第37回 学校の思い出/曲:シューベルト(ゴドフスキー編曲) 「Litanei」
新年、アムステルダムへ留学している元の生徒が遊びに来てくれました。 2年生の一学期を終えてクリスマス休暇で日本へ一時帰国したのです。慣れない言葉での授業や毎月の実技発表会など、色々な苦労があるにもかかわらずとても充実した日々を送っている・・という話を聞きながら学校で過ごした時間を懐かしく思い出しました。
以前レッスンや試験の話をした事がありましたが、 今回は少し学校の様子を紹介しようと思います。 音楽院は場所柄、他のオランダの学校と比べても、かなり特殊です。 先生も生徒も様々な国籍ですから色々な言語が聞こえます。 オランダの母国語はオランダ語ですが(結構知らない人も多い!)その他にも英語、スペイン語や 聞いたことのない言葉までにぎやかです。 みんなでカフェテリアで集まって話していると、だんだん話す言葉が変化していったり 気がついたらオランダ人同士で英語で話していたということもしばしば。 それに生徒達にとっては音楽=「命」ですから、何かぶつぶつつぶやいている人、 廊下に座り込んで落ち込んでいる人(多分厳しいレッスンのあと) 音楽を感じながらちょっと妙なリズムで歩いている人等の光景は音楽院特有でしょう・・
その頃4階にあったカフェテリアは大好きな場所でした。 誰でも好き好きに、それぞれに時間を過ごすことができる場所でした。 レッスンの後や、ハードな練習に疲れてここへ来ると、大きな窓から 空が一杯に見えて癒されたものです。 この景色と一杯のコーヒー、そして友達と音楽談義したり、レッスンや授業に対する 不平不満をぶつけ合ったりして 気分を一新してまたがんばろう、という気持ちになるのでした。
一番のお気に入りの場所は図書館。 当時でもかなり多くの楽譜やCD、資料が置いてあり、時間が空くと ここで大好きなホロヴィッツやコルトーのレコードやCDを聴いたり、 屋根裏のソファに座って古い楽譜を手に取ったり、作曲家についての資料を読んだり、 何時間も過ごしました。時々窓から入ってくるいい風が気持ちよく、ついうとうとしてしまう事も・・ こうして休憩しながら音楽的に色々なインスピレーションをもらっては ピアノに向かっていました。
僕が卒業したのは10年ほど前です。 生徒の話によると、今は生徒があたりまえに携帯を持っていたり、食堂にはパソコンが設置され、 夕食を摂る事もでき、当時に比べて学校はずいぶん便利になっているようです。 でも基本的に変わらないなと思う部分もあります。 それは学生達の音楽に対する真剣さ。 彼らが夢に向かって一生懸命にがんばっている姿は僕の頃ときっと同じだし そのずっと以前から変わって居ないのだと思います。
幼い頃きいた母の子守歌や教会のオルガンの響き、 素晴らしい演奏家たちの演奏や先生方のレッスンや授業・・・ 自分の音楽を支えている要素は様々ですが 生徒達の喜びや涙、色々な思いが何年間にも渡って壁に染み込んだような 建物に見守られながら、音楽に浸った濃密な数年間を過ごせた事も しっかり自分の音楽の原点になっていると、実感しています。
こうしてずっと生徒達を見守ってきたこの建物に別れを告げ、 学校は数年後に市内の都市開発地域に移転します。 少し寂しい気もしますが、新しい校舎のイメージは水上の音楽院!? 更に音楽的にインスピレーションをもらえるロケーションに なることでしょう。 現在、僕にとっての「学校」は洗足学園です。 今は教える立場になり、時の経過を実感しますが、今でも図書館は大好きです。
それでは、
ルイ・レーリンク
オランダ出身。7歳からピアノを始め、15歳で音楽院入学。アムステルダム・スヴェーリンク音学院に於いてW・ブロンズ氏他に師事する。1996年音楽活動の為、日本に移住。「肩の凝らないクラシック」をモットーに各地で通常のコンサートから学校や施設のコンサート、香港等海外でも公演。九州交響楽団との共演、CD「ファイナルファンタジー・ピアノコレクションズ9」の演奏と楽譜監修を行うほか、CD「夢」をリリース。個人/公開レッスンや音楽講座を行い、ピアノ・音楽指導にも意欲的である。洗足学園音楽大学非常勤講師、洗足学園高等学校音楽科講師として、「演奏法」の授業 、演奏家を目指す生徒のための「特別演奏法」の授業、ピアノレッスンを受け持つ。
NHK/BSテレビ「ハローニッポン」、「出会い地球人」
TBSテレビ「ネイバリー」、TBSラジオ「大沢悠里のゆうゆうワイド」他出演。
ピアノ演奏法のページ : http://www.senzoku.pianonet.jp も作成中
演奏者のホームページ http://www.pianonet.jp