第03回 弾きますか?遊びますか?/曲:別れの曲
僕の母国オランダはとても小さな国です。
森の中を歩くと知らないうちに国境を越えて、隣の国ドイツに着いてしまう事もよくあります。 今どこの国にいるかわからない時もあります。私たちオランダ人は、ドイツ語を話している人、 フランス語を話している人、英語を話している人たちに囲まれています。 そして、国内で話すのはもちろんオランダ語です。 面白いのは国によって、ピアノの弾き方が違う事です。ピアノの教え方、使われている楽器、 ピアノの教材も色々な差があります。でも弾き方の違いは、 使われている言葉の違いから来るのではないでしょうか。人間が考えている事・感じている事は、 言葉で伝える事ができますが、言葉によって、考え方や感じ方が変わる事もあります。 私は、初めて日本に来た時に、日本語や漢字の素晴らしさに驚きました!例えば、「聴く」という漢字が私は大好きです。 「聞く」は、家の外から何かの音が聞こえてきて、人が門の方に耳を傾けているので門の下に耳を書く。 「聴く」は、耳に心が付いている。一つじゃなくて、二つじゃなくて、なんと十四つも心が付いています! 心を込めて音楽を聴く、という事を表しているかしら?しかしピアノを「弾く」という漢字は少し不思議だなっと思いました。 だって、爆弾の「弾」です。ヨーロッパでは、 ピアノを「遊ぶ」と言います:"play"(英)"jouer"(仏)"spielen"(独)。 この言葉の違い、実際の演奏に影響があるでしょうか?
ところで、ショパンはどんなふうにピアノを弾いていたかしら?
ショパンの即興は素晴らしかった。パリの貴族のサロンでは、ショパンがちいさな集まりを前に、 ピアノに座って、魔法のように、誰も聴いた事のない、美しい音楽を彼の細い指から紡ぎ出していた。 ピアノの先生からしっかりしたピアノ技術を学んだ事のない(先生は元々バイオリンの奏者でした )ショパンの弾き方は、彼の音楽から自然に生まれた独創的な弾き方。ショパンは夕べのサロンコンサートで 最初に即興演奏したものを、家に帰ってから五線譜に残したそうです。とても柔らかい身体を持つショパンは、 ピアノと戯れるように、まるで遊ぶようにピアノを弾いていた。しかし、ショパンのピアノ弾き方は、とても珍しいでした。 ショパンが練習曲を作曲した頃、巷ではピアノをどんなふうに弾けば良いか、色々な考え方がありました。
実は、ピアノという楽器はまだ皆にとってまだまだ新しい楽器でしたから。前によく使われたチェンバロみたいに弾けばいいとか、 この楽器のあつかい方が解らない人も多かった。段々豊かになった19世紀のヨーロッパでは、ピアノはブーム的に広がった。 この時まで主には貴族や音楽家しか使っていなかったチェンバロと違って、中流階級も楽器を持つ事が出来きるようになりました。 ヨーロッパ中にピアノ生徒が増え、教室、ピアノ曲、教材や音楽ホール、コンサートなどなどが次々に登場しました。 新しいピアノからは強弱を出す事ができました。弾き方によって、音の音量が変わりますから、他の鍵盤楽器と違って、 特に指のタッチはとても重要になりました。ハイドンやモーツァルトなどの音楽によく使われていた、 音階や3和音のアルペッジオを弾く時に、強弱がバラバラならないように「粒を揃える」事にみんな一番注目していました。 音楽家になる教育より、だれでもピアノを弾けるようになる教育の時代になりました。バロック時代は総合的な「音楽」が中心で、 必ずレッスンで、生徒がポリフォニー、聴音、作曲、即興や演奏法を勉強していたのに、教育の概念は「指をもっと強くする」 に変わりました。チェルニーやクラマーなどの大量の練習曲の時代になりました。この練習曲で頭・心・耳より、スポーツ的に 指を何時間も訓練すれば、演奏が良くなるという考え方でした。このように音楽と技術は初めて2つに分けられた。 新聞を読みながら、練習するのは良いと思われていて、シューマンの奥さんクララまでが毎日来る郵便を譜面代に立てて、 それを読みながら練習していた話もあります。
この背景にヨーロッパでは産業革命がありました。
機械は人間の人生をもっと楽にするという考え方があったので、その影響でピアノ教育に色々な機械や器具が発明されました。
