耳をひらく~第4章:推察力&発想力(2)見えない音空間を関連づける(プログラム)
曲を分類しているのは、時代・様式・国や地域・楽曲の特徴といった見えやすいものだけでなく、思想・理念・世界観といった見えにくいものもある。後者を見出すには、発想力が必要になる。いったん線的思考を手放し、すべてを融合し、ぽんっといろいろな方向に意識を飛ばすのである。すると、今まで考えつかなかったようなグルーピングが思い浮かぶことがある。
思考を自在に飛ばすこと。これは論理的思考(フレームワーク)を超えて、新たな価値を生み出す力であり、イノヴェーションの源泉である。西洋では古代ギリシアのアリストテレスが論理学を打ち立て、20世紀初頭にはパースが新たな論理法を提唱した。両者が共通して提唱したのは、演繹法、帰納法、そして類推法・推論である。演繹法、帰納法は前提ありきのロジカルシンキングだが、類推・推論は未来に思考を飛ばすことであり、新たな気づきにつながる。
これに似たものが、1960年代高度成長期の日本において、創造性につながる発想法として議論されていた。それを方法論としてまとめた文化人類学者の川喜多二郎によれば、まず「なにか問題を感ずる」(内部探検)というレヴェルから出発し、内外に観察眼を広げていき(外部探検)、関係のありそうな事象を拾い上げ、同質性にもとづいて分類し、異なる着眼点を交えながら相互関係性について考察し、文章化する、としている。(『世界を動かすエリートはなぜ「フレームワーク」を使うのか』p80、93-100、原田武夫著、かんき出版、2015年)。
発想のきっかけは、「何かを感じる・・」という小さな気づきや疑問だ。つまり、右脳から左脳への問いかけになる。(第1章④「音楽はどう知覚されるのか~音楽の多義性」)。非線形かつ規則に基づかない方法で情報処理する右脳から、規則に従って情報処理を行う左脳へ。『ダ・ヴィンチの右脳と左脳を科学する』を著したレナード・シュレイン氏はこう述べている。
「創造的なプロセスの最初の段階では、何らかの出来事、正体不明の物体、いつもと違うパターン、奇妙な取り合わせなどが右脳の注意を喚起する。すると、実態のまだよくわからない謎めいたプロセスで、右脳が左脳をつついて質問を発する。正しい質問をすることが、創造力の核心に達する鍵となる。質問こそが、ホモ・サピエンスの強みだ」(『ダ・ヴィンチの右脳と左脳を科学する』p152-153、レナード・シュレイン著、日向やよい訳、ブックマン社、2016年)。
良い問いかけができれば、プログラム構成の可能性は広がっていく。以下に挙げるプログラムを見ていると、まず全体構想や独自の世界観があり、必要に応じて新しいレパートリーに挑んでいると思われる。そしてこれまで培った学びを踏まえ、新しい曲に向き合うのである。抽象度が高くなってくるので、より一層、楽曲の特徴をつかむ力や概念化の力(第3章③ ④)が求められる。
テーマは具体的なものから抽象的なものまで、幅広く展開できる。まずは標題音楽の主題をつなげたプログラムから。前述のベアトリーチェ・ラナさん(Beatrice Rana)は、ラヴェル『夜のガスパール』とバルトーク『戸外にて』を並べ、対比的な「夜」の表現を見せた。「ラヴェルとバルトークはどちらも『夜』をテーマにしていますが、ラヴェルは夢や非現実的な世界、バルトークは自然界の夜の情景を描いています。バルトークには鳥や蛙の鳴き声など自然界の音が入っていますが、夜に対する恐怖や悪夢も暗示されています。どちらの曲にも我々がもつ夢想が反映されており、それを対比的に表現したいと思ったんです。」
標題音楽のプログラムに関しては、第2章①「限定されていく聴覚をどうひらく?」もご参照頂きたい。
抽象的な例としては、「革新性」をテーマに掲げたルツェルン音楽祭のポリーニ・プロジェクト。ベートーヴェンのソナタop.53からop.111までの各曲を、ラッヘンマンやシャリーノ等の現代曲と組み合わせることで、時代を超越した価値観を浮き彫りにした。(感性が変わる時④~調和の模索・ルツェルン音楽祭が描く未来像)
テーマは掘り下げていくとどこまでも幅広く考えられる。これについては本章③で述べたい。
