パリ発ショパンを廻る音楽散歩

05.トロンシェ通り5番地 / ピアノの発達

2008/05/01
トロンシェ通り5番地ピアノの発達
クリックで大きい地図(別窓) トロンシェ通り5番地
5, rue Tronchet
75009 Paris
地下鉄 :8・12・14号線 Madelaineマドレーヌ下車
1839 年10月から1841年11月まで
トロンシェ通り5番
トロンシェ通り5番

健康を危惧したヴォジンスキ家から、マリアとの婚約を破棄されたショパンは心に深い傷を負いますが(※)、ほどなく女流作家、ジョルジュ・サンドと恋に落ち、子供達の保養にスペインのマヨルカ島へ旅立つサンドに同行します。しかし、この旅はショパンの健康状態に決定的なダメージを与え、ジョルジュ・サンドの実家、ベリー地方のノアンの館でしばらく静養することになりました。サンドの献身的な看護ですっかり健康を取り戻したショパンは、パリでの生活を一新しようと、サンドとショパンの共通の友人で全信頼を寄せていたポーランド貴族、ヴォイチェフ・グジマワとワルシャワ時代からの学友、ユリアン・フォンタナに新居探しを託します。二人がショパンの為に見つけたのは、当時、ポーランド人倶楽部があったゴドー・ド・モロワ通りRue Godot de Mauroyにほど近い、マドレーヌ寺院の裏手に位置するトロンシェ通り5番地の1階(日本での2階)でした。
(※)マリアから贈られたバラの花と手紙の束は、彼の死後「わが哀しみ」と書かれた包みの中から発見

ゴドー・ド・モロワ通り
ゴドー・ド・モロワ通り Rue Godot de Mauroy
75009 Paris

ショパンの時代にポーランド人倶楽部があった通り。
安く食事ができ、ポーランド語の新聞や雑誌に目を通したり、トランプや玉突きもできたので、パリのポーランド人の社交場であった。
ショパンも足繁く通っては知り合いのポーランド人たちと語りあい、集会の際には即興演奏を披露した。

ジョルジュ・サンド
ジョルジュ・サンド
← ジョルジュ・サンドGeorge Sand(1804-1876)
フランスの女流作家。1833年から1834年にかけて詩人のアルフレッド・ド・ミュッセと1838年から1847年にかけてショパンと交際。初期の女性解放運動家としても知られる。
ヴォイチェフ・グジマワ伯爵
ヴォイチェフ・グジマワ伯爵(1793‐1871)の肖像

ヴォイチェフ・グジマワ伯爵(1793‐1871)の肖像 →
ウクライナ生まれ。軍人としてのキャリアを積んだ後、銀行家としてワルシャワ貴族社会のリーダー的存在に。1830年のワルシャワ蜂起に参加した後、パリに亡命。ワルシャワ時代から音楽批評なども執筆して、ショパンをはじめとする多くの芸術家を擁護していたが、パリでもサンドとショパンの共通の友人として、二人の恋の相談役となった。


ウジェーヌ・ドラクロワ
ウジェーヌ・ドラクロワ

← ウジェーヌ・ドラクロワ Eugene Delacroix (1789‐1863)
ナダール撮影のポートレート(1858)ドラクロワのアトリエ サンドを通して知り合ったショパンとドラクロワは、生涯の友情で結ばれる。二人との友情を大切にしていたドラクロワは、愛し合う二人の姿をキャンバスに留めた・・



→ ショセ・ダンタンからほど近いノートル・ダム・ロレット通りにあったドラクロワのアトリエ(1852年9月)



ノートル・ダム・ロレット通り
ドラクロワのアトリエがあった現在のノートル・ダム・ロレット通り
二人が出会った頃、ドラクロワが描いたサンドとショパン(1838)
ショパンとジョルジュ・サンドの肖像画スケッチ ショパンとジョルジュ・サンドの
肖像画のスケッチ
鉛筆 12.5×14cm

