第98回 佐渡合宿/シューベルト「おやすみ」と「水車職人と小川」
久しぶりの連載です・・・すみません!(夏バテ)
この夏一週間、初めて佐渡でピアノ合宿を行いました。私にとっても学ぶ事が多く貴重な体験でした。今回の連載はこの合宿のことを書きたいと思います。
佐渡を初めて訪れたのは5年前でした。新潟からフェリーでかもめたちと戯れながら2時間と少し。海を渡って初めて降り立った佐渡は少し霧がかった雨が降っていて、青や赤紫のアジサイの色があざやかで、神秘的な美しさに包まれていました。一旦雨が上がると、空の青と田んぼの緑が眩しくて、小さなお寺や神社が自然と一体化して人を見つめているようにも感じられて、どこか自分にとってはスピリチュアルなイメージでした。ゆったりとした時間の流れ・・暖かく人間味溢れる佐渡の人たち・・おいしいお米やお魚。初めてなのになぜか自分にとって懐かしくて、そこで響く音がいつものピアノと違って新鮮な音色に聴こえ、音楽ができるってなんて幸せ!と喜びを感じた時、自分だけでなく生徒たちにも体験させたい!いつか合宿ができれば・・!と夢を持つようになりました。
ところが、帰ってから佐渡の素晴らしさを説明するのですが、島流しの歴史や金山、拉致問題など少し暗いイメージが強い上、「佐渡ヶ島」=原住民が洞穴に住んでいるんじゃないですか?などと言う人も居て、実現まで5年もの月日が流れてしまいました。
時間はかかりましたが、第一回佐渡合宿では参加者と供に素晴らしい体験をすることができました。
スケジュールを作成する段階で、この合宿をレッスンと発表会だけではなく、もっと中身の濃いものにしたい!と地元の方々にも協力してもらい、結局ほとんど毎日コンサートの予定を組みこみました。参加の生徒達にとってこれは大きなハードルです。一曲ではなく、30分程のまとまったプログラムを、時には違う内容のものを、しかも毎日お客さんの前で弾かなければならないのですから!
音大を卒業したばかり、コンクール歴なども優秀な生徒も参加していました。でも驚いた事にコンサートの経験はほとんど無いと言うではありませんか。ヨーロッパでは演奏会が多いです。大ホールでいわゆる一流アーティストによるコンサートから、地元の音楽家が教会やサロンで開く定期コンサート、プロもアマも音楽愛好家達も入り混じって日曜にそれぞれの家に集まって人を呼んで演奏を披露し合う小さな規模の音楽会まで、音楽が生活の中に根付いていると感じます。みんな音楽が豊かさを与えてくれることを知っているので、そんな時間を大切にしているのです。「ちょっとおいしい物を食べに行こうか」というのと同じ感覚で「ちょっとコンサートでも聴きに行こうか」となります。一方、日本では学校やレッスンでピアノを勉強して、素晴らしい演奏技術や知識を身につけても、音楽=一部の人たちだけの趣味で、クラシック音楽を一般に愉しむ習慣が無いので、それを披露したり人に伝えられる場が少ないです。演奏で自分の出し切ったものを(もちろん落ち込む事もあるけれど)喜んでもらって、それが実感できた時に「よし、またがんばろう」と前進できるのに、自分の演奏を聴いてもらうチャンスがなかなかありません。
そんな理由から、この合宿では参加者にたくさん弾いてもらう、というのが大きな目標でした。佐渡は時間の流れがゆったりしていて、「能」の影響なのか文化に好意的で、都会に住んでいる人よりも音楽の愉しみ方を知っているように感じます。ある意味そんな場所で弾くことはプレッシャーのようにも思えますが、聴き手がリラックスしていると弾き手にもそれが伝わり、すっと心を楽に音を通じてのコミュニケーションが可能になります。演奏することにおいて、音を通じてお客さんと一体化するのは貴重な経験です。音楽をやっていて最も幸せを感じられる瞬間をぜひ味わってもらいたいと思っていました。
学校で「上手い人たち」に囲まれつつ、試験やコンクールの思わしくない結果に少し疲れてしまった生徒が合宿に参加していました。音楽が何の為にあるのか、自分が音楽を続けて行く意味を見出せなくなってしまったのです。このままでいいのだろうかという漠然とした不安と、やっぱり希望にすがりたい気持ちの間を行ったり来たりのまま合宿に参加したと思われます。
人と優劣を競ったり、比べたり、評価ばかりを気にする様になると、音楽はとたんに性格が変わってしまいます。芸術は元々人の心を豊かにしてくれますが、間違った方向へ向うと、本当の美しさや貴さから段々かけ離れて行ってしまうのです。本来人の心を癒し・溶かし・動かす力のある音楽ですが、だからこそ方向を誤ると、心が疲れたり、または傲慢になったり、傷ついたり、負の力が働いてしまうのかも知れません。
