごした二人でしたが、実の娘でありながらサンドと折り合いの悪かった娘のソランジュを廻って次第に対立し、1847年には苦い別離を迎えます・・・


中野真帆子
なかのまほこ◎4歳よりピアノを始め、10歳の時、NHK教育TV「ピアノのおけいこ」にレギュラー出演。ウィーン国立音楽芸術大学を経て、パリ・エコールノルマル音楽院コンサーティストを審査員全員一致で修了後、カナダ・バンフセンターにて研鑽を積む。ロヴェーレ・ドーロ国際音楽コンクール優勝をはじめ、アルベール・ルーセルピアノ国際音楽コンクール第4位、及びルーセル賞、マスタープレイヤーズ国際音楽コンクールピアノ部門第1位など、ヨーロッパ各地のコンクール入賞を機に、ソリスト・室内楽奏者としてアジア・カナダ・ヨーロッパの音楽祭に参加。帰国後はフェリス女学院大学音楽学部で後進の指導にあたる傍ら、国内外での演奏、各種コンクールの審査員、TV・ラジオへのメディア出演、音楽雑誌への執筆・翻訳など、多方面で活躍し、2016年秋に国連帰属の世界公益同盟より日本人として初めてのメダル受章。著書に『ショパンを廻るパリ散歩』(2009)、翻訳書に『パリのヴィルトゥオーゾたち』(2004)、『ショパンについての覚え書き』(2006)、録音にキングインターナショナルより『LIVE』(2015)、『ロマンチック・タイム』(2016)。◆ Webサイト
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