ジョルジュ・サンドとショパンの肖像 ← 「ジョルジュ・サンドとショパンの肖像」
二人の肖像は100X150センチのキャンバスに描かれ、ドラクロワの死後、今も残るサン・ジェルマン・デ・プレのアトリエに置かれたままの状態で発見された。その後、切り取られてショパンの部分はルーブル美術館所蔵に、サンドの部分は競売でデンマークの実業家に買い取られ、現在はオードルップゴー・コレクションと名付けられてコペンハーゲンから30分ほどの距離にある屋敷に展示されている。

ルーブル美術館
ルーブル美術館
Musee du Louvre
34-36, quai du Louvre
75001 Paris
TEL +33 (0)1 40 20 51 51
www.louvre.fr
www.louvre.fr/llv/commun/home.jsp-bmLocale=ja_JP (日本語HP)
地下鉄 :1・7号線 Palais Royal-Musee du Louvre パレ・ロワイヤル下車
営業時間:9時から18時(水曜・金曜?21時45分)
休:火曜
料金:9ユーロ
毎月第一日曜日無料
1793年、フランソワ一世によって16世紀には要塞であったこの地に造られたルーヴル宮殿で、歴代の王が収集したコレクションを国民公会の手で一般公開したのが美術館の始まり。
1982年、パリ改造計画の一環として「グラン・ルーヴル計画」が組まれ、1989年にガラスのピラミッドが完成し、1993年には大蔵省が存在していた部分も美術館に組み込まれ、現在の規模となった。
内部はリシュリュー、ドノン、シュリーの3つの翼から構成され、それぞれが半地階から3階までの4層構造。インフォメーションやチケット売り場はガラスのピラミッド下のナポレオンホールにあり、ここから3つの翼にアクセスが可能。
ショパンの肖像はシュリー翼2階(日本での3階)の62室「ドラクロワの間」で鑑賞できる。

ドラクロワ美術館
ドラクロワのアトリエ
ドラクロワのアトリエ
ドラクロワ美術館
ドラクロワ美術館入り口
Musee National Eugene Delacroix
6, rue de Furstenberg
75006 Paris
TEL +33 (0)1 44 41 86 50
FAX +33 (0)1 43 54 36 70 57
www.musee-delacroix.fr
contact.musee-delacroix@louvre.fr
地下鉄 :4号線 St. Germain des pres
サン・ジェルマン・デ・プレ下車
入館時間:9時半から16時半
休:火曜
料金:5ユーロ(第一日曜無料)
健康状態の悪化により体力が著しく衰えていたドラクロワは、1847年以来装飾を手がけていた小聖堂(現サン・アンジュ小聖堂)のあるサンシュルピス教会に通うために1857年12月28日、このアトリエに移り住んだ。

サンシュルピス教会
ドラクロワが壁画を描いた19世紀の聖シュルピス教会
ドラクロワが壁画を描いた19世紀の聖シュルピス教会
聖シュルピス教会
Eglise Saint-Sulpice
Place Saint-Sulpice
2, rue Palatine
75006 Paris
TEL +33 (0)1 42 34 59 98
FAX +33 (0)1 46 33 21 78
www.paroisse-saint-sulpice-paris.org   contact.musee-delacroix@louvre.fr
地下鉄 :4号線St. Sulpice
サン・シュルピス下車
入場時間:7時半から19時半まで入場可。
日曜ミサ:7時、 9時、 10時半
料金:5ユーロ(第一日曜無料)
4人の枢機卿の噴水
教会広場の「4人の枢機卿の噴水」はヴィスコンティの作品
「ダヴィンチ・コード」で一躍有名になった左右非対称の塔を持つ教会。
サン・ジェルマン・デ・プレ修道院によって6世紀に建てられ、当時の大司教、サン聖シュルピスに捧げられた。その後、ルイ13世妃アン・ドートリッシュの提案により、100年の歳月をかけて大修復した結果、奥行き113M、間口58Mという、フランスでも有数の規模を誇る教会が完成。6588本ものパイプを持つ、世界最大級のパイプオルガン、美しい大理石のマリア像、入ってすぐ右側の「サンアンジュ小聖堂」にドラクロワが描いた宗教画がある。

