ルイのピアノ生活

第12回 先生/曲:ブラームス:ピアノソナタ第3番より 

2005/12/08
♪ 演奏
ブラームス:ピアノソナタ第3番より第2楽章
動画 動画:(11,32s)
 
W.ブロンズ先生
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今、私の先生が日本に来ています。
ヴィレム・ブロンズという先生です。先生は毎年1回~2回来日して、レッスンとコンサートのために、日本中を回っています。演奏家としても教育者としても尊敬している、素晴らしい音楽家です。私はブロンズ先生のレッスンをオランダのアムステルダム・スヴェーリンク音楽院で受けました。初めて先生のレッスンを受けた時、今までのレッスンと全く違うのでびっくりしました。先生は私に音楽の「聴き方」を教えてくれました。初めてのレッスンにショパンのソナタ(2番)を持って行きました。ご存知の名曲です。それまでのレッスンはいつも「ここをもう少し大きく・・・ここはテンポ気をつけて・・・ここは指を・・・」といった感じでした。しかしブロンス先生はあるところで私の演奏を止めて、聴かせます。「ここの左手を聴いて、綺麗な音ですね、右手と合わせるとこのような和音ができます、この和声や調性は悲しみを表していますよ。」「皆ここで速く弾きますが私は違うと思います。」私は、これに圧倒されました。すごく新鮮に感じました。耳の使い方=聴き方が段々変わります。そして音楽のアプローチも変わります。

私の一番最初の先生はとても小さなおばあちゃんでした。(今考えたらそんなにおばあちゃんではなかった・・多分50歳だったかな・・でも小学生から見ますと・・)。とても厳しい先生でした。「指を天井まで上げましょう!」粒の揃った演奏を求めていた先生でした。これは実はオランダで結構珍しい事です。先生はオランダ人ではなくインドネシアの人でした。インドネシアは長い間オランダの植民地で、第2世界大戦後にはたくさんオランダに移民して来ました。その中には音楽の分野でも活躍している人もいます。例えば、今オランダで一番有名なピアニスト、Wibi Soerjadi。 とても魅力ある演奏をするピアニストです。話が少しそれましたが、このインドネシア系のおばあちゃん先生はピアノの基本から技術的な細かさを伝授してくれただけでなく、表現にもとても厳しく、特に強弱のつけ方をとても細かく教えてくれました。

Frederic Meinders
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さて、おばあちゃん先生の次は(高校時代)ピアニストの先生でした。Frederic Meinders先生(ニキタ・マガロフの弟子)。ヨーロッパとアメリカで活躍しているオランダ人ピアニストで、私にとって初めての男の先生でした。そして私は先生にとって一番最初の生徒だったと思います。先生は私にとって「先生」というより、半分「お父さん」、半分「憧れのアイドル」の存在でした。なぜアイドルかというと、先生の演奏を聴きますと「すげ~!かっこいい」と言うしかないからです。すごかった!速い指、迫力のある音、なんと素晴らしい演奏でしょうか!私はこのようなピアニストになりたい、そう思いました。そしてなぜ「お父さん」のような先生かといえば、先生は私の音楽感を育ててくれたからです。良い演奏の録音を聴かせてくれたり、演奏の楽しさを見せてくれました。先生の家にはすごく大きなレコードコレクションがあり、時々僕を家に呼んで、色々な昔の珍しい録音を聴かせてくれました。その影響で私は昔のピアニスト達が大好きになりました。申し訳ないですが、そのせいか、私はポリーニやアシュケナージなど演奏家のバリバリな演奏を聞きますと、少し自分に合わない気がします。音楽に興味を持たせてくれ、又、演奏の刺激を与えてくれた先生に今でも感謝しています。

この先生に4年間付いてから、フランス人のピアニストの先生につきました。ものすごく怖い先生でした。ここで言っても良いかどうかわかりませんが、この先生はある日本の有名人とそっくりの人です。皆さんは野村サチヨさん知っていますか?私の先生は彼女とそっくりです。外見だけではなく、性格も・・・。でも先生のエネルギーは印象的でした。体は小さいですが、パワーはすごかった!先生は4年間、一度も休まずに教えました。しかし先生の演奏はあまりにも上手すぎでした(先生は14歳の時にショパンの練習曲全部録音した!)。何か弾けないところがありますと・・「何で弾けないの?!私は9歳の時に・・・」とよく言われました(涙)。
でもこの先生のおかげで、私は色々なピアノの弾き方を研究しました。体の使い方、腕、手首など・・・

そして次がブロンズ先生。とにかく「深い」先生でした。先生の音や表現を一回聴いたら、なかなか忘れられないです。そして解釈もとても珍しいと思います。「ショパンのソナタをこのテンポで弾く人が多いですが、私はもっと遅いと思います!」先生の演奏はいわゆる「よくある」演奏とは違います。でも先生の音楽は先生の存在そのもの。音色、解釈、テンポ全てが一見、異色ではあるかもしれませんが、それは先生から出てくる、先生の信じている真の音楽です。ここですごく勉強になったのは「個性」でした。皆とは違っても、自分の音楽を信じ、尊重するという事です。コピーをしないで、自ら音楽の中身を探しに行くというメッセージです。真実の言葉こそ人の心を打ちます。

日本では先生の存在はヨーロッパと少し違います。日本に来て、私はびっくりしたのは、卒業後もずっと、先生を「先生」と呼ぶ事です。私はブロンズ先生で音楽院を卒業してから、先生に「これから、私をファーストネームで呼んで」と言われました。つまり、先生と呼ばないで、ということだと思います。もちろん音楽家として同じ段階にいるわけではないですが、これからは音楽をやっていく同僚です。この意識がヨーロッパでは強いです。教育とは生徒を自立させる事ではないでしょうか。自分の足で立てるようになるための指導。生徒としても私達は色々な先生から様々な事を学びます。しかし、どこかで自分の足で立てるようにならないといけません。そして今まで学んだ事を自分なりに次の世代に伝える。これを、私は「伝統」と呼びたいです。

それでは、また!

ルイ・レーリンク

この曲の一番難しい事のは長いフレーズをつくることです。長い息で歌いましょう!ピアノを弾くより、口で歌ってみて下さい。 一息で長いフレーズを歌いましょう。何回か歌ってから、同じようにピアノで弾きましょう。

今回このビデオを収録したロケーションは世田谷区の千歳烏山にあるユーロピアノでした。楽器はべヒシュタインのB型でした。




ルイ・レーリンク

オランダ出身。7歳からピアノを始め、15歳で音楽院入学。アムステルダム・スヴェーリンク音学院に於いてW・ブロンズ氏他に師事する。1996年音楽活動の為、日本に移住。「肩の凝らないクラシック」をモットーに各地で通常のコンサートから学校や施設のコンサート、香港等海外でも公演。九州交響楽団との共演、CD「ファイナルファンタジー・ピアノコレクションズ9」の演奏と楽譜監修を行うほか、CD「夢」をリリース。個人/公開レッスンや音楽講座を行い、ピアノ・音楽指導にも意欲的である。洗足学園音楽大学非常勤講師、洗足学園高等学校音楽科講師として、「演奏法」の授業 、演奏家を目指す生徒のための「特別演奏法」の授業、ピアノレッスンを受け持つ。

NHK/BSテレビ「ハローニッポン」、「出会い地球人」
TBSテレビ「ネイバリー」、TBSラジオ「大沢悠里のゆうゆうワイド」他出演。

ピアノ演奏法のページ : http://www.senzoku.pianonet.jp も作成中
演奏者のホームページ http://www.pianonet.jp

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