まず 、1814年にドイツ人のロギールが開発した教育器具「カイロプラスト」。指と腕を鍵盤と水平になるようにして、 正しい指の形を保つための矯正器具でした。鍵盤の上に板があってそれが腕をはさんで固定させるので、腕も指も正しい形に 保てるという器具です。もう一つの有名な発明はカルクブレンナーの「ギーデ・メン」でした。(図1)これは鍵盤の手前、 平行に板があって、その上に手首や腕をのせると腕の上下運動を制限され、手や指の力だけでピアノを弾けるような機械でした。 もう一つ面白い機械は、アンリ・ヘルツの「ダクティリオン」です。(図2)天井からつるしたり、または手の上につける器具で スプリングが10個、ひも10本にリングが付いている。リングに指を通します。弾く時には、指の力でひもを引っ張る。 すると、スプリングの力で指が元の位置に戻ります。こんなような器具がヨーロッパ中に一瞬広がっていたが、 残念ながらこれで自分の手を壊した人がとてもたくさんいました。一番有名のはシューマンでした。 彼はは右手の3と4の指を独立させるために機械を使って(図3)、自分の右手を壊してしまって、コンサートピアニストの キャリアを断念しました。この時代のピアノ教育に関する考え方はこの色々な機械でよくわかりますね。
1831年にショパンはパリで一番有名なピアノ先生、カルクブレンナーの所へに行きます。 教育器具の発明家としても有名な先生でした。弟子として取ってくれるように希望していたショパンは 先生の前で演奏したが、今流行の独立した指で「粒を揃える」ように弾いていないから、「 あなたはこのように弾き続けると、絶対に私のようなピアニストや作曲家になれないよ! しかし3年間しっかり私に付いてくれば、国際的なピアニストにします」とショパンは先生に言われました。 悩んでいたショパンは、母国ポーランドにいる家族に手紙を出して相談しました。すると、 すぐショパンの先生から返事が来ました。絶対レッスンに行かないで!心に素直に、自分らしく弾いて!真似より個性だ! これを聞いたショパンは、すぐカルクブレンナー先生のレッスンを断った。こうして、ショパンは色々な機械や メソッドに影響受けることなく、自分の個性、演奏と音楽を守ることができた。
そして2年後、ショパンは 『12のエチュード』 Op.10を出版します。これは自分が信じる音楽の結晶でした。 優美なメロディー、時には暗く悲しく、美しく繊細に移り変わるハーモニー。ショパン独自の奏法以外では ありえなかった作品です。それまでの音楽の常識を塗り替えるような、斬新な音楽でした。 これは、ヨーロッパで大センセーションになって、一気にピアノ奏法に関する考え方が変わります。 今までになかった音楽。前例のない奏法による、素晴らしい曲集。
子供の頃から、ピアノと戯れて、心から楽しく弾くのが大好きだったショパン。
カルクブレンナー先生の弟子になっていたら、彼はこのエチュードを書く事ができたでしょうか?
"To play the piano"ピアノを遊ぶ。遊ぶ気分でピアノを弾けば、絶対に素晴らしい結果がでます。
人間の心って素晴らしいですから、機械に勝ると思います!
それでは、また!
ルイ・レーリンク
どんなように弾きたいかを考えてから、柔らかい身体に伝えて動きましょう。何も考えないで、音階を速く弾くより、一音一音を大切にしてゆっくり弾きましょう。音を弾く前にイメージをしてから弾きますと、指はとても素直になります。急に強弱を変えたり、弾き方を変えたりしますと、想像力もアップになります!。
今回このビデオを収録したロケーションはPTNAの東音ホール(東京都豊島区巣鴨) でした。
オランダ出身。7歳からピアノを始め、15歳で音楽院入学。アムステルダム・スヴェーリンク音学院に於いてW・ブロンズ氏他に師事する。1996年音楽活動の為、日本に移住。「肩の凝らないクラシック」をモットーに各地で通常のコンサートから学校や施設のコンサート、香港等海外でも公演。九州交響楽団との共演、CD「ファイナルファンタジー・ピアノコレクションズ9」の演奏と楽譜監修を行うほか、CD「夢」をリリース。個人/公開レッスンや音楽講座を行い、ピアノ・音楽指導にも意欲的である。洗足学園音楽大学非常勤講師、洗足学園高等学校音楽科講師として、「演奏法」の授業 、演奏家を目指す生徒のための「特別演奏法」の授業、ピアノレッスンを受け持つ。
NHK/BSテレビ「ハローニッポン」、「出会い地球人」
TBSテレビ「ネイバリー」、TBSラジオ「大沢悠里のゆうゆうワイド」他出演。
ピアノ演奏法のページ : http://www.senzoku.pianonet.jp も作成中
演奏者のホームページ http://www.pianonet.jp