ラデュレ
ラデュレ
Laduree
21, rue Bonaparte
75006 Paris
TEL +33 (0)144 07 64 87
www.laduree.fr
地下鉄 :4号線 St. Germain des pres
サン・ジェルマン・デ・プレ下車
営業時間:8時半から19時半まで年中無休(土曜は20時半まで)
ドラクロワ美術館から歩いてすぐ、ボナパルト通りとジャコブ通りが交わる角に位置する1862年創業のカフェ、ラデユレの支店。
天井の高いコロニアル・スタイルの地上階と、青を基調にしたエレガントなサロンが上階にあり、優雅で寛げる雰囲気。サンドイッチやサラダなどの軽食の他、34ユーロのランチ・メニューも。ティータイムのお薦めはカリスマ・パティシエ、ピエール・エルメが考案した色とりどりのミニ・マカロン。

ル・プロコープ
Le Procope
13 rue de l'Ancienne Comedie
75006 Paris
TEL +33 (0)140 46 79 00
www.procope.com
地下鉄 :4・10号線Odeon オデオン下車
営業時間:年中無休10時半から午前一時まで。
1686年に誕生したパリ初のカフェ・発祥の地。
ユゴー、バルザック等、この店を訪れた文化人の来歴が入口に記されている。
店内はゴージャスな中にもノスタルジー溢れる内装で、フランス史上に登場する傑出した、かつての常連客の肖像画が壁に飾られていて楽しい。ショパンの肖像画が掛けられたショパンの間(個室)も。

ピアノの発達

 ショパンの暮らしていた1830年代のパリは、まさにピアノの都でした。時代を代表する演奏家の活躍やサロンの発達、一般家庭への音楽の普及に伴って数多くのピアノ製造業者が競合し、ピアノは人々から最も愛される楽器となり、目覚しい発達を遂げます。

 中でも、エラールとプレイエルは、フランスの二大ピアノ・メーカーとして、激しく競い合っていました。両社とも、19世紀には10万台のピアノを製造したといわれています。ショパンの「調子のいい時はプレイエルで弾き、悪い時はエラールで弾く」という発言からも伺えるように、一般に、エラールのピアノが華麗な音色で音量も豊かであったのに対し、プレイエルの楽器は優美で洗練された響きを持ち、非常に繊細で、僅かなタッチの変化にも敏感に反応したといわれています。ショパンはこのプレイエルのピアノがお気に入りで、生涯これを愛用しました。

カミーユ・プレイエル
ピアノ・メーカーとしてショパンに相応しい音色を追及し、芸術擁護者として、ショパンのよき理解者であったカミーユ・プレイエル(1788?1855)。ペダルの開発や、それまで木製であったグランド・ピアノのフレームに金属を採用するなど、ピアノ製造の歴史に大きく寄与した。

 1807年にパリにピアノ工房を開いたプレイエル商会の創設者、イグナツ・プレイエル(1757?1831)は、自らもハイドンに師事したコンポーザー・ピアニストでした。オーストリアに生まれ、1783年にフランスのストラスブールに移りますが、大革命の混乱を避けて産業革命の波に乗っていたイギリスに渡り、その後、フランスに帰国して楽譜出版を営み、次いでピアノ製作の世界に身を投じます。プレイエルは厳選した素材とイギリス仕込の卓越した技術で作曲家や演奏家の要求に応える楽器造りを目指し、そのピアノへの限りない可能性を求める姿勢は各方面で強い支持を得、ヨーロッパ王室御用達の由緒ある逸品として国際的に高く評価されるようになりました。イグナツの健康の悪化を機に、長年の友人で、当時、パリ音楽界の中心的存在で音楽院教授でもあったピアニスト、カルクブレンナーが共同経営者としてピアノの製造や販売に加わり、跡を継いだ長男のカミーユ・プレイエル(1788?1855)と共に着実に業績を伸ばしていきます。彼らはそれまでオーケストラの代用品でしかなかったピアノを独立した楽器として扱い、ピアノ固有の響きとタッチ、音色の多様性を追及して、ニュアンスの微妙な表現を可能にしました。

