第54回 香り/曲:ラフマニノフ 前奏曲 Op23-4
ピアニストとして、そして指導者としても有名なボリス・ペトルシャンスキー先生が 一言おっしゃいました。「私はこのピアノがべヒシュタインだとすぐに分かるよ・・・それはピアノの蓋を開けるとべヒシュタインの香りがするから」。ロシアの人は特別な「香り」の感覚を持っているのでしょうか?いつかホームシックだというあるロシア人のピアニストが、一番懐かしいのは母国の香りだっと言っていました。 ロシア人のメランコリックな国民性から来るのかも知れません。でも、ロシアの作曲家のロマンティックな音楽を弾くと、確かにロシアの香りのイメージが湧いて来ます。
私の国の香りもある。アムステルダムに飛行機で降り立つと「あっ、このにおい!」。実はあんまりロマンティックな香りではありません・・・だってなんと牛のフンの匂いなんです。少し郊外へ出れば大きな畑ばかりですから・・・かなり大量の肥料がまかれているはずです。それが風に乗って、その匂いはオランダ全土を包み込むのです。
私はピアノを弾きながら、時々においを思い出す事もあります。例えば子ども頃遊びに行ったお友達の家のにおい・・・。もう忘れたと思っていたのに。音楽って脳の深い所にあった思い出、潜在意識から香りを引き出す事がありますね。
音楽を、色や香りで考える事もできます。この和声は少し甘い香りがする・・このメロディはラベンダーの香りを思い出す・・・。私は時々こんなふうにピアノを弾いています。少し変かも知れませんが、音楽を聴く時に音符をイメージして私に向かって来る音符を口の中にパクッと入れて味わう。やっぱり変でしょうか?でもそれぞれの和声・調性が自分の香りや味を持っていると思う。 そして時にはレッスンの中で生徒に聞いてみます。「このフレーズはどんな味がする?いちご・・?わかめ・・!?」
味や香りを説明するのは難しいことです。例えばいちごの味はどんな味でしょうか? 甘い?じゃ、パイナップルとどこが違うか?
音楽も同じです。この音は美しいです。ここも綺麗です。・・・でもどこが違うかを生徒に考えてほしい。学校の授業の中で、生徒に自分の好きな演奏について、発表してもらっています。多くの生徒は、「ここが好き・・ここが綺麗です」とコメントしますが、私にとってはそれだけでは物足りないです。料理のプロも味の感覚を高める ために、色々な料理を味わって勉強しますね。ただ美味しい、まずい、と言っている だけではプロとしては通用しません。音楽を勉強している人にも繊細な耳を持って欲しいです。どのようにして?それはまず「聴く」という事です。弾く事を練習するだけではなく自分の作った音楽(料理)を聴く(味わう)事が感覚を高める第一歩なの です。
音の中に何を見つけられるかを考えれば考えるほど、耳が繊細になる。結局、ピアノを上手になるよう努力するより、耳を発達させて、より音楽をもっと楽しめるように なるのが大切です。
ワインも同じ。甘口・辛口だけではないです。色々飲んだり、ワインについて調べたり知識を持つと、その味をもっとずっと深く楽しむことができるのです。そういえば、先週「シャンパンフェア」に行ってきました。都心のデパートの中でフランスのシャンパーニュ地方から数十メーカーが集まって行うフェアで、私はそれを毎年に楽しみにしています。ヨーロッパの家庭ではどこもそうだと思いますが、私も子どもの頃から食事と共にワインを飲んできました。父に連れられてにフランス・ブルゴーニュ地方で、ワインメーカーを回って、色々なワインを「利き酒」したり事もあります。初めてワインを飲んだのは中学校の頃で、ヴォーヌ・ロマネ(Vosne Romanee) のとても有名な場所でしたが、その美味しさは忘られません!今でも実家ではワイン をよく飲みます(両親は日本産のウィスキーも大好きです)が、お正月や記念日となると、必ずシャンパンを空ける習慣があります。父が「シャンパンは安い売れない白 ワインから出来ている」と言うので、正直あまり良いイメージを持っていませんでし た。でも、シャンパンフェアでそれぞれ飲み比べてみると、なんと皆、個性が違うこと!同じシャンパンでも様々な色・バブル・香り・味があると気がつきます!口の中 に含むとにそれぞれの持ち味を主張して、同時にそれぞれの作り手達のこだわりに対して尊敬の念が生まれます。
味を楽しむのはシェフにとって当たり前の事でしょう。でも音楽畑の人は意外にシン プルに自分の音を楽しむのを忘れます。クラシックが真面目な音楽だから?それとも 演奏を上手に見せたいからでしょうか?コンクール等では、とても上手な演奏に出会う事は多いですが、弾いている人は楽しんでいるでしょうか?もちろん笑いながら弾 かなくてもいいです。のりのりで弾かなくてもいいです。でも弾いている人が自分の 音を本当に聴いているか・・全身で音楽を味わっているか、客席にいるとすごく伝わってくる。
音楽の聴き方は様々でしょうが、私の場合は、演奏家が自分の信じる音楽の味・香りを提供してくれて初めて、聴き手としても楽しむ事ができます。
それでは、また!
ルイ・レーリンク
オランダ出身。7歳からピアノを始め、15歳で音楽院入学。アムステルダム・スヴェーリンク音学院に於いてW・ブロンズ氏他に師事する。1996年音楽活動の為、日本に移住。「肩の凝らないクラシック」をモットーに各地で通常のコンサートから学校や施設のコンサート、香港等海外でも公演。九州交響楽団との共演、CD「ファイナルファンタジー・ピアノコレクションズ9」の演奏と楽譜監修を行うほか、CD「夢」をリリース。個人/公開レッスンや音楽講座を行い、ピアノ・音楽指導にも意欲的である。洗足学園音楽大学非常勤講師、洗足学園高等学校音楽科講師として、「演奏法」の授業 、演奏家を目指す生徒のための「特別演奏法」の授業、ピアノレッスンを受け持つ。
NHK/BSテレビ「ハローニッポン」、「出会い地球人」
TBSテレビ「ネイバリー」、TBSラジオ「大沢悠里のゆうゆうワイド」他出演。
ピアノ演奏法のページ : http://www.senzoku.pianonet.jp も作成中
演奏者のホームページ http://www.pianonet.jp