でも、そんな不安定な状態で飛び込んできた彼女を、佐渡はとても広い心で受け入れてくれました。
サロンでのコンサートで、音楽=コミュニケーションだと手応えを感じたのをきっかけに、彼女は変わって行きました。心を開いて聴いてくれるお客さんが彼女にも心を開かせ、「自分自身の」音楽を表現する事を可能にしてくれました。今まで評価の対象だった自分の音楽・・自分も厳しくその評価だけを見つめ価値を見出せずにいましたが、拍手の音で目が覚めて、居場所を確認できました。音楽が素晴らしいものであることを思い出したのです。
彼女は地元のピアノの先生の実家で練習をさせてもらっていました。練習の合間には先生のお母さんが庭で育てているトマトを煮てつくった100%天然のジュースを飲ませてくれて、そしてそのままそこに座って練習を興味を持って聴いてくれるのだそうです。「たくさん質問してくれて」・・音楽の話もいっぱいしたでしょう。会話を通して心の交流もあったに違いありません。都会育ちの彼女が、自然と手作りのトマトジュースと周囲の人たちの真心で、本来の元気を取りもどして行く姿は感動的でした。
雄大な自然とそこに響く音色が、疲れた心と頭に栄養を与えてくれて、そして何よりも見知らぬ人たちが無償で彼女の音楽を支えてくれること・・・演奏のために足を運び、演奏する側と同じ集中力で真剣に聴いてくれて、また陰でサポートしてくれることに気づいて感謝と勇気が湧いてきたのでしょう。今まで当然と思っていた、ピアノを弾けると言うこと、それをずっと支え応援し続けてくれる家族の存在・・・目から鱗が落ちて、「ピアノを弾く喜び」を感じた瞬間に、彼女と音楽の関係は生まれ変わりました。ひとつひとつの音に魂を込めて弾いたメンデルスゾーンは、覚悟を決めたような意志の強さが表れていました。山を乗り越えた人にだけに表現できるような、重みと深みのある演奏で、聴く人たちの心を動かしていました。
それにしても自然の持つ力は本当にすごい!心から感謝です。生徒の例もそうですが、自然の中に居ると、自分から段々毒?が抜けて自然体に戻っていくような感覚があります。ピアノを演奏しながら心がリセットされるのを感じます。都心のコンサートホールもいいのですが、田んぼの真中にあるサロンで曲の合間に聴こえる虫の声・・旅館のリビングのピアノごしに臨む海に沈んで行く夕日・・・そこで響くひとつの和音。お客さんと音でつながって過ごす、宝のような、夢のような瞬間はまるで絵の中に居るような美しさです。
周囲に支えられて初めてのピアノ合宿は実り多いものになりました。今回の経験をそれぞれが自分の中で熟成させて、いつか音楽の表現につながっていたとしたら・・それがお世話になった佐渡と佐渡の人たちへの一番の恩返しになると信じています。
それでは、また!
ルイ・レーリンク
下記の日時、生徒の発表会を行います!
●第9回スチューデントコンサート
日時:2010年10月17日(日)16:30ー20:30
会場:仙川アヴェニューホール "ve quanto ho....."
プログラム等詳しくは下記でご覧下さい
http://www.pianonet.jp/schoolblog/diary.cgi
オランダ出身。7歳からピアノを始め、15歳で音楽院入学。アムステルダム・スヴェーリンク音学院に於いてW・ブロンズ氏他に師事する。1996年音楽活動の為、日本に移住。「肩の凝らないクラシック」をモットーに各地で通常のコンサートから学校や施設のコンサート、香港等海外でも公演。九州交響楽団との共演、CD「ファイナルファンタジー・ピアノコレクションズ9」の演奏と楽譜監修を行うほか、CD「夢」をリリース。個人/公開レッスンや音楽講座を行い、ピアノ・音楽指導にも意欲的である。洗足学園音楽大学非常勤講師、洗足学園高等学校音楽科講師として、「演奏法」の授業 、演奏家を目指す生徒のための「特別演奏法」の授業、ピアノレッスンを受け持つ。
NHK/BSテレビ「ハローニッポン」、「出会い地球人」
TBSテレビ「ネイバリー」、TBSラジオ「大沢悠里のゆうゆうワイド」他出演。
ピアノ演奏法のページ : http://www.senzoku.pianonet.jp も作成中
演奏者のホームページ http://www.pianonet.jp