ショパンが愛用していたプレイエルのグランド・ピアノは、鍵盤が鍵で音域が6オクターヴ+五度、ペダルは2本、弦は1本から3本と、限りなく今のピアノに近いものでした。ショパンが「ピアノの詩人」として今日まで広く一般に知られるようになったのは、ピアノが歌わせる楽器としての性能を備えて成熟していった時期に音楽家としてのキャリアを積み始め、その発達と共に彼自身の創作も発展していったからでしょう。

 一方、エラール商会は1796年にピアノ工房の職人であった、セバスティアン・エラール(1752?1831)によってパリに創設されました。エラール社による数々の発明の中で最も重要なものに、1821年に特許が下りた「ダブル・エスケープメント」装置があります。これは鍵盤が半分ほど戻った時に既に次の打鍵ができるように工夫されたもので、この装置によってはじめてトリルやトレモロなどの連打がピアノの鍵盤ですばやく出来るようになりました。

 リストは1824年の6月29日のロンドン王立劇場における演奏会の時に、このエラールが開発した「ダブル・エスケープメント」機能を備えた新しいグランド・ピアノを弾いて大成功を収めました。エラールのピアノはリストの演奏と作曲の可能性を広げるにあたって大きな役割を果たし、リストが長く愛用する楽器のひとつとなります。

 このように、演奏家と楽器製作者はそれぞれの世界を表現するパートナーとして強い絆で結ばれ、互いに協力しながら次々と優れたメカニズムを生み出していきます。フレームやハンマーには新しい材質が用いられるようになり、ペダルの本数とその機能、ピアノの大きさと弦を張る方式が変わり、弦の張力と鍵盤の数が増しました。楽器の向上は、ピアノ奏法とピアノ曲の作曲法を発展させただけでなく、演奏会の内容や雰囲気にも大きな変化をもたらします。ピアノは大音量のオーケストラと共演できるようになり、これによって演奏会はサロンのみならず、大きなホールや会場で開かれるようになりました。

楽器博物館
音楽博物館
音楽都市内にある楽器博物館
Musee de la Musique
Cite de la Musique
a la Villette
221, avenue Jean-Jaures
ショパンが愛用していたピアノ
ショパンが1839年から1841年まで愛用していたプレイエルのピアノ。
ショパンはこのピアノで幻想曲へ短調やスケルツォ変ロ短調を作曲した。
75019 Paris
料金:一部改装中の為、無料(通常7ユーロ)
ショパンが愛用していたプレイエルのピアノが展示されていたが、現在は非公開。
2009年3月8日に再開予定。
TEL +33 (0)1 44 84 44 84
www.cite-musique.fr/francais/musee/index.html
museemusique@cite-musique.fr
地下鉄 :5号線Porte de Pantinポルト・ド・パンタン下車
開館時間:12時から18時(日曜10時?)
休:月曜日

中野真帆子
なかのまほこ◎4歳よりピアノを始め、10歳の時、NHK教育TV「ピアノのおけいこ」にレギュラー出演。ウィーン国立音楽芸術大学を経て、パリ・エコールノルマル音楽院コンサーティストを審査員全員一致で修了後、カナダ・バンフセンターにて研鑽を積む。ロヴェーレ・ドーロ国際音楽コンクール優勝をはじめ、アルベール・ルーセルピアノ国際音楽コンクール第4位、及びルーセル賞、マスタープレイヤーズ国際音楽コンクールピアノ部門第1位など、ヨーロッパ各地のコンクール入賞を機に、ソリスト・室内楽奏者としてアジア・カナダ・ヨーロッパの音楽祭に参加。帰国後はフェリス女学院大学音楽学部で後進の指導にあたる傍ら、国内外での演奏、各種コンクールの審査員、TV・ラジオへのメディア出演、音楽雑誌への執筆・翻訳など、多方面で活躍し、2016年秋に国連帰属の世界公益同盟より日本人として初めてのメダル受章。著書に『ショパンを廻るパリ散歩』(2009)、翻訳書に『パリのヴィルトゥオーゾたち』(2004)、『ショパンについての覚え書き』(2006)、録音にキングインターナショナルより『LIVE』(2015)、『ロマンチック・タイム』(2016)。◆ Webサイト
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