ルイのピアノ生活

第31回 モーツァルトとカツラ/曲:モーツァルト アダージョ

2006/10/05
♪ 演奏
モーツァルト:アダージョ  動画 動画:(8,00s)
 

私今年はモーツァルトイヤー(生誕250年)です。
250年前といえば大分昔ですね!作曲家は生まれた年代が古くなる程その存在を遠く感じてしまう傾向があるようです。例えば、バッハショパン、どちらの作曲家の方が身近に感じますか?」と尋ねますと、
多くの人がショパンと答えます。バッハはもっと昔の作曲家、つまり、より長い間死んでいる(失礼な言い方ごめんなさい)ので、ショパンほど「生きている」ように感じないのかも知れませんが肖像画の影響が大きいのではないでしょうか。バッハと言えば、あのカツラかぶっている真面目なおじいちゃんのイメージが強いですね。商店街で買い物する時に出会うような人物ではないですよね。ショパンの方がまだ少し現代人に近いイメージがあるかも知りません。「カツラ」も被っていませんし・・・。

モーツァルト以前の時代は、ほとんどの作曲家がカツラを被っています。カツラは特に16世紀ヨーロッパで流行し、被るのには色々な理由があったと言われています。もちろんおしゃれの目的もありますが大きな理由の1つは衛生上の事した。当時のヨーロッパでは、日本の様にお風呂入る習慣がありませんでした。
ローマ時代まで遡ると、銭湯がたくさんあり、かなり利用されていたのですが、中世の時代、ヨーロッパ中で伝染病がはやり、銭湯から病気に感染し、広がる恐れとともに人気は減って行きました。また、意外なことですが、キリスト教は衛生にまつわる全ての事柄に反対していました。特に16世紀から18世紀の間、祈る・働く・家庭を守る事に専念せず、銭湯などで自分の体をケアーなどするとは何事だ!と「罪」扱いになったり体の衛生=性的な行動と、嫌われるようになりました。一方、体の「汚れ・アカ」は深い信者であることの証明でした。大切なのは、「きれいな体」ではなく、「清い心」でした。汚れている人は外面より、精神に集中しているように思われ、お風呂入る人は自己中心的と思われました。汚れている事=「正しい」生き方の象徴でした。

お風呂の文化が衰退した原因がもう1つあります。汚れている体の方がバイ菌が入りにくいと思われていたのです。黒死病の他、死に至る移り病が巷にたくさんあったので、ヨーロッパ人にとって病気は最大の恐れでした。体にまとわりついたアカはあらゆる病原菌から体を守っていると思われました。

ですから人間は臭くなりました。体の嫌なニオイを隠すために、女性は香水をつけたり、何重にも層になった服を着たりしていました。ご存知の人も多いと思いますが、フランスの香水文化は、当時の宮廷のこんな状況がもとでした。

ニオイだけではなく、実際人間が汚れていたので、ノミもたくさんいました。ノミ対策(ノミ隠し)として自分の髪を全部切って、カツラを被るのが流行りました。貴族の女性にはノミ取り係の女官もいた程でした:カツラを外すと、ノミがたくさん出てくるので!この様な話をしますと、ヨーロッパの美しい宮廷の中の綺麗な女性や姫のイメージが悪化しますね。ごめんなさい!

同時にカツラは1つのステータスシンボルになりました。カツラの大きさで自分の地位を示していました。(大きくなればなるほど偉い!)そして周りのスタッフの皆さんももちろんカツラでした。

18世紀まで作曲家は王様や、貴族や教会の聖職者に仕えるスタッフの一員でした。作曲家は家来と同じ立場で、自由とは無縁でした。好きな町に住む事も、勝手に仕事を辞める事も故郷の病気の母親に会いに行く事も許されず、何事にも王様の許可が必要でした。

カツラは作曲家の制服の一部でした。カツラを被る事は、自由を望んでいるモーツァルトはきっと辛く重く感じていたのでしょう。ハイドンはずっとお家来さんとして仕事していました。毎日制服を着て、かっちりしたカツラを被ってボスの言う通りに生きていました。

モーツァルトはそのような人生を望みませんでした。出身地、オーストリアのザルツブルグはとても保守的な所でした。モーツァルトは自由に生きる事ができないこの場所を疎んでその重いカツラを捨てて、思い切り自由なウィーンへ行きました。彼は自由を選びました。自分らしく生きて、自分が好きな音楽を書く。自由の人間になって、なんとも辛い人生になってしまったのですけれど・・・私達から見れば辛い事も、モーツァルトにとっては型に押し込められる辛さに比べれば、幸せだったかも知れません。

でも・・モーツァルトの肖像画は大体カツラを被っていますしウィーンの街はカツラを被ったモーツァルトの絵のついたお酒やチョコでいっぱいです。モーツァルトが見たらどう思うのでしょうか・・・??

それでは、また!

ルイ・レーリンク

今回の楽器について:
楽器:Rosenberger(1820年)
ピッチ:431Hz
調律:古典調律バロッティ
調律師:加藤正人
場所:ユーロピアノ(八王子)
録音:実方康介
演奏:私です・




ルイ・レーリンク

オランダ出身。7歳からピアノを始め、15歳で音楽院入学。アムステルダム・スヴェーリンク音学院に於いてW・ブロンズ氏他に師事する。1996年音楽活動の為、日本に移住。「肩の凝らないクラシック」をモットーに各地で通常のコンサートから学校や施設のコンサート、香港等海外でも公演。九州交響楽団との共演、CD「ファイナルファンタジー・ピアノコレクションズ9」の演奏と楽譜監修を行うほか、CD「夢」をリリース。個人/公開レッスンや音楽講座を行い、ピアノ・音楽指導にも意欲的である。洗足学園音楽大学非常勤講師、洗足学園高等学校音楽科講師として、「演奏法」の授業 、演奏家を目指す生徒のための「特別演奏法」の授業、ピアノレッスンを受け持つ。

NHK/BSテレビ「ハローニッポン」、「出会い地球人」
TBSテレビ「ネイバリー」、TBSラジオ「大沢悠里のゆうゆうワイド」他出演。

ピアノ演奏法のページ : http://www.senzoku.pianonet.jp も作成中
演奏者のホームページ http://www.pianonet.jp

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