音楽の内容を対比させた巧妙なプログラムは、2013年度ヴァン・クライバーン国際コンクールファイナリストのニキタ・ムンドヤンツさん(Nikita Mndoyants, ロシア)。まずはバロック(バッハ:トッカータBWV910嬰ハ短調)とロマン(タネーエフ:前奏曲とフーガOp.29嬰ト短調)で再現されるフーガの対比。そして古典派ハイドン(ソナタHob.XVI:6ト長調)の陽気なユーモアと、近現代ババジャニアンのシニカルなユーモアの対比。ハイドンは左手で表現される舞踏ステップを思わせるような軽やかな足取りに、多彩でユーモアある右手の表情。対してアルメニア作曲家ババジャニアンの『6つの描写』では、民族調的な曲想の中に少々シニカルなユーモアを見出しているように感じられた。独自の視点と表現が面白い45分間だった。
1組曲を解体・再構築したような挑戦的なプログラムは、B→Cリサイタルでの福間洸太朗さん(Kotaro Fukuma)。特に後半は「バッハと宇宙」をテーマに掲げ、バッハのパルティータ2番の曲間に現代曲を挟むという珍しい構成であった。(以下はプログラム後半)
- クラム:《マクロコスモス第1集》から「原始の響き(創世?)」(1972)
- J.S.バッハ:《パルティータ第2番》ハ短調 BWV826から「シンフォニア」
- マーティン:《ミルトンにもとづく2つのリフレクション》から「天頂から」(2002)
- J.S.バッハ:《パルティータ第2番》ハ短調 BWV826から「アルマンド」「クラント」
- 湯浅譲二:内触覚的宇宙(1957)
- J.S.バッハ:《パルティータ第2番》ハ短調 BWV826から「サラバンド」「ロンドー」「カプリッチョ」
- ゴッサン:トウキョウ・シティ(2008)
単にバロックと現代の対比ではなく、バッハを通奏低音のように極めて抑制して用いながら、現代曲でバッハの内的宇宙をデフォルメして蘇らせるような効果。曲と曲のつなぎにも音響や音型の連続性を持たせたり、一見カオスな世界観の連続が、地下水脈で繋がっているような演出に感じられた。ちなみに前半は「水の光」がテーマであった。
1音、1フレーズ・・が生き物のように躍動しながら、1曲、1プログラム全体の統一感もある。そんなプログラムを展開していたのは、2012年度リーズ国際コンクール2位ルイ・シュヴィーツゲベルさん(Louis Schwizgebel、スイス)。バッハのパルティータ1番はアーティキュレーション、音のテクスチュア、リズム、一つ一つに多彩な表情をもたせる。リスト「オーベルマンの谷」は陰影ある音色で物語を語るように。ホリガー『エリス』は弦の振動も含めて多彩な音響を描き出し、その音の粒子が次第に形になったような入りのラヴェル『夜のガスパール』の「オンディーヌ」。「スカルボ」はペダルを多用せずにフレーズを断片化し、それがいたずらに戯れる小悪魔の存在を感じさせた。いずれも音色や間の扱いが巧みで、1音1音の方向性や意味が捉えられているからこその、遊びがあった。1次、3次はこちら。
1プログラム全体の中に息づく、1音の躍動感。その音の粒子が変容していくプロセスが、ストーリーとして感じられた。
- 第4章 ①
- 第4章 ③
音楽ジャーナリストとして各国を巡り、国際コンクール・音楽祭・海外音楽教育などの取材・調査研究を手がける。『海外の音楽教育ライブリポート』を長期連載中(ピティナHP)。著書に『ハーバードは「音楽」で人を育てる~21世紀の教養を創るアメリカのリベラル・アーツ教育』(アルテスパブリッシング・2015年)、インタビュー集『生徒を伸ばす! ピアノ教材大研究』(ヤマハミュージックメディア・2013年)がある。上智大学外国語学部卒業。在学中に英ランカスター大学へ交換留学し、社会学を学ぶ。一般社団法人全日本ピアノ指導者協会勤務を経て現職。2007年に渡仏し「子どもの可能性を広げるアート教育・フランス編」を1年間連載。ピアノを幼少・学生時代にグレッグ・マーティン、根津栄子両氏に師事。全日本ピアノ指導者協会研究会員、マレーシア・ショパン協会アソシエイトメンバー。 ホームページ:http://www.erikosugano.com/